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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第二 春歌下(75)
雲林院にて桜の花の散りけるを見てよめる 承均法師
さくらちる花の所は春ながら 雪ぞふりつゝ消えがてにする
雲林院にて桜の花が散ったのを見て詠んだと思われる・歌 そうくほうし(伝不詳)
(桜散る花の所は、春のままで、白雪が・花びらが、降りつつ、消え難くしている……お花咲き散る処は、張るのままで、おとこ白ゆきぞ・煩悩のしるしぞ、降りつづき、消滅し難くする)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「桜…男花…おとこ花…おとこ端」「散る…果てる…消える」「花…端…身の端」「所…場所(雲林院)…処…おとこ端」「春…季節の春…情の春…ものの張る」「ながら…そのまま…そのままの情態で…汝柄…ものの本性のままに」「な…汝…親しい身近なものをこう呼ぶ」「雪…白雪…おとこ白ゆき…おとこの情念…男の煩悩のしるし」「ぞ…強く指示する意を表す…(雪が唯のゆきではないことを)強く指示している」「きえがて…消えがて…消滅し難く…断ち難くする」。
咲き散る桜花の雲林院は、春のままに、花びら・雪、降りつづき、消え難くしている――歌の清げな姿。
咲けば果てるお花の処は、春情のままに・張る柄のままに、おとこ白ゆき降り続き、煩悩・消え難くする――心におかしきところ。
法師の心に思うことを、花・春・雪の景色の清げな姿にして言い出した。断ち難き煩悩を思う法師の歌である。前の惟嵩親王の御歌と、次の素性法師の歌と、主旨や趣旨に於いて連なっている。歌はそのように並べられてある。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)