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帯とけの拾遺抄
「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。
紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の「心根」である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。
拾遺抄 巻第一 春 五十五首
権中納言義懐家にさくらはなををしむこころの歌よみ侍りける時に
藤原長能
四十一 身にかへてあやな花をもをしむかな いけらばのちの春もこそあれ
権中納言義懐家で、桜花を惜しむ心の歌を詠んだ時に (藤原長能・『蜻蛉日記』を書いた道綱の母の弟)
(我が身に代えて、とりとめもない花をも、散るのを・惜しむのだなあ、生きていれば、後の春もあるものを……身に換えて、どうしょうもない身の端を、張るのゆくのを・惜しむのだなあ、生きていれば、後の張るもあるかもしれないのに)
歌言葉の「言の心」と言の戯れ
「かへて…代えて…代理に…換えて」「あやな…あやなし…はっきりしない…道理など勿論ない…わけのわからない」「花…木の花…男花…おとこ端」「をしむ…惜しむ…愛着する」「かな…だなあ…感動を表す」「いけらば…生きていれば…(本体が)生きていれば」「のち…後…来年…時が経ったあと」「はる…春…張る」「もこそあれ…あったらまた困るのに…危惧を表す…あるかもしれないのに…期待を表す」
歌の清げな姿は、桜花が散るのを惜しむ心。
心におかしきところは、おとこ端の果てるのを惜しむ心。
亭子院の歌合に つらゆき
四十二 さくらちるこのした風はさむからで そらにしられぬ雪ぞふりける
亭子院(宇多法皇の御所)の歌合に 貫之
(桜散る、木の下風は寒くなくて、空には知られない雪が降ったことよ……お花散る、この下心風は寒くなくて、天に・吾めに知られぬ、白ゆきが・わが白たまが、降ったなあゝ)
歌言葉の「言の心」と言の戯れ
「さくら…桜…木の花…男花…おとこ花」「ちる…散る…果てる」「このした風…木の下風…男の下の心風」「木…言の心は男」「さむからで…寒くなくて…春のままで…張るままで」「そら…空…天…あま…あめ…吾女」「しられぬ…知られぬ…秘密の…感知されぬ」「雪…桜の花びら…おとこ白ゆき…おとこの情念…おとこの白魂」「ける…けり…気付きを表す…詠嘆を表す」
歌の清げな姿は、桜の花びらが白雪のように降ったさま。
心におかしきところは、身も張る、心も春なのに、白ゆき散らすおとこのさが。
このような歌の聞き方は、歌の様(表現様式)を公任に学び、「言の心」を多くの歌から学びそれなりに心得てできたことである。そうすると、清少納言の述べる「言語観」や、藤原俊成が歌言葉を「浮言綺語に似た戯れ」と述べることが、素直に受け入れられるようになったのである。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。