帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第一 春 (四十三)(四十四)

2015-02-10 00:15:47 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。



 拾遺抄 巻第一 春 
五十五首



       題不知                     読人不知

四十三 あしひきの山ぢにちれるさくら花 きえせぬ春の雪かとぞ見る

題しらず                   (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(あの山路に散っている桜花、消えない春の雪かと思って見ている……この山ばへの路に散っているお花、消えない春情の白ゆきか、と思って見るわ)



 歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「あしひきの…山にかかる枕詞」「山ぢ…山路…山ばへの道中…山ばの女」「山…山ば」「路…通い路…言の心は女」「さくら花…木の花…男花…おとこ花」「春…季節の春…春情…張る」「雪…さくらの花びら…白ゆき…おとこ白ゆき」「見…見物…観察…覯…媾…まぐあい」

 

歌の清げな姿は、散った桜花が残り雪かと見える景色。

心におかしきところは、山ばへの途中にお花散り、残りの白ゆきかと見る女の気色。

 

 

北宮の裳ぎの時の屏風に               (読人不知)

四十四 はるふかくなりぬとおもふをさくら花 ちるこの本はまだ雪ぞふる

宮の裳着(内親王の成人の儀)の時の屏風歌     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(春の候、深くなったと思うのに、桜花散る木のもとは、未だ、花びらの・雪が降っている……青春の情、深くなったと思うのに、桜花の散るこの御本人は、未だ、春を迎えていない・雪が降る……春の情、深く成ったと思うので、お花散る、男どもの・このもとは、未だ・またも、白ゆきぞ、降る)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

 「はる…四季の春…青春…春情」「を…のに…感嘆」「さくら花…桜花…木の花…男花…おとこ花」「この本…木の下…この許…この根もと」「まだ…未だ…続けて…また…復」「雪…花びらの雪…おとこ白ゆき」

 

歌の清げな姿は、屏風絵通りの春の景色。

歌の深き心は、未だ幼さを残した内親王の女の魅力を見事に表現した、成人の儀の言祝ぎ。

心におかしきところは、女の魅力に見惚れる男どもの気色。

 

『拾遺和歌集』では、作者を「つらゆき」とする。紀貫之の歌に違いないと思える歌である。

この歌に限らないが、近世以来の学問的解釈で解き明かされるのは、歌の「清げな姿」のみで、常に一義的である。歌の「心におかしきところ」を学問的解釈は見失ったのである。


 

『古今和歌集』雑歌上に河原左大臣(源融・天下の風流人)の歌がある。上の貫之の歌は、この歌の文脈内にある。


  五節の朝に、かんざしの玉の落ちたりけるを見て、たがならんととぶらひてよめる

ぬしや誰ととへどしらたまいはなくに さらばなべてやあはれとおもはん
  
五節の舞姫たちの舞があった翌朝、かんざしの真珠が落ちていたのを見て、誰のものだろうと尋ねて詠んだ歌
 
(落とし・主は誰かなと、問えども白玉は言わないので、それでは、すべての・舞姫たちを、可哀想だなあと思うことにしょう……こぼした・主人は誰じゃと問うても、白たまは言わないので、それでは、観客の男ども・すべてが、あゝ可愛いと思ったのだろうかあ)

 
歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「ぬし…持ち主・落とし主…ご主人」「しらたま…白玉…真珠…白魂…おとこ白玉」「あはれ…気の毒だ・可哀想だ…愛しい・可愛い」

 

此の歌も、学問的解釈は一義的である。明治時代の国文学者金子元臣は「この簪の玉の落とし主がなつかしさに、これの主は誰と、昨夜の舞姫を、誰彼と云う事なしに、皆々、あゝいとしやと思はうか」と訳す。つづく、国文学的解釈(旧・新・日本古典文学大系)は「なべてやあはれとおもはん」を「舞姫全部をかわいいと思おうかしら」・「舞姫をすべてかわいいと思うことにしょうかしらねえ」とする。他の学問的解釈も大差ない。

すべて、歌から「心におかしきところ」が消えている。「つつまれた」ものがない。歌言葉は「浮言綺語のように戯れている」ことを知らない。色好み歌全盛の時の歌なのに「艶」なるところもない。ただ「あはれ」にのみ聞こえる歌となった。

貫之のいう「歌の様を知り」「言の心を心得た」人の解釈ではないことがわかる。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。