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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (347)
仁和御時、僧正遍昭に、七十賀たまひける時の御歌
かくしつゝとにもかくにもながらへて 君が八千世にあふよしもがな
(仁和の御時、僧正遍昭に、七十の賀たまひける時の御歌……仁和の帝の御時に、僧正遍昭のために、七十歳の賀を祝われた時の御歌)
(こうして祝いつづけ、何としてでも命永らえて、君の八千歳の賀に逢う手立てがあればなあ……かくしつつ・それでも、とにかく長らえて、わが貴身が、女たちの八千夜に合う手立てがあればなあ)。
「かくしつつ…斯くしつつ…このように十年毎に祝い続け…隠し筒…斯く肢筒」「筒…中空洞…中空のおとこ」「君が八千世…君(遍昭)の八千歳…貴身が女の八千夜」「あふ…逢う…合う…山ば合致する」「よし…手立て…方法」「もがな…願望を表す」。
こうして十歳毎に祝い続け、何としてでも命永らえて、君の八千歳の賀に逢う手立てがなあ・あれば欲しい――歌の清げな姿。
斯く肢筒でも続け、なんとか長らえて、わが貴身が、女たちの八千夜に合う手立てがあればなあ――心におかしきところ。
露の間の男のさがを、今更ながら、お嘆きになられた御歌のようである。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (348)
仁和の帝の、親王におはしましける時に、御叔母の八十賀
に、白かねを杖に作れりけるを見て、かの御叔母に代りて
よみける 僧正遍昭
ちはやぶる神や伐りけむ突くからに 千とせの坂も越へぬべらなり
(仁和の帝が親王であられた時に、御叔母の八十賀に、銀を杖に作られたのを見て、かの御叔母に代わって詠んだ・歌)遍昭
(ちはやぶる神が伐り出されたのでしょうか、この杖つけば、千歳の山坂も越へてしまいそうね……血気盛んな女が伐りだしたのでしょうか、白かねの杖つけば、千門背の山ばのさが超えてしまいそうよ)。
「ちはやぶる…枕詞…霊力強い…血気盛んな」「神…かみ…言の心は女」「ちとせ…千年…千歳…千門背…千のおんなと男「と…門…言の心は女」「坂…山坂…さか…さが…性…本来の性情」「べらなり…の様子だ…しそうだ」。
白かねの杖つけば、千歳のおんなの坂も、越えてしまいそうよ――歌の清げな姿。
白金の杖突けば、千のおんなと、背の貴身のさがも、山ば越えてしまうでしょうね――心におかしきところ。
女のさがの、男とは大きく違う様子を教示した歌のようである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)