帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(三十六)さて、この男、その年の秋・(その一)

2013-12-09 00:10:47 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語 (三十六)さて、この男、その年の秋・(その一)


 さて、この男、その年(春に津の国の長洲の浜へ行った年)の秋、西の京極、九条のほとり(九条の近く……窮状の縁者のもと)に行ったのだった。その辺りに、つひぢ(築地塀)など崩れているが、さすがに、蔀(しとみ)など上げて、簾など掛け渡してある人の家があり、簾の許に、女たちが多数見えたので、この男、ただでは通り過ぎないで、「などかそのにはは心すごげにあれたる(どうしてこの庭は、ぞっとするほどに荒れているのか……なぜ、このにはは、心寂しげにすさんでいるのか)」などと、言い入れたので、「誰よ、かういふは(こう言うのは……剛に言うのは)」などと問うたので、「なほ道ゆく人ぞ(普通に道行く人だ……汝お満ちゆく男だ)」と言い入れる。築地の崩れより見て、この女、
 人のあきに庭さへ荒れて道もなく よもぎ繁れる宿とやは見ぬ

 (人が、秋のために庭さえ荒れて、訪れる・道もなく、よもぎ草の繁る宿とは見えないか、見えるでしょうが……男の飽きのために、にはさえ荒れて、満ちもなく、よもぎ草の繁る屋門とは、見ないか)。


  言の戯れと言の心

「西の京…寂れた所」「九条…九条大路…苦状…窮状」「ほとり…辺…近く…縁ある者…関係者」「には…庭…物事が行われるところ…女…丹端…おんな」「かう…斯う…このように…剛…強く」「なほ…猶…直…普通…汝お…わがおとこ」「な…愛称」「みち…道…路…女…満ち」。

歌「人の…人が…男の」「秋…飽き」「よもぎ…荒廃した所に生える草」「やど…宿…屋と…屋門…女」「見…見ること…思うこと…覯…媾…まぐあい」。

 

と書いて出したけれど、もの書くべき具、なにも無かったので、ただ口移しに(取次に言う)、男、
 たがあきにあひて荒れたる宿ならむわれだに庭の草はおほさじ

(誰の、秋にあって荒れた宿なのだろう、われならば、庭の草は生えさせないだろうに……誰の、飽きに遭って荒れた屋門なのだろう、われならば、丹端の雑草は生えさせないだろうに)。

 

言の戯れと言の心

「あき」「やど」「には」は上の歌に同じ。「草…雑草…よもぎ草…すさんだ女」「おほさじ…生えさせないだろう…生じさせないだろう」。

 

と言って、そこに久しく馬に乗りながら、立って居るのも、しらじらしければ(そらぞらしく間がもたなかったので)、帰って、これを初めにして、ものなどいひやりける(言い寄ったりしたのだった)。もし、(これまで通っていた男が)籠っていて、すかす人(だます男……浮かれさせ足元すくう女)が居ることもあると思って、まったく、絶えた・その人の家のことも言わなかったので、熱心に聞きもしないので、それで、生半可に疑っていて、ときどきは、ものいひやりける(文は遣っていた……言い寄っては居たのだった)。

久しく経って、また、人を使いに遣ったところ、「ここに居られた人は、すでによそへ行かれた」ということで、くちをしきもの(期待はずれの者……卑しき者)ただ一人ぞ、留守居していたのだった。「もし、使いの人寄こされたら、渡せよと、これをですね、頂いております」と言って、ちょっとした文がある。使いが、しかじか留守居の人が言いましたと、語るので、あやしと思って、もしや行き所が書いてあるかと、急ぎ開けて見れば、ただこのように、
 わが宿は奈良のみやこぞ男山 越ゆばかりにしあらば来てとへ

(わたくしの宿は奈良の旧都ですよ、石清水八幡宮の・男山を越えたおよそその辺りにあれば、来て尋ねてください……わが屋門は寧楽の宮こよ、男の山ばを超えるほどのところに在れば、来て問え)。

 

言の戯れと言の心

「やど…宿…女…やと…屋門」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)…心やすらかに楽しむところ」「みやこ…都…宮こ…感極まり至ったところ」「男山…石清水八幡宮のある山の名…男の山ば」「山…山ば」「こゆ…越える…超える…超越する」。

 

とだけあったので、男、いたく思ひ(ひどいと思い……感にたえないたまらないと思い)、悔しがって、あの住んでいた所に人を遣って、留守番に物品与え、問えど、「だだ奈良へとうけたまわっています、それより其処彼処とはうけたまわっていません」と言えば、尋ねる手立て無くて、奈良と聞いて、何所を、何所かと尋ねるのだろうかと思って、しばらくいたが、思ひ(思い…思い火)忘れて、年月経った。


     
(つづく)

 


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。