帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (四十九)  うら若みねよげに見ゆる若草を

2016-06-04 19:27:35 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。


 

伊勢物語(四十九)うら若みねよげに見ゆる若草を

 

 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、妹が、いとをかしげなりけるを(とっても愛らしかったのを…ひどく犯しげな風情だったのを)、見をりて(見て居て…見降りて)、

 うら若みねよげに見ゆるわか草を 人のむすばむことをしぞ思ふ

 (若々しくて、心根よさそうに見える若草を、人の・他の男が、ちぎり結ぶことを惜しいと思う……こころ若くて、音・声、よげに見えるわが女を、他人がちぎり結ぶこと惜しいと思う)と、きこえけり(申し上げた…伝え聞いた)。
 返し、

 はつ草のなどめづらしき言の葉ぞ うらなくものを思ひけるかな

 (初草がどうして好ましいとのお言葉よ、兄上は・隠すことなく、ものを思ったのねえ……初めての女が、どうして愛でるような言の葉をあゝ、わたしは・気遣うことなく、思いを・思ったのねえ)

 


 貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう「言の戯れ」を知る

 「いもうと…妹…異母妹・同母妹」「をかし…魅力ある…犯し」「見をりて…見て居て…思って居て…見て折って…見て降りて」「見…覯…媾…まぐあい」「ね…根(おとこ)…寝(寝心地)…音…声(その時の声)」「わか草…若草…若い女…わが草…我が女」「草…言の心は女」「きこえけり…申し上げた…伝え聞いた(間接に聞いた)」。

「はつ草…初草…春の若草…初めての女」「めづらしき…珍しい…好ましい…愛でたい」「ことのは…言の葉…言の端…漏らした言葉」「うらなく…裏なく…隠さず…遠慮なく…心なく…気づかいせず…うっかりして」「もの…言い難きこと…あの時の思い」「かな…感動・感嘆を表す」。

 

 「見る」の意味を「目で見る」「思う」と定めれば、琴でも弾く妹を可愛いと思いながら、良い音色を聞いている兄君のつぶやきに、妹が、「いま、兄君はみだらなことを思ったでしょう」と返したと読める。これが、この章の「清げな姿」である。


 「見る」という言葉は、浮言綺語のように戯れる。「源氏物語」では「妻とする」「異性と関係を持つ」ことに用いられてあると、現代の古語辞典にもある。もとより、古代より、「見る」には、「みとのまぐあひ」「まぐあひ」という意味があったのである。にもかかわらず、底の意味を「下劣」なまでに解釈することができないのは、近代人の理性と倫理観と言語観と、解釈を学問にしたことが邪魔するのだろう。そのようなしがらみとは、全く無関係な千数百年前の物語なのである。しがらみのない文脈に立ち入って読み直している。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)