帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (四十八)  むまのはなむけせんとて

2016-06-03 19:44:42 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。


 

伊勢物語(四十八)むまのはなむけせんとて

 

むかし、おとこ有けり(昔、男がいた…武樫おとこがあった)。むまのはなむけ(馬の鼻向け…餞別の贈物)しょうと、人を待っていたのに、来なかったので、

今ぞしるくるしき物と人またむ  さとをばかれずとふべかりけり

 (今ぞ知る苦しいものと、人を待っているだろう、女の・里は、離れることなく訪れるべきだなあ…今ぞ・井間ぞ、知る苦しきものと、人を・人お、待っているだろうさ門、おは、涸れることなく、訪問するべきだなあ)

 

 

貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る

 「むまのはなむけ…馬の鼻向け…餞別…武間のはなむけ」「むま…うま…馬…言の心は男…おとこ」「はな…鼻…花…先端…土佐日記で貫之は『船路なれど馬の鼻向けす』と冗談を言うが、船なら『夫根のはなむけ…おとこの贈物』だろうということ」「こ…来…くる…ゆく…逝く」。

「いま…今…井間…おんな」「さと…里…女…さ門…おんな」「さ…美称」「かれず…離れず…間を置かず…涸れず」「とふ…問う…安否を尋ねる…訪れる…訪問する」「べかりけり…(訪問)しなければならない…(訪問)したほうがいい」「けり…気づき・詠嘆」。

 

 よけいなことながら、さ門を、おとずれて贈るものを、白つゆ・白玉・白ゆきなどという。これは、おとこの情念のこもった贈物である。涸れずに贈りつづけなければならないのか、続けるのが適当なのかあと、詠嘆を伴うだろう。おとこの本性は、その程度のものであることを表している。


 (2016・6月、旧稿を全面改訂しました)