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帯とけの枕草子〔百二十二〕はしたなきもの
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百二十二〕はしたなきもの
間が悪く気まずいもの、違う人を呼んでいるのに、わたしだと出てくる、物など与える時はなおなおさら。
たまに他人の身の上など言いだして悪く言うとき、幼い子どもが聞き取って、その人が居るときに言い出している。
哀れな事などを人が言い出し泣きだしたりするときに、たしかにとっても哀れだなあなどと聞きながら涙が出てこない。いとはしたなし(ひどくきまりが悪い)。泣き顔を作り気色を違えてみても全く効果はない。
愛でたいことを聞くときには、まっ先にただもう涙が出てくる出てくる(はしたないことよ)。
(岩清水)八幡の行幸のお帰りに、女院(主上の御母上)の御桟敷の彼方に、主上の御輿を停めて、御挨拶を申しあげられる、格別のことでとっても愛でたいので、ほんとうに涙がこぼれるばかりで、化粧した顔もみな洗われて、どれほど見苦しいことでしょうか。宣旨の使(主上のお言葉をお伝えする使者)として、斉信の宰相の中将が御桟敷へ参られたのは、とっても立派に見えたのだ。ただ随身四人、たいそう装束を調えた馬副が弱々しく顔白く仕立てて、二条の大路の広く清げなところに、愛でたい馬をうち速め、急ぎ参って、少し遠くで降りて、女院のそばの御簾の前に控えられたのなど、いとをかし(とってもすばらしい)。
ご返事を承ってまた御輿のもとにて奏し給う様子は、いふもおろかなり(言うも愚かである…言い表わせるわけがない)。そうして、主上がお通りになられるのを、ご覧になられる、御母上の・御心の内を、思い遣り参らせると、とびたちぬべくこそおぼえしか(飛び上がってしまいそうと思えたのだ……わたしなら、わが子のもとへ飛び発ってしまうでしょうと思われたのだ)。それには長泣きをして笑われたのだった。
ふつうの人でさえ、やはり子の立派なのは、とっても愛でたいものなので、このように、思いを推察してさしあげるものの、かしこしや(おそれ多いことかな)。
言の戯れと言の心
「はしたなし…ぐあいがわるい…気まずい…きまりがわるい」「とびたちぬべく…(感激で)飛びあがってしまいそう…(我が子のもとへ)飛んでいってしまいそう」「とびたつ…飛び上がる…鳥が飛び立つ」「鳥…女…鳥の言の心が女であることは理屈で定まったのではない、神世に女神の沼河ひめが、『我が心浦すの鳥ぞ、今こそは、我鳥にあらめ、後は汝鳥にあらむを――』と謡われた時、すでに鳥の言の心は女」。
主上の岩清水八幡宮行幸は、長徳元年(995)十二月のこと。この四月には、殿(関白道隆)が亡くなられて、道長と伊周・家隆との政権闘争は激化していた。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による