いよいよ夏らしくなって来た。
川風が心地良い。
常夜燈と鐘楼がまるで親子みたいだ。
玄関から庭への通路に小さなギャラリーがある。
右側にはむべ棚があり、小さな花をつけていた。
”むべなるかな”・・いかにももっともなことであるなあ。
天智天皇の言葉・・・・遠い昔に意味を聞いた記憶が甦る。
奥多摩の自然と食を満喫して、
そろそろ岐路に発つ前に立ち寄った茶房”むべ”。
昼食を摂ったお店の紹介だったが、
なんともウェルカムな玄関で、こじんまりした店なれど、
ミニギャラリーも併設した粋な造り。
店内よりも屋外が好みにて、
手入れの行き届いた庭にて煎茶を頂く。
無粋な男ばかりの6人連れ、サービスの都度に
花木の名を訊ねる、われ等をどう見たであろうか?
この店にて今回の旅は終わり。
来年の予定も決めて、名古屋と東京へ行き別れ。
東京の最西に位置する檜原村を訪ねた。
多摩川の源となる南秋川源流の里。
三頭山系の標高650メートルの台地に500年を経た
”かぶと棟”の旧家、たから荘へ投宿。
連休最後の日程に春を2度味わった思いだ。
山桜、山吹、たんちょう草、ひめうつぎ、はなみずき・・・
ここが東京とは思えない景色が続く山間だ。
毎年恒例の同窓旅行だが、
昨秋、逝った友の墓参を兼ねての旅程に変更。
山家の素朴な料理に舌鼓、山好きな我等は皆
飲みすぎながらも、昔話に夜の更けるのも忘れる。
昨年に比べて一人減ってしまったが、
彼にとっても良い弔いになった事と思う。
大正村はいわゆる博物館、テーマパークではない。
明治村、江戸村とは趣きが違う。
度々、この辺りを通るのだが、それは表道路であって、
一歩入り込んだ道は通らなかった。
以前も一度、車で通りながら大正村って何処なんだろと
思いながら走り過ぎた事がある。
言わば、普通の町があるべき姿でそのまま残っている町だ。
幾つかの施設に入るのは有料となるが
普通に散策するが、得策だ。
どの町にも此処のような風景は残っているだろうし、
ついこの間までは見慣れた景色であった筈だ。
遠くて近い懐かしい景色。
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大正という時代は短い事もあり、
歴史的に語るには知識を持たない。
思い起こすは、竹久夢二、武者小路実篤、関東大震災くらいか。
明治以来の文明開化の波が庶民の生活の中にも定着した時代。
国家に変わって個人というものの重みを感じる新しい時代。
デモクラシーが叫ばれ、自由が謳歌された時代。
今に通ずる基本的な事が根付き始めた時代という事か。
未だ至らぬ国が数多くある事に今更ながら考えてしまった。
山間の”道の駅”まで山菜を求めて出向く。
いつもなら、釣りのついでに少しくらいは採取するのだが、
今年はまだ一度も川に釣行していない。
街ではめったに手に入らないので買うしかない。
さしたる渋滞もなく、昼過ぎには目的地に着いたのだが、
駐車場が一杯で入る事すらできない。
さっさとあきらめ、近くの大正村を目指す事にした。
往時の面影を残す町並では地元の人達を中心に
様々なイベントが行われていた。
人力車、女剣劇、ちんどんやが町を練り歩く。
遅い昼食を賑わいから外れた旧い食堂で摂った。
空いてる時間帯もあって、ご主人と会話を交わす。
入れ違いの先客は福島からの移宅で近くの町に
身を寄せている人と聞く。
恐らく、懐かしい町並に、ほっとしたひと時を過ごせたに
違いない。良かった、良かった。
当のご主人は意外にも私の住む辺りに詳しくて
会話が弾み、
帰りしなに自前の”こしあぶら”まで頂戴した。
結果的には、
目的の品を意外にも違うところで手に入れてしまった。
結構、結構。旅の面白さというのは正しく、
こういった人との出会い、偶然の出来事だと改めて思う。
連休の賑わいも此処まではとどかない。
白鳥庭園は清羽亭の腰掛待合。
ひっそりと佇む。
The bustle of the holidays can not reach far.
Stands quietly.
春だというに寒い。
時折の冷たい雨と風が強い日となった。
遠出はしないと決め込み白鳥庭園へ。
晴羽亭の蹲踞に花一輪。
静寂の中、なんだかほっとする。