雪・・積もり始めました。
ひな祭りの夜、隣の家の屋根の上・・もうこんなに積ってしまってます。
雪が舞っているのも、上手くデジカメに写りました
珍しく、娘が「いいじゃん!」と褒めてくれましたぁ。
ちょっと前まで、もう春かと思うくらいに暖かくなっていたのに。
何故に今頃降るんだろうなぁ~。
やっぱり、一回くらい降っておこうか・・なんて空が思っちゃったかなぁ。
私の家の花、こんなに春っぽく咲き始めていました。
こりゃもう・・ビックリですね。
過保護な私・・今日は動かせるプランターや植木鉢は雪の積らない場所に退避させました。
箱庭のプランターや、根性スミレは・・雪の下に埋もれちゃったです
でも・・きっとまた、逞しく返り咲き(意味が違いますね・・)してくれることでしょう。
母の退院が、四月一日に決まりました。
二月終わり、カルテに「退院予定四月一日」と書き込まれました。
二月最終週に、リハビリの先生から、今後のリハビリ計画の説明がありました。
そして、もう一度、家族としての最終目標を聞かれました。
つまり、在宅に戻るか・・施設に行くか・・で病院でのリハビリが変わってくるわけです。
というか・・例えば施設へいくようならば、そこには複数名の介助者がいる。
けれど、在宅ならば・・家族と、介護保険を使っての介護生活となるわけで・・その為に介護される側も、やはりそれなりの状態になっていないと・・単身在宅介護では共倒れの恐れがあるということです。
行く施設が確保されているなら、骨折さえ治れば・・退院も可能ということになるようです。
入院している病院は、救急病院でもあり、突然の入院患者さんもいます。
回復期のリハビリ病棟もあるので、、リハビリを望んでベットを待っている患者さんもいるわけです。
リハビリの先生も、その時は同じ考えだったようです。
その頃は、本当にきつかった。
いろいろ考えて・・父とも何度も口論になりました・・。
精神的にも、肉体的にも・・今までにないくらいに追い込まれたような気もします。
身体中が緊張し、鉄板のようになってしまった私自身でした。
病院には、母のことを考えてくださっている看護士さんやスタッフさんがいます。
お任せして、私はノンビリ過せばいい・・なのにそうは思えなかったんです。
変な気を使って、クタクタになっていました。
高次脳機能障害という、実にややこしい後遺症を抱えている母、私が病院へ行くたびに・・いろいろなことを訴えました。
本当のところは、わからなかったりもします。
意地悪をされているとか・・優しくしてもらっているとか・・言ってることに一貫性もありません。
思い込んでいたり、実は他の人のことだったり・・。
在宅中も、そういうことは沢山ありました。
それをわかっているのに、母が私にぶつける全ての言葉・・その度に、全部受け止めていた私は、やはり病院に対して不信感も拭えなかったし、母に対しても説教じみたことばかりを言って、喧嘩になったり。
病院へ行くたびに、緊張して・・すっかり疲れてしまいました。
毎日同じ時間を空けて、病院へ通うことも・・たかが数時間のことであるにも係わらず・・かなり苦痛になっていました。
長い年月、通所介護をされてる方も沢山いらっしゃいますよね。
ホントに・・大変なことだと思いました。
父も、母の入院中に、何度か不整脈もでており・・父と娘と・・お互いに心配をしていました。
このまま在宅を続けていくことが出来るのか。
母の、もろくなっている危うい麻痺足、リハビリをこのまま続けて、骨折前の状態に戻るんだろうか。
骨折前も、かなりギリギリのところで在宅介護をしていた私です。
すいません・・何故・・にか、続きが全て消えており・・お友達に教えてもらうまで、全然気が付きませんでした。
何故だろ・・不思議だ。
確かに・・この先もあったはずなのに・・突然消えてる?!もしかして・・最初から消えてた?
うぅ~~~変だ・・。
変なのは・・私だろうか?
ということで・・
中途半端な記事であったことを、お詫びいたします。
あ~~~びっくりしてしまった・・。
何を書いていたか・・忘れてしまいました。
また、ゆっくりと更新してまいりますので・・また覗きにいらしてくださいね