明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

叔父のこと。

2012年05月08日 | 携帯電話

実は書いてみたものの・・叔父の病名が確定したらUPしようと思っていた記事です。

4月14日、母の一番下の妹が新潟から、施設にいる母に会いに来てくれました。
自分のやっていることの集まりが、東京であるので、その前に「ねぇちゃんに会いたい」言ってくれました。
旦那が駅まで迎えに行ってくれて、母と久々の再会。
母は、特養にその叔母と似た感じのワーカーさんがいて、なんだかこんがらがっている様でした。

母の妹弟は多いのですが、みんな遠い所にいるので、近くに住んでいる叔父以外は、母が施設に入っても面会に来てはくれませんでした。
実は・・それがとても悲しくもありましたが、それぞれの生活もあることですし、仕方ないのでしょうね。

来てくれた叔母は、私とも10歳くらいしか違わないのですが、とにかく忙しい人です。
実家のお寺を継いでいるので、お経を読みに歩き回りますし・・民生委員もしており・・多忙です。
おまけに、子供にお弁当を・・だったかの推進もしていて・・日々忙しく動き回っている叔母です。

でも、母が病院に入院しているときは何回も来てくれていましたし、在宅介護中も今回のように会いに来てくれていました。

その叔母から・・昨日、叔父の話を聞きました。
私が体調を崩していたこともあったのか、私は知らないでいました。

誰よりも頼りにしていた、叔父でした。
昨年、食道癌の手術をしてからは・・めっきり弱くなってしまった叔父でしたが、それは病気と闘ったのですから、仕方ないことだと思っていました。
二月には、ヨタヨタしながら特養にいる母に会いにも来てくれました。

特養からも、母に叔父の声を聞かせたくて、私はよく叔父に電話をしていました。
3月の14日・・一ヶ月前になりますが、それが母と叔父との最後の会話になってしまいました。
あの時も母の話を、根気強く聞いてくれていた叔父だったんです。
その後は、お散歩に出ることが多くて・・叔父に電話をすることを、何故かしていませんでした。
でも、元気でいると思っていたのです。

母とは本当に仲が良く、私が小さい頃からいつも母の近くにいたように思います。
子供のいない夫婦なので、私や私の娘達のことも、とても可愛がってくれました。
母がこうなってしまってからは、仕事の途中でも時間があると、母に会いに来てくれていた伯父でした。

どうしようか迷いましたが、叔母の携帯に電話をしました。
一週間に一度は、電話をしていたのに・・何故なのか・・この数週間はかけていなかった私。
その数週間に、叔父の様子がおかしくなっていたなんて。

「久美子ちゃん・・おじちゃん、頭が壊れちゃったの」

叔母の第一声でした。

叔母に聞いたことは言わず「どうしたの?何があったの?」と・・聞いたところ・・。

「お彼岸に、お墓参りに行けなかったの・・いつも必ず行っていたのに、歩けないって」

それが始まりだったようです。

 

お散歩に出かけた叔父が、いつまでたっても帰って来ず・・心配した叔母が携帯で場所を確認して、迎えに行ったところ、足が前に出なかったようです。
手をつないで自宅に戻り・・歩き方があまりにもおかしいということで、叔父が癌でかかっていた近くの病院へ連れて行ったそうです。

確かに、叔父の歩き方・・少し違っていました。
一歩づつではなく・・ちょこちょこと小刻みに歩く感じでした。
家の中で、よく転ぶんだと話していたことも・・・

連れて行った病院では、確実な答えが出せないとのことで、別の病院の神経内科の紹介状をもらい、再び病院へ。

おそらく・・レビー小体型認知症ではないかと・・身体的に診て、パーキンソンも併発しているのではないかと言われたそうです。

そして再度、大学病院への紹介状をもらい、MRIや核医学検査を経て・・病名が確定しました。

 

ある日突然・・・

晴天の霹靂。 


もう一つ・・

2012年05月08日 | 携帯電話

  ピース!

特養のまわり、木香バラやツツジが綺麗に咲いています。
私が箱庭を作るのは、母が花が好きだったからです。
今も、花の名前を教えてくれます。

父にメールを送るからって、半ば無理やり・・笑ってって言ったら、ピースをしてくれました。

私が特養に着くと、前歯のない口をモゴモゴさせてオヤツ中でした。
食べにくそうで可哀想だったけど・・頑張ってました。
早く歯が出来るといいねぇ~
新しい歯の出来た父は、それがまた合わず・・今日も訪問歯科の先生、夜の7時から8時近くまで頑張ってくれてました。
ミキサー食も限界で・・何しろ、歯茎自体が痛いわけゆえ・・
今日は離乳食を買ってみました。
訪問歯科の後の食事・・今もまだ、食べております。

母は、いまだに特養にいることに気がついていないようです。
いまいち天気は良くなかったのですが、半ば無理やり外へ連れ出しました。
お散歩をしていても、帰りの車に乗り遅れたくないから、早く元いた場所に戻りたいとそればかり言ってる母でした。
毎回毎回・・いい加減に私も慣れればいいものですが・・なかなかね。

静かに過ぎていく母の時間・・生きていることだけで嬉しいけど・・母の気持ちはどうなんだろう・・。
いえいえ、考えるのはやめにしましょう。

日々・・立ち止まることなく、なんやかやと家にずっといる日がないような。
昨日のブロック注射は、なんだかチットモ効いてないしぃ~~痛いの痛いの飛んでいけ~~~~
多分、明日からまたお天気が悪くなりそうなので、そのせいもあるかと思いますが・・やっぱり痛いなぁ。

がしかし・・・もうひとつ・・もう一ヶ所・・・これから自転車を走らせて行かなきゃいけない場所が出来てしまいました。
母の弟、母とは一番の仲良しで、唯一同県に住んでいて何かと世話になっていました。
小さい頃からいつも近くにいたその叔父が、突然一ヶ月前に「レビー小体認知症プラスパーキンソン病」になってしまったのでした。
病名がわかって一ヶ月半、既に母の認知症状を超えています。
アルツハイマー型の十倍の速さで認知症状が落ちていくそうです。
今は良い薬も出ているようで、その結果か症状は落ち着いているようですが・・パーキンソンも併発している為に、目が離せない状態です。
去年、食道癌の手術をして・・回復に向っているはずの叔父でした。
その時に、介護保険の申請をして、要支援2ではありましたが・・再申請をして結果は来月出るそうです。

子供のいない叔父夫婦、もう共に70過ぎの老夫婦です。
叔父より一回り近く年上の叔母は、母よりも実は年上なのです。
その叔母が、私を呼んでいるのでした。
「大丈夫よ!」って笑ってた叔母でしたが、今日・・SOSのメールが来ました。
行かなきゃ・・です。
今の私に何が出来るかわかりませんが、とにかく様子を見てこなくては・・。
電車の乗り換え二つアリで自宅から45分。自転車なら30分・・・。やっぱり自転車の方が楽かな。
もう一つ、頑張らなきゃです。