あれよあれよの11月です。
歳を一つとってからの暫くは、バイクで高速道路を走っているような感じ?
信号の無い、真っ直ぐな道を、とにかくひた走る~みたいな・・少し焦ります。
少したてば落ち着いてきて、いつもの時間の速さになるんですけど、この時期はいつもなんだか気持ちだけが慌てます。私だけでなく・・師走間際だから、誰でもそうかもしれませんね。
そんな中、いろいろとあった一週間でした。
20日(水)高校時代の旧友と、久々に会いました。
前回会ったのが、二年位前かな・・
その時の彼女には、ま~るくなった身体や雰囲気に、年の流れを感じたものでした。
高校時代の彼女は、ストレートの長い髪をした華奢な美人さんで、そう!石原〇理子によく似ていました。
最近はメールのやり取りをしていたので、二年も会っていないような感じがしませんでしたが、ナント前回会った時より10キロ以上も痩せたと言う彼女、あ~らま、高校時代の雰囲気がアリアリでした。
彼女とは、17歳からの付き合いで、くっついたり離れたり・・ベッタリとした付き合いではありませんでしたが、大事な友達の一人です。
彼女は、波乱万丈な人生を歩んでいました。
今は、穏やかに微笑む、優しい彼女です。
両親の介護の悩みを除けば・・旦那様を大事に思う、素敵な奥様。
あ~ら、私と、なんら変わりはありませんねぇ~~うふふ。
待ち合わせは、成城学園でした。
よくこの町の図書館で、一緒に勉強していたらしい・・私と、久々にお散歩がてらランチしようって。
私は・・あまり覚えておらず・・図書館で勉強?・・うぅ~~~ん・・遊びに行ってたかもしれませんが・・勉強したかなぁ。
高校も自宅も、成城学園の隣の隣の駅にありましたから、そんなこともあったかもしれません。
駅に着いて、改札口を出たところに彼女が待っていました。
私が手を振って彼女に近づくと、駆け寄って来た彼女ったら、私に抱きつきましたぁ~~
きゃ~~女の人に抱きつかれちゃうなんて、なんとも不思議な感じ~~
そうだった!彼女はやっぱり、彼女だったぁ。
なんだか妙に照れてしまいましたが、昔から、それが彼女だったんだぁ。
ランチをしたのは、成城学園の駅ビルの中の「中国家庭料理」のお店でした。
流石、高級住宅地のある駅です・・と、私は思ってしまいました。
見回せば、みなさん素敵な装いをしていらっしゃる。
私と言えば、Gパンにシャツにダウンジャケット。なんだかちょっと場違いな~感じ。
美味しいランチを頂きましたが、写メはちょっと憚られ、お上品に頂きました。
それでも前菜に出た、地野菜のバーニャカウダは、本当に美味しくてお替わりしてしまいました(食べ放題なのですが、一回だけにしときました。あはは)
駅ビルを降りて、コーヒーを飲みに、喫茶店へ入りました。
なんとなく見覚えのある駅周辺。
確かに、学生の時は何度も降りていた場所なのですが、すっかり記憶から消えていました。
お喋りしながらコーヒーを飲んだ後、高校まで行ってみようよ!ってことになりました。
成城学園から電車で二駅の、千歳船橋に高校はありました。
そして、私が産まれて20歳まで住んでいた場所でもありました。
幼稚園から、高校まで、私は徒歩で通っていました。
家から駅、踏切を渡って・・って。
けれど駅は高架になり、改札口も二階に。
踏み切りはもうありません。
線路と改札口と、ホームだけの駅では、もうありませんでした。
改札口を抜けて、階段を下りると、すっかり綺麗になった見知らぬ駅前がありました。
高校時代に通ったクレープ屋さんは、もうありません。
でも、駅前の文具店や、パチンコ屋さんはあります・・店構えは新しく変わっているような気もしますが、確か同じ名前。
方向音痴の私は、まったく高校への通学路を忘れていました。
なんでだろう・・全く覚えていないんです。
彼女が、こっちだよ!という方向へ歩き出し、懐かしいパン屋さんを発見!
よくピザパンを買いました。ピザソースだけの・・ピザパンです。
けれどその道を過ぎた頃、彼女と私はすっかり迷子になりました。
で・・辿り着いたのが、高校の裏側でした。
建物沿いに、ゆっくり歩くと・・懐かしい校門がありました。
古ぼけた体育館、卓球部の私の放課後を思い出しました。
校舎が二つに分かれていて、渡り廊下で繋がっています。
その渡り廊下で、友達と喋ったり・・喧嘩したり。
屋上へ向う階段に座り込んで、友達5人とよく歌っていました。
スライド写真を見ているような、途切れ途切れの思い出だけど、あの頃の私は、本当に楽しかった。自由で、明るい高校生活でした。その時なりの悩みもあったし、友情も知り、そうそう・・恋もあったなぁ~アハハ
当時は珍しく、私服の高校でしたが、平日の夕方・・ちょうど下校する学生さん、今時の素敵な制服を着ていました。
おばさんが二人、学校の周りをうろついて・・ちょっと怪しく思ったかもです。
腰や足の裏の痛いのも忘れて、なんだか気持ちがはしゃいでしまいました。
駅に戻ると、彼女が、私の家のあった場所まで行ってみようと言ってくれました。
高校とは駅を挟んで反対側。
高校への通学路はすっかり忘れている私も、住んでいた家まではしっかりと覚えています。
高校時代にバイトをしていた文房具屋さん。今もありました。随分・・小さかったんだぁ。
露店のような、小さな靴屋さんも、まだそこに・・角を曲がった所には、鯛焼き屋さん・・懐かしい商店街が続いています。
自転車屋さんに、お肉屋さん。小さなお肉屋さんだったのに、今はビルの一階収まっていました。コロッケ、美味しかったなぁ。
お蕎麦やさんも、ラーメン屋さんも洋食屋さんは・・もうありません。
商店街の中心のお稲荷さん。
この稲荷神社、沢山の思い出があります。
母に連れられての盆踊り・・やぐらの上に上がるのが嫌で、泣いたっけなぁ~
大きなイチョウの木があって、ビニール袋を持って・・銀杏拾いに行ったっけなぁ~
あの時の私を見ていた銀杏の木。今も大きくそびえています。
高校から徒歩で行ける我が家は、友達が放課後によく集まる場所でもありました。
三軒長屋、真ん中のお店の洋服屋さんが我が家でした。
お店の奥に、我が家がありました。お風呂もない、小さな小さな部屋でした。
二階部分はアパートになっていて、いつからだったか、その一部屋を私の部屋として借りてもらっていました。6畳一間の小さな部屋。そこに男女関係なく友達が集まって大騒ぎをしていました。
20歳になったばかりの冬・・二階の私の隣の部屋から出火して・・長屋の全てが焼けてしまいました。
あれから33年。
今はもう、すっかり変わっていたその場所。燃えちゃったんだから、当たり前ですが。
クリーニング屋さん、新聞屋さん、洋服屋さんの我が家でした。
同じ場所にクリーニング屋さんがあったけれど、名前が違うから・・別の家族が住んでいるようです。
家のまわりも、すっかり変わっていました。
けれど家の前あたり、懐かしい表札が二軒ありました。
新しい綺麗な家に建て替えられて並んでいました。
今も、おばちゃん、おじちゃん達が住んでいるのでしょうか・・今回は通り過ぎるだけにしました。いつか訪ねてみたいなぁ。
あちこち携帯で、写真を撮って、両親に見せようと思ったけれど・・結局見せられませんでした。
両親にとっては、悲しい場所のような気がして・・
この場所で、両親は息子と住まいを失くしたから。
またもう少し時間が過ぎたら・・今度は娘達と来てみたいと思っています。
毎日通ったお風呂屋さんは、今でもそこにあるのかなぁ~と、何故かとても気になってる私なので。