明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

苦しい

2015年02月19日 | 母の話
今日は、病院に泊まることにした。

母の小さなア~と言う呻き声を聞きながら、長い夜を過ごしている。

悲しくて、一人になると泣けてくる。

昼間は、父も長女もいたから、泣きはしなかったけど。



昨日は、落ち着いてるように見えた母だった。
昼過ぎから、夜7時まで、母の側に長女といた。
何を喋っているのか、わからない時もあったけど、孫の名前を呼んだり、気を付けて帰りなさいとか、よく話してくれた。
酸素濃度も、90%を超えていた。

もしかしたら、元気になるかもしれない。
そんな風にさえ、思えた。

痰の吸引器には、透明な痰が吸い取られていたし、一昨日の吸引器の中は赤かったから、少しは良くなっているのかと思った。
なので、昨日は、泊まらずに帰った。


今日は、父を連れて、仕事が偶然連休の長女と、昼過ぎに三人で来た。

痰の吸引器の中は、再び赤い。
口の周り、鼻の穴の周りには、血が付着していた。
既に、何度も吸引をしたようだった。

酸素濃度が、上がらない。
普通の人は、97以上らしい。
母は80台を彷徨い、痰が絡み始めると50台にまで下がった。

苦しそうに、胸が痛いと言っている。
泣き言を絶対に言わない母が、痛みを訴える。
あ~と呻く声が、大きくなる。

酸素が血液に入らない、身体のあちこちが、不全になる。

父は、疲れ果てている。
85歳だもの、無理もない。
長女が、連れて帰ってれた。

ホント、頼りになる娘を産めた。
育てたのは、今、死の淵にいる母みたいなもんだけれど。
だからこそ、娘はおばぁちゃんの側にいたがるんだろな。




担当医師が、今日のレントゲンの結果を話してくれた。
入院した日、転送した日、今回。
三枚を比べる。
黒い部分が、極端に少ないのが、昨日の母の肺だ。

蜘蛛の巣は、母の肺に巣を作ってる。
最早、黒い部分が無いほどに。



母の身体が辛い時、私の身体も辛くなる。
昔から、そうだった。
母が転ぶと、私も転んだ。
母が熱を出すと、私も熱が出る。

今は、母の息が苦しい。

私も、上手く息ができない。


段々、また、酸素濃度が低くなってきた。

大丈夫だろうか。

身体中が、浮腫んでいる


大丈夫?としか、聞けない。

頑張れ!とは、もう言いたくない。
もう、頑張らなくていい。

がん末期の人には、ホスピスがあるのに、肺炎末期の人は、苦しいまんまなのか?
痛みを取っやってほしい。

生きている限り、苦しいのだろうか。
生きていり限り、痛いのだろうか。

浮腫んでパンパンになった母の顔。
皺がなくて、こんなに若く見える。
十年前の、大学病院のICUにいた母を思い出した。



母が生きたいならば、全力で応援しなきゃいけない。

仮に、動けなくても、、

胃に穴を開けても、、





神様、仏様、宏史、、

先に死んでしまった、仲良しのご近所のおばちゃん達、もう、母を連れて行ってもいいよ。

母が、どんなにか皆んなと会いたいか。

あんなに仲良しだった、靴屋のおばちゃん。
母は、おばちゃんが死んだことすら、知らないけど。

薬屋のおばちゃん、豆腐屋のおばちゃん、クリーニング屋のおばちゃん、

もう、母を頼みます。
連れて行ってあげて欲しい。


ヒロシ、約束守れない。
ごめん。
最後まで、姉ちゃんは、励ませないかもしれない。