私は、、、
母が69歳の時に、脳動脈瘤のコイル塞栓術中に脳梗塞を発症した時から、仕事を辞めて専業主婦になり、両親の在宅介護を始めた。
当時、44歳。
今は、56歳だから、、、
もう12年になる。
まだ、12年か?
母は、要介護4で、在宅介護を始めた。
亡くなったのは、80歳になったばかりの時。
約10年、本当に頑張ってた。
私みたいに文句も言わず、一生懸命に生きていた。
時には荒れたりもしたけど、それは当たり前だと思う。
父も、母と同時期に介護申請をした。
当時、父は75歳。
心臓弁置換手術をしていたし、胃腸やら、なんやら、身体は丈夫ではなく、変な話だけど、母の方が元気で長生きすると思っていた。
まさか、妻の介護をするなんて、父も思っていなかったろな。
もちろん、私も思ってなかった。
当時、要支援2だったかなぁ。
母の在宅介護を始めるにあたって、父の身体も心配だったし、何しろ病的に几帳面な父だから、私一人ではダブル介護は出来ないと思ったから。
認定されて、訪問看護師さんと、ヘルパーさんに、父の部屋の掃除を頼めた。
でも、まだ、一人で病院へも行けたし、母の介護を力仕事以外は出来ないまでも、一緒にしてくれていた。
母には、出来る範囲の支援を受けて、何とかダブル介護が始まった。
私もまだ元気で、丈夫だけが取り柄みたいなもんだったから、必死で両親の介護をしていた。
パソコンで、いろんな事を調べた。
夜中に、介護ブログで知り合った友人と、活字だけど話をしたり、、、情報交換したり。
それが、どれだけ救いになったか分からない。
もう介護を終えて、疎遠になってしまった友人もいるけど、、、本当に、楽しかったよ。
今は、その時間は寝てしまう。
やはり、若かったし、元気だったんだと思うのだ。
まだ50代で、何を言っているのやら、だけどね。
何より、旦那のおかげだな。
感謝しかない。
本人は、そんなつもりも無いかもだけど、私の全てを、支えてくれている。
いつも、私の好きにさせてくれて、側にいてくれている。
たまにイラっとするけど、それはお互い様で、、、
多分、私がイラっとすることは、単なる我儘なんだろな、、、とも思う。
一人娘の私と両親の為に、両親の住んでいた土地に、同居出来る、三階建で新居を建ててくれた旦那。
自分の両親は、スイカ農家で、義兄家族と住んでいて、年に一度しか会えないのにね。
これがさ、本当に優しい義両親で、私の両親の介護にも、絶対的に理解を示してくれて、文句どころか、今現在も、父を大事にしなさいと言ってくれている。
仏様みたいな、義両親なのだ。
もちろん、義兄夫婦も、とても優しい人達だ。
そんな義母も、一年半の入院を経て、今年自宅に帰ってこれた。
田舎の農家で、本家の嫁である義姉は、本当に大変だったと思う。
今だって、大変だ。
何にも出来ない、愚嫁の私は、いつもいつも感謝しかない。
義姉には、弟さんがいて、父親が他界した今は、一緒に暮らしているらしい。
義母は、、、
皆んな、一人じゃないから大丈夫!
いつも、そう言ってくれていた。
高校を卒業して、大学からはずっと両親と離れて暮らす次男である旦那。
県外とはいえ、近い所に就職したのに、まさかの転勤で東京へ。
そこで出会った私と、結婚して、、、
親と滅多に会えない場所で暮らすとはね。
義両親は、寂しかったろうな。
寂しい、、、
けど、子供が元気なら、幸せなら、離れていても何も変わらないのが、親子なはずだよね。
もちろん、一緒に暮らせていられるなら、それはそれで、とても幸せな事。
今、私の年子の娘達も、まだ結婚はしていないものの、二人ともに彼氏がいて幸せそうだ。
少しづつ離れていく娘達を見ながら、淋しいなぁ〜とも、思ってしまう私。
多分、義両親も、、、そうだったんだろな。
何を書いているのかよく分からなくなったなぁ。
ま、いいか。
今年も、義両親に会いに行けた。
二人とも、確かに歳は重ねたし、不自由な事も抱えているけど、お元気そうで安心した。
しかも、久々に娘二人も一緒に行けたから、次男の孫にも会わせられて、本当に良かった。
私は腰が心配で、帰省をギリギリまで迷ってだったけど。
クルマもノアからパッソになって、どうなる事やらだったけど。
行けて、凄く楽しくて、痛いのも忘れて結構歩いちゃった。

帰りは一泊して、、、
念願の場所へも行けた。


伊勢神宮。
内宮、外宮。

松坂牛の串焼き食べたり、伊勢うどんも食べてこれたよ。

夫婦岩の近くで一泊して、川の字プラスワンで寝てさ。
アドレナリン出まくりで、あまり痛くなかったのかしら。
やはり、病は気からか?
実は、大した事ないのか?
今は、、、やっぱり痛いんだから、笑えちゃう。
これからまだいろんな事があるだろうけど、私は間違いなく幸せだから、、、
笑いながら頑張ろ。
それに、いつも、ギリギリのところで、大逆転をして、更に幸せになっている。
だから、きっと大丈夫。
いや、絶対に大丈夫。
頑張ろっ!
母が69歳の時に、脳動脈瘤のコイル塞栓術中に脳梗塞を発症した時から、仕事を辞めて専業主婦になり、両親の在宅介護を始めた。
当時、44歳。
今は、56歳だから、、、
もう12年になる。
まだ、12年か?
母は、要介護4で、在宅介護を始めた。
亡くなったのは、80歳になったばかりの時。
約10年、本当に頑張ってた。
私みたいに文句も言わず、一生懸命に生きていた。
時には荒れたりもしたけど、それは当たり前だと思う。
父も、母と同時期に介護申請をした。
当時、父は75歳。
心臓弁置換手術をしていたし、胃腸やら、なんやら、身体は丈夫ではなく、変な話だけど、母の方が元気で長生きすると思っていた。
まさか、妻の介護をするなんて、父も思っていなかったろな。
もちろん、私も思ってなかった。
当時、要支援2だったかなぁ。
母の在宅介護を始めるにあたって、父の身体も心配だったし、何しろ病的に几帳面な父だから、私一人ではダブル介護は出来ないと思ったから。
認定されて、訪問看護師さんと、ヘルパーさんに、父の部屋の掃除を頼めた。
でも、まだ、一人で病院へも行けたし、母の介護を力仕事以外は出来ないまでも、一緒にしてくれていた。
母には、出来る範囲の支援を受けて、何とかダブル介護が始まった。
私もまだ元気で、丈夫だけが取り柄みたいなもんだったから、必死で両親の介護をしていた。
パソコンで、いろんな事を調べた。
夜中に、介護ブログで知り合った友人と、活字だけど話をしたり、、、情報交換したり。
それが、どれだけ救いになったか分からない。
もう介護を終えて、疎遠になってしまった友人もいるけど、、、本当に、楽しかったよ。
今は、その時間は寝てしまう。
やはり、若かったし、元気だったんだと思うのだ。
まだ50代で、何を言っているのやら、だけどね。
何より、旦那のおかげだな。
感謝しかない。
本人は、そんなつもりも無いかもだけど、私の全てを、支えてくれている。
いつも、私の好きにさせてくれて、側にいてくれている。
たまにイラっとするけど、それはお互い様で、、、
多分、私がイラっとすることは、単なる我儘なんだろな、、、とも思う。
一人娘の私と両親の為に、両親の住んでいた土地に、同居出来る、三階建で新居を建ててくれた旦那。
自分の両親は、スイカ農家で、義兄家族と住んでいて、年に一度しか会えないのにね。
これがさ、本当に優しい義両親で、私の両親の介護にも、絶対的に理解を示してくれて、文句どころか、今現在も、父を大事にしなさいと言ってくれている。
仏様みたいな、義両親なのだ。
もちろん、義兄夫婦も、とても優しい人達だ。
そんな義母も、一年半の入院を経て、今年自宅に帰ってこれた。
田舎の農家で、本家の嫁である義姉は、本当に大変だったと思う。
今だって、大変だ。
何にも出来ない、愚嫁の私は、いつもいつも感謝しかない。
義姉には、弟さんがいて、父親が他界した今は、一緒に暮らしているらしい。
義母は、、、
皆んな、一人じゃないから大丈夫!
いつも、そう言ってくれていた。
高校を卒業して、大学からはずっと両親と離れて暮らす次男である旦那。
県外とはいえ、近い所に就職したのに、まさかの転勤で東京へ。
そこで出会った私と、結婚して、、、
親と滅多に会えない場所で暮らすとはね。
義両親は、寂しかったろうな。
寂しい、、、
けど、子供が元気なら、幸せなら、離れていても何も変わらないのが、親子なはずだよね。
もちろん、一緒に暮らせていられるなら、それはそれで、とても幸せな事。
今、私の年子の娘達も、まだ結婚はしていないものの、二人ともに彼氏がいて幸せそうだ。
少しづつ離れていく娘達を見ながら、淋しいなぁ〜とも、思ってしまう私。
多分、義両親も、、、そうだったんだろな。
何を書いているのかよく分からなくなったなぁ。
ま、いいか。
今年も、義両親に会いに行けた。
二人とも、確かに歳は重ねたし、不自由な事も抱えているけど、お元気そうで安心した。
しかも、久々に娘二人も一緒に行けたから、次男の孫にも会わせられて、本当に良かった。
私は腰が心配で、帰省をギリギリまで迷ってだったけど。
クルマもノアからパッソになって、どうなる事やらだったけど。
行けて、凄く楽しくて、痛いのも忘れて結構歩いちゃった。

帰りは一泊して、、、
念願の場所へも行けた。


伊勢神宮。
内宮、外宮。

松坂牛の串焼き食べたり、伊勢うどんも食べてこれたよ。

夫婦岩の近くで一泊して、川の字プラスワンで寝てさ。
アドレナリン出まくりで、あまり痛くなかったのかしら。
やはり、病は気からか?
実は、大した事ないのか?
今は、、、やっぱり痛いんだから、笑えちゃう。
これからまだいろんな事があるだろうけど、私は間違いなく幸せだから、、、
笑いながら頑張ろ。
それに、いつも、ギリギリのところで、大逆転をして、更に幸せになっている。
だから、きっと大丈夫。
いや、絶対に大丈夫。
頑張ろっ!