明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

三代目

2020年06月26日 | タンデムツーリング



二十日、三代目が納車。

スカイウェーブ、ハーレー883に続いて、カワサキW800。

あ、運転するのは旦那ですが。


早速、21日、タンデムツーリング。

出雲大社相模分祠へ。

関東の出雲大社です。











参拝後、震生湖へ。

こちらは、関東大震災後に出来た湖だそうです。

美しい森を抜けると、緑に光る湖に出逢えます。







新型コロナはまだ消えてはいないですが、少しづつ普段の生活に戻っている昨今。

自分に出来る最大限の対策をして、出かけたいと思います。






梅雨

2020年06月15日 | iPhone





















ご無沙汰しています。


今、ハマっている事。
iPhoneですけど、、、

綺麗なものを見るのは楽しい。

まだまだ梅雨の真っ只中。
こんな事をするのも良いかと。




この半年。
父を亡くし、娘二人が嫁になり、スマホや8年余り乗っていたバイクを買い替たり。

コロナが暴れ、自粛の日々、、、
慌ただしく過ぎています。

私としては、おかげ様で変わらない日々。

旦那と仲良く、元気に暮らしています。



では、また!







とうとう、、、

2019年12月03日 | 父の話




12月2日、病院から見えた虹です。

父、急性肺炎を起こし、11月26日に救急車で病院へ。

二回の山を越えましたが、、、

12月3日
朝早く、父は、逝ってしまいました。

やっと帰れた我が家で、静かに眠り、12月7日、虹を渡って逝きました。



私の介護生活も、とうとう終わってしまいました。


最後の最後まで、生きようと頑張ってくれた父でした。

退院して、リハビリをするのを待っていた父でした。

私、6日間、病院に泊まっていましたが、うっかり帰宅してしまった翌朝、、、

母と同じように、一人で逝かせてしまいました。

長く一緒にいたのに、、、最後はやっぱり一人で。



89年間、誰より私を愛し、大事にしてくれた父でした。



ちょっと苦笑い?
いつも優しい父らしいと、参列してくださった方には言ってもらえました。

苦労ばかりな父に、私は何か出来ていたのか、、、

でも、私は、幸せでしたよ。
父が、大好きでした。
両親の娘で、良かったです。

父を、弟に返し、愛する妻、母と三人で、私を守ってくれると思います。
三人が見ていてくれる。
淋しいけれど、百人力です。




母の介護から、15年弱。
両親共に、一人娘である私が、ちゃんと送りだす事ができた事は、良かったと思います。

主人をはじめ、主人の実家も、父を優先する私を、常に黙って見守ってくれました。
心から感謝しています。

親身になってくださった施設のスタッフや看護師の皆様にも。

そして、こちらにいらしてくれた皆様にも、沢山の応援、励まし、本当にありがとうございました。



ブログのタイトルを変えた途端の事、なんだか、、、不思議です。


これからいろいろな手続きや、父の遺品の整理。
一人娘、まだまだ頑張らなくちゃです。

そうそう、次女が結婚しました。
11月に籍を入れて、来年、結婚式も決まっています。
長女も、近いかなぁ。
来年は、いよいよ還暦。
忌引きで、厄年ではありますが、、、まだまだ幸せな時間も、沢山待っています。

自分の身体の事も、いろいろあります。
脳梗塞の前兆?一過性黒内障を起こして、焦りました。
どうやら、血管の細い場所があるようで、、、バイアスピリンを飲みはじめました。
髄膜腫は、変わらず頭の中に。
そう簡単には消えませんね。
まだまだ、長い付き合いになりそうです。

でもね、旦那とのタンデムツーリングは続けて行きたいと思っています。
新しいヘルメットも、先月の私の誕生日に買って貰いました。
もう、何度か被って出かけいます。


人と比べず、、、私は私。
自分らしく、頑張っていきます。



また、気紛れに現れるかもしれませんが、、、


皆さまの健康と、幸せを、お祈りしてます。


ありがとうございました。














慢性過敏性胃腸症候群(父)と感動の医師

2019年04月15日 | 父の話
桜も散り急ぎ、やっと春らしい陽気になってきましたね。
私は、元気に?動き回っています。


月曜日、父を連れて、自宅近くの小さな総合病院の泌尿器科を受診しました。

五日ほど前に、夜中に腹痛を起こした父。病院に連れて行って欲しいと言ったようなのです。
熱も無いし、うずくまる様な痛みでも無く、トイレに数回行っているうちに治ったようでした。
父、翌朝には痛みもスッカリ忘れているようで、朝ご飯もしっかり食べて、普通に過ごしていたようでした。

私は父の痛みなど何も知らず、父に会いに会いに行ったわけなのですが、私が施設に着くなり、看護師さん、ワーカーさん、ケアマネさんが、ワラワラと私の元にやって来ました。

前夜の腹痛の話を聞き、ビックリ。
それを父に尋ねても、全く忘れていました。

腹痛の原因を探るために、既往症等を改めて看護師さんと話し合いました。
(慢性過敏性胃腸症候群である事、鼠径ヘルニアも手術している事、以前、前立腺肥大だと言われ、薬で改善した事等)

看護師さんが、いろいろ考えてくださった結果、腹痛は治っているものの、一度泌尿器科に受診しては?ということになっだ訳です。

その総合病院の泌尿器科へは、長年通院していました。
大学病院で、軽い前立腺肥大だと言われ、経過観察で紹介されたのが始まりで、前立腺肥大は改善したものの、年齢を重ねる毎に酷くなる頻尿。
一番辛いのは父。
30分毎に、トイレに行く生活。
そんなの、自分なら耐えられない。
だけど、我慢すると大が出たくなるという、それが慢性過敏性胃腸症候群の症状。
世の中には、若い人でも苦しんでいる方が多くいるそうです。

薬は、ほんの気持ちだけ、父に少しでも合うようにと出して貰っています。
ユリーフ一日2回
べしケア一日一回

もう、それ以上に、父の頻尿を改善できそうな薬が無いとのことでした。

特養に入所する前は、訪問医に処方してもらっていました。
その前は、二カ月に一度は薬を貰いに通院していたのですが、薬が毎回同じで、それ以上の事が出来ないという事もあり、入所後は施設医に処方してもらうだけで良いという事になったのでした。


なので、久々の通院。
ケアマネさんが、送迎をしてくださるというので、本当に助かりました。

しかし、診察までが長かった。
約三時間待ち。
この三時間で、父は6回のトイレ通い。

普段施設では、歩行器を押して歩いている父なのですが、病院へは車椅子で行きました。
この総合病院は、古い建物と設備。
障害者用の広めのトイレはあるけれど、扉はビニールカーテン。
便座の横には、固定式の短いバーがあるだけで、立ち上がる時には何の役にも立ちません。
オマケに、暗いので、パットを替えるのにも一苦労。
何故か坂道のある廊下。
車椅子を押して降りるのも上がるのも、チタンの入った私の腰、どうにもこうにも大変でした。

数年前は。一人でトイレくらいには行っていた父。
年々、一人で出来たことが出来なくなる。
危なっかしくて、見ていられなくなってしまいました。

10時に施設を出て、名前を呼ばれたのは1時過ぎ。
先に尿検査をして、結果が出るのを待っていたという事もありますが、本当に長い待ち時間でした。


が、しかし、、、素晴らしい先生との出会いに、待ち時間が長くても、仕方ないと納得した。
一人一人の患者に、時間をかけた診療なのだ。
夜間の様子を詳しく知りたいと、自らのスマホで特養の名前を検索し、そのまま電話してくださった😲📱
施設のナースと直接話をして、続いてワーカーさんにも普段の様子を聞いてくださった。
なんて凄い先生なんだろう!
もう、感動!!
エコーも撮ってもらい、泌尿器科関係部位は、とりあえず問題ないようだ。
新薬が開発されていたので、試薬することになった。
日々、医学は発展しているのだなぁ。
怖い病は何もなくて、本当に良かったー。

昼ご飯も食べず、迎えの為に待っていてくださったケアマネさんにも感謝。
心配してくださった看護師さん、昼ご飯を温めてくださったワーカーさんにも感謝。
医師と話してくださったワーカーさんも、帰るなり話しに来てくださった。
優しい気持ち、嬉しかった。


元気です。

2019年03月25日 | 私。
すっかりご無沙汰しています。
ご心配して頂いている皆様には、本当に申し訳ありません。

元気にしていますので、ご安心ください。

サイバーナイフ終了後の予定としは、来月MRIを受けに行きます。
どうなっているのか、いないのか?
私としては、多くは望まないので、髄膜腫がこれ以上大きくならなければ、それで十分です。

相変わらず、右顔面の痺れ、頭鳴りは続いています。
髄膜腫はあるわけだから、当然といえば当然なんですが。
加えて、ちょっと疲れ易くなったような気がします。
それと、、、サイバーナイフ照射部分は、しっかり禿げました。

別にそんなことは大丈夫!と、思っていたのですが、実際に前髪の分け目やら、その辺りに500円玉位の円形脱毛が3個以上出来てくると、落ち込みます。

それでも、父の所へは行かないといけないし、、、一応主婦なので、買い物にも。
帽子を被り、マスクをして、怪しい姿で外出しています。
今の時期、花粉症の方に紛れることが出来るので、案外と不自然でもないようです。


父は、元気にしています。
特養での生活、楽しい事、辛い事、本当にいろいろあるようです。
父から一日に、5回以上電話が来たり、何日も音沙汰がなかったり、、、
私はそれに、相変わらず振り回されています。

私にはもう在宅介護を復活出来るような気力も体力もありません。

この時期に特養に入所出来た事に感謝して、なんとか父の気持ちが折り合うように、出来るだけ特養に通うようにしています。

本当に、いろーんなワーカーさんがいます。
どうしても父とは合わない方もいますが、それは仕方ないコト。

娘の私でも、父のコダワリや神経質な性格ゆえのアレコレに、イラッとすることが今でもあるくらいです。
多人数を少人数でみている施設のワーカーさんが、つい怒りたくなる気持ちも分かります。
けれど少しも怒らないで、うまくかわしてくださるワーカーさん、流石プロです。

根っからの優しいワーカーさんは、プロというコトは関係なく、娘以上の優しさで、父に向き合ってくださっています。
私には、敵いません。

物忘れが酷くなって、待つコトが困難になった、しかも神経質で、頑固な父。
持て余しているような、そんなワーカーさんも、、、
私に出来るコトは、、、そんなワーカーさんと、私が仲良くするコトかなと、お門違いかもしれませんが、今、頑張っています。




また暫く、何も変わりが無ければ、更新が止まってしまうかと思います。

どうぞ皆さま、季節の変わり目、お身体に気をつけてくださいね。

桜の季節。
素敵な景色に巡り会えますように。

サイバーナイフ終了。

2019年02月22日 | 髄膜腫
最終日。

8回のサイバーナイフ終了。

結果が出るのは数ヶ月、数年後らしい。

うまくいけば、縮んで小さくなるらしい。

もっと上手くいけば、消える!

でも、多くは望まい。
とりあえず、これ以上、デカくならなくなればいいの。
良い結果が出るといいなぁ。

大丈夫!
私はついている!笑


私専用のマスク、貰ってきたかったんだけど、放射線まみれだから無理よね。


「CyberKnife サイバーナイフ」は、体にメスを入れず、がんなどの病巣だけを多方面から狙い、放射線(エックス線)を集中照射する定位放射線治療装置です。
(病院サイトより引用)



これからは、主治医(大橋先生)の元に戻って、経過観察を続けていく。
サイバーナイフの宮崎先生は、無駄な事は話さないけど、キッパリと話をしてくださる信頼できる医師だった。

サイバーナイフの照射後、毎回診察がある。
いつもニコニコしながら「あと◯回だね〜〜頑張ってね」って言って下さってた。

何回目かの診察の時に、私がいろいろ聞いたら
「気持ちはわかるけど、治療が始まっているわけだし、治療中にあまりいろいろ考えない!」と笑っておっしゃった。

それが、馬鹿にするとか、忙しいとかではなく、私の性格を見抜いての言葉だと分かったから、不安がなくなって、落ち着いた。


8回目、最後の診察の時、、、
「サイバーナイフは、もう二度とかける事は出来ないんですか?」と聞いたら

「必要ない事は、やる必要ないでしょ」
だった。

うーん、、、その意味の真意は、難しい。
でも今は、それも考えないようにしようと思う。


いつもニコニコしていらした宮崎先生に、もう会えないのは少し寂しい気もしたけれど、、、
「大橋先生は、とてもいい先生!あとは、大橋先生に任せて。また何かあれば、彼が言ってくるでしょ」
「会いたかったら、会いに来れば?」と、苦笑い。

そんな風におっしゃってもいたし、私もそう思うから、不安は無い。

看護師さんが「二人は何かあれば、電話で話す関係だから、大丈夫!」って笑ってらした。

サイバーナイフをかけるにあたり、宮崎先生も、看護師さんも、技師さんも、受付の事務員さんも、皆んな穏やかで、ゆったりしていて、さりげなく優しかった。
お世話になりました。

「新百合ヶ丘総合病院」良い病院だと思います。





30分のコブクロタイムも終了。
昨日、X JAPANに浮気したら、、、音が小さくて全然聞こえなかった。多分、音漏れ用心したのかな?
バラードだけのCDにしたけど、知らない人は知らないだろしね。

でも、最後はやっぱり、コブクロのCDを持って行った。

「あの太陽が、この世を照らし続けるように。」で、終わり。

髄膜腫が発覚したのと同時に、コブクロのファンになった。

AJINOMOTOスタジアムに次女と行った日は、私は複視で、次女の腕を掴んで歩いたなぁ。
ファンクラブに入り、毎年ライブに行っている。
今年も、既に、五月のチケット当選済みで、支払い済み( ◠‿◠ )

髄膜腫が発覚してから、丁度八年。
コブクロファン歴も、同じ。

治療中、いろんな事を考えたけど、特に不安なく過ごせたのもコブクロの歌が流れていたかもしれないな。


サイバーナイフ最後の日は、母の4回目の命日だった。
亡くなって、もう、まる三年。
あの時の悲しみは、まだ胸の奥にあるけれど、それでも私は、こうして生きている。

昨日、病院に出かける前に、ザーッと掃除機をかけたのだけど、何故かフンワリと、お線香の匂いがした。
そんな気がしただけかもしれないけど。
なんとなく、母が来ているような気がした。
もう私も、還暦も二年後になるというのに、まだ母を探している?

きっと、大丈夫!
守っているから、、、

そんな声が聞こえたようで。


今日は、暫く行っていない父に会いに特養へ行く。

昨日、電話で、一瞬トンチンカンな事を言っていたから、ちょっと焦った。
二週間、父もいろいろあったろうけど、愚痴は飲み込んで我慢していたろうな。


さ、また日常。

日常が、一番の幸せ。

こうして、病院に行き、治療も出来て、のんびり過ごせてるのも、旦那のおかげ。
こちらも大事にしないとね〜(^O^)


さ、私も頑張りましょう。









サイバーナイフ前半終了(1〜3回目)

2019年02月14日 | 髄膜腫
無事、二回目、三回目も終了。

特に体調に変わりはない。

なんとなく、ボーっとするけど、これはいつもの事かな?


三回目の終了後、次女と待ち合わせをしてランチを食べて、、、買い物。
やっぱり、寄り道すると疲れてしまう。
頭が少し痛いというか、圧迫感。
頭鳴りが止まない。

今週は、明日で終わるけど、気をつけなきゃな。

いくら普通に生活していて良いと言われても、、、
単純なレントゲン撮影では無い。
サイバーナイフだからね、、、
と、看護師さんも言っていた。


自転車で駅まで行き、電車に乗る。
各駅停車でも、25分くらい。
直通バスに乗り、10分弱。
我が家から、一時間くらいかな。
大した事は無いと思っていたけど、普段は行動範囲が広くない。
加えて、車移動が殆ど。
昔は満員電車に乗って、都会まで通勤していたのになぁ〜
と、、、
それはそれ、今は身の程知って、調子に乗りすぎないようにしよう。


そうそう、費用について。

頭のサイバーナイフは、保険が適用されるので、大体20万くらいだそうだ。
何回の照射でも、パック料金みたいになっていて、1回目の照射後に支払う。

私は、限度額認定証を申請して、既に持っていたから、窓口で支払う額は10万もかからなかった。

毎日照射後に、医師の診察もあるので、これに関しては、、、毎回十円以下。





サイバーナイフをするに当たって、ネットでいろいろ調べたのだけど、ブログ等で、あまり詳しく書いている方を見つけられなかったから、参考になればと思い書いています。

もちろん、病院や、患者自体の状態で違う事もあるとは思います。

出来るだけ書いていきたいと思いますが、スマホから書いているので、目が疲れてしまいます。

もし、間が空いても、後日アップしますので、心配しないでくださいね。


大丈夫!

私は元気ですからね〜〜















サイバーナイフ開始

2019年02月14日 | 髄膜腫
2月12日

私の頭の中にある腫瘍、髄膜腫の治療、サイバーナイフが始まった。


写真お借りしました。



無事、この日を迎えられた事に、感謝。

さぁ〜8年来の髄膜腫、どうなる?

多くは望まない。
どうかこれ以上、大きくならないで。
これ以上、症状が悪化したり、新しい障害が出現しないで。

今の生活を維持出来れば、それで良い。

多少の事なら、我慢出来るから、、、

とも思ったけど、、、


もう、これ以上の事が出来ないわけだし、ここに行き着く事が出来た奇跡。

更なる奇跡を祈って、頑張ろ。




1日目は、久々の、緊張。
家を出た時から、病院に着くまで、足がフラフラするくらいの緊張だった。

何度もMRIやCTはやってるけど、サイバーナイフって?!
もちろん、痛くも痒くも無いって事くらいは調べたけど、、、初めての医療機器って、やっぱり怖い。
副作用云々では無く、単純に怖かった。


案の定、放射線治療室に入り、受付で熱と血圧を測ったら、血圧も脈拍も高かった。
本当に、私は肝っ玉が小さい、、、

音楽を流してくださるって書いてあったので、CDを持参したのだけど、技師さんに忘れられた、、、

でも、隣の部屋からか、ずっとビートルズのLove me doが流れていたので、気は紛れた。
何故かその曲だけが、30分くらいながれてた。
隣の患者さん、よっぽど好きな曲なのかなぁ?


マスクが結構しっかり被さっていて、当然ながら首も頭も動かない。
少しくらい動いても、機械が腫瘍を追いかけて来るらしいのだけど、緊張で身体はガチガチだった。

マスクの目の部分を開けてもらわなかったので、機械がどう動いているかは分からない。
望めば、マスクの目の部分を開けてくださるらしいのだけど、余計な物を見て怖くなるのが嫌だったから、塞いだままでお願いした。

すべり症の手術をしており、チタンの違和感が腰にあるから、硬いベッドの上で足を伸ばしているのが辛い。
と、技師さんに伝えたら、ちゃんと膝の下に三角の枕を置いてくださった。

手に、もしもの時のブザーを持たせてくれる。
マスクで口が開けないのと、機械音で私の声が聞こえないとかで、もしも何か伝えたいことがあった場合、具合が悪くなった時とかに押すように言われた。

時間としては、30分弱かなぁ。
長いような短いような、、、


寝ている私の上で、機械が動き回っているような気配はする。
時々、パッと青い光が瞼の外に広がる。
ずっと機械音が鳴り響く。
MRIに比べたら、小さいかなぁ。

思ったより、落ち着いて寝ていられる。

写真、お借りしました。
私ではありません。


終了5分前に、技師さんが声を掛けてくださった。

サイバーナイフ、1回目無事終了。

宮崎先生の診察を受けて、画像を見せて貰った。



私😁

青い線が、サイバーナイフを照射している場所らしい。


痛くも痒くも無いけれども、緊張が半端なかった。

それでも、我が家の最寄駅より何でもある大きな駅なので、物珍しくて歩き回ってしまった。
帰宅して、夕飯と翌日の旦那のお弁当を作ったけれど、、、買ってきたものがほとんど。
旦那は何にも言わず、黙って食べてた。
暫くは、我慢してねー。
てか、、、買ってきたものの方が、美味しかったりしてね〜〜

特に変わった事はないけれど、ダルいような感じ。
頭鳴りも激しかった。

でも多分、、、緊張の後に、歩き回ったりしたからかなぁ。

今週は、あと3回。




頑張ります。

サイバーナイフ術前検査

2019年02月13日 | 髄膜腫
1月29日

いよいよ検査だ。

まづ、CT。
造影剤のヨードアレルギーがあるから、前日からプレドニン錠を2回、12錠飲んでいたのだけど、看護師さんが異常に心配してくれるから、尚更恐怖だった。

アナキラシーショックが起きる?
起きなくて、良かった。

CTを取りながら、放射線照射の際に被るマスクを作った。
仮面舞踏会に行けそうなやつ。
顔の形に合わせて、プラスチックをユックリ固めていく。

次にMRI、閉所恐怖症の私ゆえ、これがやはり大変。
手汗半端なく、咳が出始めるし、造影剤を入れて、あと4分の長かったこと、、、

でも、どれも痛いわけではなく、私って弱虫だなと思う。


次に宮崎先生と計画相談。

私を診てくださるサイバーナイフのスペシャリストは、宮崎先生とおっしゃる。
最近、テレビにも出ているし、お名前を出してもいいかなぁ。

連休明けに開始する事に決まった。

実は、前々から、旦那と旅行の予定を入れていた。
体調を崩したら大変なので、今回は車で行く事にはしたのだけどね。



神頼み。





土日以外、毎日30分の照射で、7.8回。

亡き母の誕生日から、3回目の命日までが予定となった。

2月12日から21日。

三年前、母の一番苦しかった最後の日々に、私はサイバーナイフをするわけだ。

亡き母の力で、腫瘍の増大を止めてもらおう!
なんてね、、、



特養にいる父にも、詳しく話した。

時々いろんなことを忘れてしまう父だけど、ちゃんと理解して、応援してくれている。
心配掛けさせちゃったけど、父親だから。

暫くは会えないけれど、怪我しないように、頑張るそうだ。
寂しい想いをさせるから、私はとにかく頑張らなければ。



サイバーナイフ決定

2019年02月13日 | 髄膜腫
すいません。
前記事から、少し話を遡っています。

下書きにしたまま保存していた記事を、今更ですが、アップします。

記事の最初に書いてある日付が、その日の出来事となります。






1月17日

紹介状を持って、新しい病院へ。

紹介状、、、これがあると無いとでは、気持ちも、診察手続きも、雲泥の差だ。

良いと思ったら、直ぐに書いてくれる主治医に巡り会えた事、私にとって、何より一番有り難いこと。




次女が休みなんで、付いて来てくれた。
ランチ目的だとしても、心強い。

果たして、サイバーナイフ専門の医師は、なんて言うかなぁ、、、
怖い先生じゃなきゃいいけどなぁ。

どっちが子供か、分からない。


元々、主治医もこの総合病院の脳神経外科医だったそうだ。
サイバーナイフにも関わっていたし、紹介状先の医師の事もよくご存知だそうだ。

神の手の福島先生が、信頼しているサイバーナイフのスペシャリストに、診てもらえる。

私はなんてラッキーなんだろう。



診察室に呼ばれて、持参した画像を診てもらいながら、医師からの質問に答える。

私は、今までのいろいろ知って欲しくて、早口になる。

でも、先生はそんなことより、今現在の状況を診ている。



画像を見た第一声。

「大きいなぁ〜」だった。


「直ぐにサイバーナイフをしよう!」
「待つ意味が無いでしょう?」

優しい話し方で、そのくせキッパリと言って下さった。


手術しないと結論を出した福島先生のことを「流石!」と言っていた。

もしこの髄膜腫に、メスを入れようとする医師がいたら、それは愚かだとも。


4本の大事な神経が絡んでるらしい。
福島先生からも聞いていたけど、また改めて、詳しく説明してくれた。

「良性だけど、ほっておけばまだ大きくなる。
いろいろ症状が出てくる事だろう。
サイバーナイフをしても、無くなるわけでは無い。
大きくなるのを止めるのが目的。
うまくいけば、縮んでいくかもしれない」

私を見たり、次女を見たりしながら話す先生。
次女を連れてきちゃって、少し可哀想になっちゃうくらい、娘の顔を見てた。
最後に「娘さんもいいよね」って、確認もされてた。
次女も「ハイ」って返事をしていた。


「やるしか無いでしょう」
と、後で私に言った次女。

そう、やるしか無い。



血液検査をして、終了。

次回は、MRIとCT検査。
マスクも作るらしい。

その後、コンピュータ分析、照射の計画を立ててくださるそうだ。


治療は、二月の連休明けから始めて貰いたいと思ってるけど、まだ分からない。
沢山患者さんがいて、地方から泊まりで来ている方も沢山いる。


私の場合は、通院治療でいいらしくて、土日を除いて連日、7、8回の照射だそうだ。
1日の照射は30分程度らしいから、身体の負担は余りないらしい。

放射線だから、ハゲちゃうかもらしいけど、ま、それは仕方ない。
ハゲるくらいは、冬なら帽子にマスクでも過ごせるし、旦那はカツラを買えば?って言っていた。
まったくもって、旦那の唐変木さは、無神経を通り過ぎて、笑えてしまう。
至って、普通にしているから、助かる。


万が一の事やら、リスクは、多分次回、細かく話してくれるんだろな。
必ず承諾書に印鑑かサインは、いるだろし。

何パーセントあるかのリスクは、意味があまり無いと思う。
母の事で、身にしみている。
リスクは、その人の運命。

運の強さなら、私はきっと大丈夫!
私は、最後には笑えるのだ!
ついているから大丈夫!
そう思うしか無い。
あとは、神様仏様に委ねちゃう。
信じるものは、救われるのだ。

父は特別養護老人ホームに入所出来たし、娘二人も独立したようなもんだ。

きっと、良いタイミングなんだと思う。


実はまだ、サイバーナイフは、本当にするの?出来るの?って思ってしまう自分もいる。

また、大どんでん返しとか、ある?


手術をする寸前の時のように、、、


悩み、迷い、足掻き。

自分に出来る限りの事をした。

元主治医は、セカンドオピニオンの必要は無いと言った。
私が、手術から逃げているだけだとも言った。

けれど、、、私は、髄膜腫手術をしている有名な病院を探し、電話をかけまくった。
主治医がいるのに、私は水面下で、他の医師を探したのだ。

けれど、どの病院も、紹介状が無いと診ることすら難しいと言われた。

病名が確定している。
既に経過観察中で、手術の話も出ている。
経過の分かる情報提供書もない。
紹介状もない。

セカンドオピニオンでも無く、初診からの診察。
今の状態を診て欲しいと、粘っても、どこもやはりダメだった。

そんな中で、相談室に回して下さった病院があった。
見知らぬ私、しかもその病院の患者でも無い私の話を、一時間近く聞いてくださったソーシャルワーカーさんがいらした。
東京女子医大の相談室だ。
診ては貰えなかったけれど、あのソーシャルワーカーさんの優しさは、きっと生涯忘れないと思う。

「シンプルに考えていいのよ。
医師を選ぶのは、患者さんの権利。
主治医に、セカンドオピニオンをしたいと、粘ればいいのよ」


まぁ、私にそれが出来れば、、、電話をしまくる事も無かったんだけどね〜〜


元主治医に、紹介状を書いて欲しいと、粘れなかった私。
手術しなければ、死んでしまうかもしれない。
だから、、、だけど、、、

なんとも、情けない私だった。


そんな時、幸いにも、福島先生に出会えたのだ。
私の四度目のメールに、返事をくださった福島先生。

信頼できる、新しい主治医とも出会えた。

しかし、手術日も決まっていながら、手術は出来ないと言われ、、、落ち込んだりもした。

けれど、、、それこそが、私にとって、最高の幸運だった訳なのだ。

サイバーナイフ

2019年02月13日 | 髄膜腫
12月1日




さ、いよいよ次のステップに。

来月、サイバーナイフが出来る病院に、受診する事になった。


先月の受診の時に、やってみる価値はあると言われ、それでも迷っていた。







今年最後の脳神経外科。


主治医を変えて、半年。


顔の痛み、痺れは変わらない。
頭の痛み、時々吐き気が出てきたかなぁ。
頭鳴りも、日によって辛い。

でも、複視にもなってない。
認知症状も無い、、、ま、年並みかな?笑

変わらないと言えば、変わらない。



もし、メスを入れて手術をしていたら、今頃どうなっていたか分からないらしいから、良かったんだよ。

って、事だね。

この半年、沢山ツーリングにも行けてるし、旅行にも何回か行っけたし。



あの神の手の医師さえも、術後の後遺症で苦しむ事になるからと、手術をするべきでは無いと言われた。

私はなかなか納得できず、、、

あの神の手の福島医師さえも、手術出来ない場所で、大きさで、、、ガッカリした。

そして、諦めた。


変化があったら、、、
一年後になるか、二年後かな、、、
サイバーナイフだね。

そうか、、、








複視になる事に怯える毎日は、本当にシンドイ。


このまま大きくなるのを待つ?

大きくならないかもしれないし、、、









大丈夫。

私はいつもついている^_^

大丈夫。

きっとうまくいく。



大丈夫!

明けましておめでとうございます^_^

2019年01月19日 | 私。
今更ですが、、、
明けましておめでとうございます。

かなりご無沙汰してしまい、ご心配を下さっている皆様には、本当にごめんなさい。

あまりにも間があいてしまったので、何から書いたら良いか分からないけど、元気でいますよ〜〜^_^

楽しいことも、そうで無いことも、いろいろあります。
ま、誰にだって、そうですよね。

今年は、なんと前厄です。
去年の11月に、58歳になったと思いきや、目の前に還暦の二文字が!

お正月に、地元の神社で、厄除け、して来ました。

小さな災難が、既にチラチラ。
でも、大変な事にはならずに済んでいます。
もっとも、全て私のドジでマヌケな性格のなせる技だから、災難とは言えないかもしれません。

でも、信じるものはない救われる^_^

今年も更新はゆっくりになりますが、どうぞよろしくお願いします^_^





少し続きます。

すべり症、後方固定術一年検診

2018年11月08日 | すべり症
早いもので、すべり症の固定術をしてから一年。
無事にこの日を迎えられて、本当に良かったです。

手術をする前の足の鈍痛は、ほとんど無くなって、今は休みなく、随分と歩けるようになってます。

寒くなってきたからか?若干右足全体が痛いような、痺れているような気もするけど、大したことはありません。


先生が言ってくれた通り、旦那と二人でタンデムツーリングにも行けています。

術後半年位から復活して、今月の連休には伊豆伊東まで一泊で行ってきました。










旦那とタンデムツーリングに行きたい!

これが手術を決めた理由なんだから、まったくもって笑えますが、、、 目標は達成出来ました。

先生は、私が治りたい理由を聞いても、笑う事なく、尚更に手術を勧めてくれたわけです。


薬も注射も効かない痛み。
休み休みしか歩けないし、寝ていても痛くなってきました。
もう、、、どーにもならない。

「手術をしても、しなくても、もうバイクには乗れなくなりますね、、、泣」
と、私が言った時、、、

「何故諦めるの?大丈夫、乗れるよ!」
そう言ってくれた先生に、逆にビックリしてしまいました。
バイクの震動って、結構腰に響くし、舗装の悪い道なんて、尚更。

私は後部座席に乗るだけですが、たまに身体が跳ねたりします。


「旦那さんが転ばない限りは、大丈夫。
でも、暫くはコルセットしてね」



患者の身になって、よく話を聞いてくれる先生です。
大学病院の准教授なんだけど、町の病院の先生でもあります。
良い先生に診ていただけて、手術をしていただけて、良かったなぁと思っています。


まぁ、、、腰に鉄板を入れてるような違和感は、多分、ずーっと消えないそうです。
仕方ないか、、、と思います。

時折感じる軽い痺れや痛みは、手術をした場所以外の神経圧迫の可能性もあるらしいです。
今はまだ、様子見。
何かあれば、週に一度は町の病院に来ているので、そちらで診てくれるそうです。



とりあえず、術後一年の経過は良好。



チタンのボルト、しっかり骨に入っており、私にはよく分からないけど、骨化しているそうです。
何より、あんなにズレていた骨が、きちんと並んで元の位置にある。

次は来年。
一年後で良いそうです。

「バイクに乗る時も、コルセットを装着しなくていいよ!
なんでもしていいよ!」
だそうです^_^笑



あとは、、、髄膜腫と、耳鳴り。

さ、次!^_^笑笑

頑張ります。




医療貧乏?

2018年11月01日 | 髄膜腫
今日は、脳神経外科へ。
髄膜腫のMRIを撮りに行ってきた。

旦那が珍しく連休だったので、脳神経外科までアッシー君をしてくれた。
車だと、三分の一の時間で行けるから、本当に助かる。
しかーし、ただの運転手で、先生の検査結果も聞かないのだけど、、、
私より、結果を聞くのが怖いのかな?


帰り道、薬の数くらいデザートを買って満足。
昼ご飯は12時前に食パン一枚だったから、小さな磯辺餅を車で食べた^_^

これで千円ちょっとだから、シャトレーゼって素晴らしい。
医療費、薬代は何倍もしたけどね〜〜得した気分^_^

咳が出始めたから、その薬も頂けた。


とりあえず、髄膜腫は半年前と変わらず。
今は、神の手の医師が手術が出来ない手強い奴だけど、仕方ない。
正確には、私の今を大切にした方がいいと思うって事で、手術をしない事になったわけだけど。
だからこそ、遊べるしね〜笑笑
いつか、手術をしなきゃならない日が来るかもしれないけど、まだ大丈夫らしい。


でも、今日は、少し話が進展かな?

サイバーナイフ専門の医師にも、話を聞いてみようって主治医が言った。

このまま、大きくなるのを待っているんじゃ、シンドイでしょ?って。

そうなんだよね。
いつ複視になってしまうかと、それだけが気掛かりで、不安。

上手くいけば、腫瘍が小さくなって、複視の心配が無くなるかもしれない。
おまけに、顔の痺れも、今より楽になるかもしれないらしい。

最悪の場合、腫瘍が良性から悪性に転じてしまう可能性も、あるんだけどね。

とりあえず、MRIを診て貰って、意見を聞いてみようって。
前の大学病院の主治医は、セカンドオピニオンは無駄だと言ったけど、今の主治医は、いろんな人の知恵を貸して貰おうと言ってくださった。

サイバーナイフの専門医は、以前からよく知っている先生で、かなり凄腕らしい。
神の手の医師と共に、何度も一緒に手術をしたそうだ。
神の手の医師、、、いつかサイバーナイフをする時は、紹介するって言ってくださったし、、、
今の主治医の院長先生は、一生私を診てくださるそうだから、今度はしっかりと信じたいと思う。



本当に、いろいろあって、落ち込んだり這い上がったり、、、もう大変だった。

父は、相変わらず、毎日のように不安をぶつける電話をしてくる。

旦那の健康診断の結果、肺に異常な陰影があり、要精密検査と書かれてきたり、、、これは二日前に、大学病院で再度レントゲン撮影をして、心配ない事が分かった。

次女が急性胃腸炎になったり、、、

長女は、特にない^_^


私は、耳鳴りが酷くて辛い。
血圧が高いせいか、髄膜腫のせいかと思っていたけど、脳外科の先生に、難聴の疑いだから、耳鼻科に行くように言われた。

頭のどこで鳴るかが重要らしい。
全体に耳鳴りがするなら、耳鼻科に行くのが一番だと。
また、来週、病院が二軒。
ホントに、医療貧乏だ笑


でも、誰かと代わりたいとも思ってない^_^
もちろん、羨ましい人は沢山いるけどね〜〜
私は私にしかなりたくないし、だから、ま、仕方ない。

なーーんてね笑笑


頑張らないけど、なんとかやっていこう。

グタグタ。

2018年10月23日 | 私。


横須賀猿島まで、船に乗ったよ。
一万歩以上歩いても、階段登って降りても、足は痛くならなかった。
ただ、腰に巻いてるタオルとコルセットを取らずに歩いたから、秋だってのに汗だくで、恥ずかしかったのと、帰宅してから少し怠くなったのは、頭のせいかな。



旦那と、タンデムツーリングで。

その前は、、、

富士山の五合目まで行ってきた。


こうやって、旦那と外出出来るのも、父を見てくれているワーカーさんがいるからだよね、、、

ホント、感謝しなきゃだ。

いや、してるのよ。
ホントに、心から。

自分の時間を過ごせるのも、好きな事をして遊べるのも、父を預かってくれる特養があるから。

遊べるくらいなら、父を在宅介護に戻してあげれば良いのにね、、、

私は、一応、闘病中ではあるにはあるけど、まだ遊べるくらい元気だ。
ただ、いつ何が起きるか、私にも分からない。
分からないから、特養に父を預けたわけだ。


最近、なんか、疲れる。
気持ちが、疲れる。

血圧は、上がる。
薬を飲んも、なかなか安定しない。



特養に親を預けている人は、どんな気持ちでいるんだろな、、、

他人はどうでもいいこと。
誰に何を言われたり、思われたっていいじゃない!

そう。
そうだ。
それは別にいいんだ。

自分の気持ちがウダウダしてるから、疲れちゃうだけ。

特養に預けたのだから、出来ることを、出来る時に、すればいいのだろうな。

あとは、自分の人生なんだから、好きに使えばいいのだ。


分かってるんだよね〜〜



特養は何処も100人単位で待機者がいる。
建物は新しくできてもか、ワーカーさんがいないのよ。
自分の寝る時間を割いて、それどころか働きながら親を在宅介護している人も沢山いる中で、特養に預かって貰えたなんて、本当に有り難い以外ないわよ。
あんたは、自分自身の頭が、どうなるか分からない状態で、今だって病院三昧で、何かあった時にどーするの?

共倒れになりたいの?




そんなん、私が一番知っている。
多分。




民生委員で、他県で特養の評議員もしている叔母にも言われた。
その叔母は、今も家族を特養に預けている。
家族側でもあり、特養側でもある上で、ブチブチ言う私を怒る、、、って言うか、心配してくれている。



有り難い事よ。
割り切りなさい!
あんたは、会いに行き過ぎ。
あんたみたいな家族が、特養のワーカーさんにとって、一番めんどくさくて困った存在。
ワーカーさんが仕事を辞めたくなる理由の一番は、利用者じゃなくて、利用者の家族との悩み。
兄さん(父)のこと、構い過ぎ。


だ、そーだ。




分かってる。

分かってるんだ、そんなこと。





ただ、こんな風に、あーだこーだ、勝手に考えて、思って、、、
いろんな人にいろいろ言われて、余計に疲れちゃったりはしてない?

って、誰かに聞いてみたくなる。


中途半端な私だな。
そんな人間は、私くらいだろうかな。







私は、週に二、三回、果物やお菓子を持って会いに行く。
父が、痩せた痩せたと騒ぐから、太らせようとしてる。
確かに、入所して一年で10キロ近く痩せた。
でも、カロリー計算されて、キチンとした食生活の賜物で、私も食べたいくらいだ。
父は、それを癌だとか、特養のせいにしたりと、、、たまに呆れる。


本当は、、、週一でって思ってた。
でも。三日以上開けると、父から日に何回も電話がくるし、私を来させたいが為にか、いろんな理由を探して電話してくる。
私も、なんだか行かない訳にはいかなくなって、結局は週に二、三回行っている。


「実は、、、」から始まる父の電話の内容を、無視は出来ない自分もいてさ。
結局、心配ではあるわけだ。
間違いなく、親子だし。
私しか聞いてあげれないから、、、とも思ってしまう。
一人娘の辛さ?だ。


なんだかとっても疲れる。
せっかく預かってくれているのに、、、
私はやっぱり、父に似ているのかなぁ。
他人を信用出来ないのかな、、、


最近、携帯が鳴るとビクンとする。
また何かあったかと、、、




特養に入所した父は、どうも依存が強くなっているみたいだ。
家では一人で出来ていたことを、ワーカーさんにしてもらいたいらしい。
それで、ワーカーさんをおこらしたり、困らせたりしている。
本当に出来なくなっているのか、、、よく分からないのだけど、、、

一般的な老化なのか、認知症の症状なのか、よく分からない時もあるけど、体力的なものや、物忘れは別としたら、しっかり考えているとは思う。
特に、私には優しく、無理を言わない。
その分、ワーカーさんには、我慢できないのかもしれない。

不満は、、、不安と、不信になっていて、子供みたいに思えたり、、、
それでも父は父だから、私の心配もする。




私は、なんだか頭の中と、ココロの端っこが、ウダウダしてる。