ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

勝ち負けよりも大切なものがある

2024-07-11 23:20:30 | 思ったこと
勝ち負けよりも大切なものがある
言葉で勝っても

結局のところ人生で負けていれば

言葉での勝利よりも
大切な事がある
相手をやりこめるよりも
もっと大切な事がある

勝ち負けにこだわって、
時間を無駄に費やす

だれかをコントロールする事など
永遠にできない

だれかの考えを変える事など
永遠にできない

人を変える事ができるのは
その人だけ

自分が変えられるのは
自分自身だけ。

だれかを打ち負かして、コントロールした気分になって
勝ち誇るなんてのは小さいことだ。

人を打ち負かして、自分の方が正しいと
勝ち誇るなんてのは、ちっぽけな事だ

人は人を変える事はできない
人は かってにかわるもの

自分しか変える事はできない
自分の心や態度しか 変える事はできない。

なにが、いちばん 大事ですか

頭がいいこととは

2024-07-11 23:12:02 | 思ったこと
頭がいい人は、
難しい言葉で人をけむにまかない

かんたんな言葉で、完結に説明する

頭がいい人は
相手の知識レベルを見抜いた上で
説明の仕方を調節できる

頭がいい人は
人を馬鹿にした態度で敵をつくらない
敵を作ると無駄な神経を使わなければならないことがわかっているから

頭がいい人は 正しいか間違っているかだけで反応しない
間違った事を言っている人を脊髄反射的に否定すると
反発されるのがわかっているから

頭のいい人はおもいやりがある
先々まで見通して言動を慎む

人に出したものは、自分に返ってくることを知っているからだ。

愚かだと否定し 人を見下した態度をとることによって
自分が不利益を被ることをわかっているからだ。

攻撃を受けたり 攻撃を返したりするために
余分なエネルギーを使うよりも
もっと有益なエネルギーの使い方があることを知っているからだ。


古市さんのツィートコピペ

2024-07-11 08:16:14 | 思ったこと

以下(そのままコピペでは読みにくかったので 改行 スペースいれました)

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色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。

少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。 

日曜日に日本テレビの選挙特番で、
東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。

中継のせいなのか、
出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。

いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。

本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。

 全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。

 たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて
国政進出を否定しませんでした。

都道府県知事というのは「行政の長」です。

一方で国会議員になるということは、
「立法府の一員」となる、ということです。

法律を作る仕事ですね。 

だから知事を目指すことや、市長であることと、
国会議員を目指すということは、

「転職」
といってもいいくらい違う仕事の話なんです。

だからその点を質問されたら、
答えって何パターンもないんですよ。


 具体的に作りたい法律の話をするか、
行政の限界の話をするか、
になるはずなんです。

仮に現在は意思がなく、
仮定の話だったとしても、です。

てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。 

たとえば僕は 国会議員になりたい気持ちは全くないですが、
たまに取材などで
「もし国会議員になったら何をしたいですか」と
聞かれることがあります。

その時は具体的に、
作りたい、
修正したい法律の話をします。

曖昧に「少子化対策」
とか
「東京一極集中の打破」
とか
言っても意味がないんです。


だってそれは、国会議員以外でもできうることだから。

世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、
NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。

なぜ他の仕事ではなく、
国会議員なのか。

それって結局は、
法律の話なんです。


 だから、やりたいことが具体的な人の場合、

行政と立法が混じるってこと は、

あんまりないんですよね。


あるとしたら、何でもいいから政治家になりたい場合。


どこでもいいから 選挙で勝てばいいと考えている場合。
(それは他の候補者にも言えます) 

あれ、
それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの?

 僕は安芸高田市民ではないので 批判する立場にはありませんが、
市長は途中で辞めてるし。 

だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、
石丸さん自身が どう違うのかを 何度も聞いたんです。

そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。

でもならなかった。

こっちとしては不思議でした。

 今回のやりとりのように
「答えない」という戦略があってもいいと思います。

だとしたら、
選挙特番などの番組自体に 出ない方がよかったと思うんですよね。

 もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、
テレビ局からの出演オファーは全て断りました。 

石丸さんって、
YouTubeやTikTokなど、
自分が主役になれて、
演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。

いい部分だけを見せてきた。

これは別にネット特有の現象ではなく、
昔からある 一流俳優さんの ブランディングと近いです。

極力、トークやバラエティ番組には出ない。


出演するとしたら、
自分に配慮してくれる司会者のいる、
自分が主役になれる番組だけ。

実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。


 そういう戦略でやってきたんだったら、
「私を応援してくれた方にまず感謝をしたいんです」と言って、
開票が始まってからは、
支持者とだけ交流して、
それをYouTubeなどで流せばいい。

その切り抜き動画の拡散と、
「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。

一流俳優戦略を貫けばよかったのに、
惜しいことをした、

と他人事ながら 勝手に残念がっています。

 あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、
石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。


 もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、
石丸さんを 批判する人も 仲間にしていかなくちゃいけないわけです。

反・石丸の人を、
攻撃的にののしっても、
仲間は増えないと思うんですよね。

「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。

だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って
思われた方が絶対にいい。

 政治ってもちろん最後は戦いです。

敵と味方にわかれて戦うわけです。

でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。

これで失敗してきた先人がたくさんいるので、
一応共有しておきますね。

論破とか攻撃ではない、
新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。
(お前が言うなって言われそう。
山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)

何にせよ民主主義は風前の灯火かも

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私はこのやりとりをSNSでみていて
「なんで答えないんだろう」「いやな人だなあ」と素直な感想。
そして、
なぜ「政治屋と自分の違い」を答えようとしない
尚且つ
やたらとケンカ腰 なんだろうと素朴な疑問をもちました。
あとから考えて
ああ、政治屋と変わらないと(本心では)思っているから
答えられなかったのかもしれない
(だとしたら、自分の心・感情を素直に出してしまった=政治家らしくない人なのかも)と思った。

痛みを感じる心

2024-07-10 02:59:04 | 思ったこと
高齢者はそのうち死ぬからと
その人は言った。

相手がどうなろうと、それは自分に関係ないとも
そういうことを、
文脈を無視すればとんでもないことと思えることを
言える神経の人間が
支配者になろうとしている

それらの言葉は、はじめ隠蔽されていて
きれいな言葉で飾り立てて
仕舞われていた

しかし、最近はこれを隠すことなく
平気で表出する。それを咎める人が少なくなったからだ

弱肉強食、弱者は滅びるのみで、
お金や権力を得たものには頭の良さがあり
それだけで正当性があるのだと
言外に表現され尽くした世界で我々は生きている

弱者は死ねと
強者に屍を貪らせろと
強奪するものを正当化し
騙すものを頭が良いと称賛するような
そんな世界に生きている

言葉たくみに、そういうものを肯定して
それを否定するものをやり込め、
社会の片隅に 追いやり、抹殺することができる冷酷さこそ
奨励される

そのような空気感を敏感に感じ取り、そのように生きる人間で
この世界を満たし


正常な判断力をもつ人間を次第に追い詰めていく




今日、佐川急便のお兄さんが
大量の園芸用土を運んでくれた

いつも気持ちよく運んでくれるのだが、
さすがに気の毒になって
いつも重いものをすみませんといったら
腰をやられてしまって。でも重いものだとわかっていれば大丈夫なんです
笑顔で答えていた

この世界は、こうした
痛みを感じながらも、それを乗り越えて笑顔で仕事をして
社会を成り立たせている一人一人の善意から
むしり取って 

騙し取って
そこから得た巨万の富を 分配し 世界をコントロールする
心のない人たちがトップにたっている

その人たちに、痛みを感じる心はない。

訓練された受け答えなのか、あるいは。

2024-07-10 02:32:37 | 思ったこと
誰かから質問を受ける
しかし、それに答えず、質問の趣旨を質問しなおす
質問者は、もういちど丁寧に質問内容を伝え直す
しかし、質問を受けた側は、それを受け止めることなくまた質問に質問で答える
この堂々巡り

質問を受けた側は、質問者にあらかじめ悪意があると判断しているかのような態度で応答する。それをみている側は
質問者の質問の背後に悪意があると判断する

客観的にみて、
質問の内容に悪意も善意もなく中立のものでも
こうしたやりとりが繰り返されることにより、
質問を受けた側が正当性があり
質問を投げかけた側が 質問を受けた側の怒りを引き起こしたに違いない、と
(人によっては)判断する。

これは高度な、人に見せるためのコミニュケーションテクニックである。
イメージ戦略としては巧みであり、
(あたかも 質問を受けた側に正当性があり、
質問を投げかけた側が怒りを引き起こしたと思わせ)
質問を受けた側がなぜかもつあらかじめの怒りの表出や
質問そのものに答えないという質問者への侮辱や人格否定があっても
感情的な反応と 言葉の際限ないやりとりを
上手に自分の正当性を主張し、自信満々で
あたかも、相手が愚かであり、質問技術や質問の趣旨にあらかじめ悪意があると
思わせる。
つまり 質問を受けた側を勝利者だと思わせる。
質問を受けた側に正当性があると思わせる。

これは高度なテクニックである。
どこでこれを訓練してきたのだろうか
場のコントロール
人へどう見せるか

私たちは、そういう「手法」について知らない
ただ、違和感をもつが、どうして違和感があるのか、説明できない。
いくらこのやりとりが不自然であり、常識的なコミニュケーションのやり方を逸脱していると思っても
どちら(質問者 質問を受ける側)が正当性があるか、という意見が二分してしまい、結局のところ
質問を受けた側を強力に推す人たち(容易に勝ち負けで判断する人たちや、金に雇われた人間も含む) に 世論形成をさせるのを阻止できない。

もっともそこに世論はない。
ただ、人々に見せるための世論という名の宣伝広告が広く流布されるだけで
「みんな、そうおもっているのだ」というふうな誤解が広まるだけである。

そういうものに、この列島の人間たちは上手に騙されてきた。
そのような「空気」に支配されるように上手に訓練されてきた。

いま、そのプログラムの渦中にいる。
そして、ここで繰り広げられているのは
静かな、仲間同士で行われる攻撃であり、戦争である。

見えない戦争を させられているのだ。


この質問を受ける人物は
この素質、
この自己演出の才能があることを見抜いた上でのスカウトかもしれない。

しかし、おそらく訓練され、洗脳されたものだと 私は思う。