夢千年のナチュラル・ライフ

オーガニックな暮らしを求めて、愛知県の作手高原へ一家で移住して15年。スローライフ&スローフード実践中!

福島原発の現状

2011年04月05日 | ナチュラル・ライフ日記
黒田です。

大震災から3週間経ちました。

阪神淡路大震災で、家も事務所も何もかも失った友人が、
大勢の人に支えられたお礼だと言って、大量の救援物資
をトラック3台に積み込んで、南三陸町に行っています。

彼からの第一報は、同じ大震災の後と言っても、神戸とは
全く違う、と言います。
直後の滅茶苦茶な状況は、そう違わなくても、神戸では、
1週間後、2週間後、と、めきめきと状況が回復していくの
が、誰でも感じられたのに、南三陸町では、道路は車が走
れるようになり、自衛隊員や消防団員、住民が、行方不明
者を探したり、瓦礫の片づけをしているのに、事態が好転
しているような気がしない、それどころか、ますます悪くなっ
ているような気さえする、と言うのです。

あまりに壊滅的な状況だからなのでしょう。

彼は言います。
日本全国の健康で働ける人が、ひとり残らず、順番にここ
に来て、人海戦術で対応するくらいしないと、なんともなら
ないのではないか、と。

避難所はあっても、3週間以上経って未だに、電気も水もな
く、炊き出しをしようにも、鍋も釜もなく、ドラム缶を半分に切
ったもので、煮炊きしている有様とのことです。
1000人分のトン汁が、あっと言う間になくなって、自分たち
は朝から何にも食べないで、空腹のまま、冷え込む夜を一睡
もできず過ごした、と言ってきました。

報道されているより、はるかに現実は厳しいようです。

私が経験した、阪神淡路大震災より、ましてそれに学んで対
応できていた新潟中越大地震より、比べものにならない悲惨
な状況が、現地では今日も続いているようです。

それに加えて、福島原発です。

伝えられる報道の中に真実は薄い、肝心な何かが隠されて
いると思える現段階で、私の感じ取っていることを、率直に
書いてみます。

その最初の疑問は、何重にも遮蔽され防護されているはず
の原子炉から、なぜ放射性物質汚染水が流れ出ているか、
です。

記者の質問に答えて、これまでに3号機には、9000tの水が、
注水されたと報告されました。
続いて、3号機の内容量を質問したら、回答はありませんで
した。なぜでしょうか。
設計上のサプレッションプールの容量は、4000tあまりではな
いかと思われます。
この大きな差の水は、どこに行ったのでしょう。

福島原発の、沸騰水型原子炉1号機、2号機、3号機につい
て、多くの研究者は、原子炉の炉心が損傷を受けている可能
性が高いと指摘しています。
その損傷が、炉心溶融に至っているかどうかについては、次
第に、その可能性が否定できないとする意見に傾いています
が、決定的ではありません。
もし炉心溶融が発生していれば、溶融した原子燃料が、原子
炉の底に落ちてしまっている可能性も高まります。

非常に高い濃度の放射性物質を含んだ水が流れ出している、
という報道から判断すると、原子炉の炉心が溶融し、原子炉
の底の部分の、冷却水再循環配管や制御棒コントロール装
置などの接続部分付近に、損傷が生じていて、高い濃度に
汚染された冷却水が漏れ出している、と同時に、もしかする
と、溶融した原子力燃料そのものが漏れ出している可能性も
否定できません。
そうでなければ。あの高濃度汚染水の大量流出の説明が、で
きないのです。

大量の注水が継続していて、それに見合ったように、大量の
汚染水が流れ出している原因は、まったく報道されていませ
んが、これなら説明はつきます。
なぜ言えないのでしょう。
もしそれ以外の、たいしたこともない原因があるなら、東電は
とっくに記者会見で明らかにしているはずだと思います。

大量の高濃度汚染水の流出防止と、大気中への拡散防止は
緊急の課題です。
海に放流すれば、拡散して薄まるので大丈夫という説明は、実
に無責任な違法行為です。

まだ最悪の事態=原子炉の爆発の危険性が、0になったわけ
ではありません。
最悪のシナリオを避けながら、既に起きているチェルノブイリに
匹敵する事態に、どう対処するかに、日本国民の誰もが関心を
持ち、「風評被害」などといういい加減な言い方で、まるで警戒心
を高めていることが問題の核心だとするような対処は、問題の真
の解決から、ますます遠ざけるものです。

私は、これまで原子力発電は安全だと言い続け、事故があった
今でも、安全性を強調している政府や東京電力が、福島、茨城、
千葉の野菜や魚を、全量買い上げ、国会議事堂や霞ヶ関などの
政府機関の食堂で、東京電力の社内食堂で、給食用食材として
使い、それらの機関の職員は積極的にそれを食べ、買い取り、
自ら安全を確認するのが、いちばん国民に伝わると考えています
が、いざとなったら真っ先に逃げ出す人たちのような気がします。

私たちは、過剰防衛と言われようと、誰も護ってはくれないときの、
自己防衛としては、過少防衛よりはるかにましだと知っています。
用心することに越したことはないのです。
政府も東電も、もちろん中電も、私たちの生命や健康を護るのが、
いちばん大事だと考えていないことは確かなのですから。

私のヒロシマでの被爆体験から言えば、放射線被曝による健康
障害は、ただ被曝線量によって決定づけられるとは思えません。
私の被曝線量は、100回くらい死ねる量だと言われてきました。
まだ生きています。
私より、はるかにはるかに少ない被爆量で亡くなった人は、いっ
ぱいいました。
爆心地から、300mか400mくらいの商店街で被爆した友人が
3人いますが、全員今でも元気です。
そのまわりの人たちは、ほとんど亡くなりました。
影も形もなくなってしまった人も、ありました。
原爆被爆者のこどもで、原爆投下後に生まれた被曝二世で、原
爆症を発症して、亡くなった人も少なくありません。

研究者や政府や東電などが、非常に厳しい基準値を設定してい
ると言っていても、それが長年の間、体内や土壌中に蓄積された
とき、どのような結果を生じるかを知っているひとは、いません。
個人差について何かを言える研究者は、さらにいません。
誰も放射線は見たこともないし、死ぬほど浴びてみた人もいない
のです。
安全基準の範囲内だという放射線を、何十年も浴び続けている
人は、放射線技師とか、原子力発電関係者の中にはいるはずで
すが、真摯に研究対象として扱われている事例を、私は知りませ
ん。
人体実験の真っ最中ですが、それもそのような視点で、注意深く
観察しない限り、実験でもなんでもないでしょう。

今から始める「原発が要らない、希望のある暮らし」

2011年04月05日 | ナチュラル・ライフ日記
誰にでもできる。
今から始める「原発が要らない、希望のある暮らし」

想像もしていなかったことはいつも、突然起きます。
2011年3月11日のことは、誰も忘れません。
あんな大きな地震が起きて、あんなすさまじい水が押し寄せてくるなんて、
家も車も暮らしも、いのちも、一瞬に押し流してしまうなんて、誰が想像できたでしょう。
でもそれは現実でした。
耐え難い悲しみや苦しみが、信じられないほど多くのひとびとの日常になりました。

そして現実は、もっと過酷な運命と試練を、私たちに要求しました。

福島の海岸にずらりと並んで威容を誇った原発は、「原発は安全で、
クリーンな、未来のエネルギー」の触れ込みでやってきました。
最後まで反対した人たちはありましたが、福島県民のほとんどは、
多額のおカネや見返りとともに、それを信じました。

原発の安全神話は、タンポポの綿毛ほどの重さもありませんでした。

軽やかに語られる、重たいウソのつけは、
これから日本人みんなが背負うことになりました。
あまりに大きく重たい責任は、国民みんなの責任だと言って、
うやむやにする悪い癖は、もうやめなくてはなりません。

ウソだとわかっていても、一縷の望みを信じる、
私たちの悪い習慣も、改めなければなりません。

私たちは、歴史の中で経験してきた、
数多くの失敗や過ちから学ばなくてはなりません。

自分たちに対してだけでなく、こどもたちや孫たちに対しても、
はるかな未来に対しても、責任を負えないことは、
決してしてはならないと、心に誓いましょう。

そしてその私たちの決意と覚悟が、
私たちの未来に希望をもたらす唯一の手がかりだと、心に刻みましょう。
破滅に向かうしかないとさえ思える今、
それが持続に向かうための、新しいエネルギーです。
原発よりも、はるかに大きな、人類の未来に向かうエネルギーです。

今すぐ、日本中の原発はもとより、
世界中の原発の運転を停止して、
廃棄にむけた一歩を踏み出しましょう。

そして、「原発は要らない !!」と力強く意思表示しましょう。
私たちの毎日の暮らしの日常から、
原発のエネルギーが不要だと、語りかけましょう。
さぁ今すぐ、原発の要らない暮らしを始めましょう。

そんな難しいことではありません。
つい25年か、30年くらい前まで、原発はなかったのですから。

今、30代か40代以上の人なら、
25年か30年位前のことを、思い出してみてください。
大型店舗がそこら中にあって、そこにはモノが溢れていて、
モノに対する渇望をいやでも高めるようなことは、
その頃はまだ、それほどでもありませんでした。
持っている人より、持っていないひとのほうが多かったのですから、
持っていないからといって、そんなに不幸せではありませんでした。
山でも川でも原っぱでも、どこでも遊び場でした。
季節のおやつが見つかりました。
喉が渇けば、小川の水が渇きを癒してくれました。
遊び相手になる生きものたちが、溢れていました。
学年を超えて、仲間がありました。
ガキ大将についていきながら、リーダーシップとはどんなことか学びました。
強い力といたわる気持ちの両立を体得していきました。
大都会のど真ん中はともかくとして、
それ以外の場所では、大なり小なり、それが普通でした。
今の時代のように、家の手伝いなんかしなくていいから勉強しなさい
と言われるかわりに、
勉強なんかする暇があったら家の手伝いをしなさい
と言われるのは、ごく一般的でした。
それはそうです。
今みたいに、お金さえ払えばという条件はつきますが、
なんでもかでも、スイッチひとつで自動的にすんでしまうのとは違って、
お風呂を沸かしたり、料理したり、田舎なら水を汲んだり、
農作物をつくったり、薪を山に取りに行ったり、
動物たちの世話をしたり、遊ぶ暇もないほどでした。
都会の片隅でも、家の庭で、野菜を栽培したりしているのは、ごくふつうでした。
井戸もそこここにありました。
軒先に、薪を高く積み上げてある風景は、ごくあたりまえでした。
どこの家にも、ひと通りの道具は道具箱に入っていて、
家の補修や手入れくらいは、自分でやるのが当然と、
みんな思っていました。

田舎では、水も、家を建てることも、食べものも、
燃料も、みんな自分でやってきました。原則として、
誰かにやってもらうということはなく、
屋根の葺き替えや、家の新築のような大きな工事や、
田植えとか稲刈りとか、人数を必要とするときには、
近所のひとたちの相互共助組織としての「結い」が機能していました。
とくに、山の村は、ほとんど完全に自立して、
何もかもを自給的に、他の力に頼ることのない自律的な暮らしが成り立っていました。

都会に近づくにつれ、この自立性、自給力、自律性は、
幾分弱まり、貨幣経済の占める割合が大きくなっていきました。

私たち「山の力」では、上に書いた「自立性」、
「自給力」、「自律性」と、「協働性」の回復再生を、
広く呼びかけたいと思います。

まず何はともあれ、買う以外に方法がないと考えてきた、
「食べもの」、「エネルギー」「水」、の自給力を高めることを目標にしましょう。

今回問題になっている電気エネルギーについては、
原子力発電による供給量が、全体の約三分の一と言われていますから、
何はともあれ、電気の消費量を三分の一減らす努力をしてみましょう。
要らない電灯を、こまめに消す。
電気器具を常にスタンバイ状態にしておくことをやめる。
テレビやパソコンを点けっぱなしにしておかない。
撤去できそうな電気器具(電気炊飯器、電子レンジ、
オール電化住宅、電磁調理器具などなど)を、撤去する。
これだけでもうすでに、上の目標は楽々とクリアしているはずです。
そうです。そんなに困難なことではありません。
そして、原子力発電は要らない、と言いましょう。

次には、自家発電に挑戦です。
アメリカでは、光合成の原理を応用した、とても効率のいい、
しかも小型の発電機が開発されていて、インドの巨大企業の手で、
実用化と企業化に向けた最後の段階に入ったと報告されています。
小型の水力発電機も発売されていますし、小型で効率がよく、
低周波健康障害を起こしにくい風力発電装置もできています。
もちろん、バイオマス発電も有効です。
誰でも、どれでも選択できるというわけにはいかないかもしれませんが、
可能性は広がっていると言えるでしょう。

燃料についても、化石燃料や原子力エネルギーに、全て頼るのではなく、
日本の国土の大半が山林だということに、目を向けてみてください。
今流行の薪ストーブというのも、大いにお勧めですが、
たいへん効率のいい薪ボイラができていることにも、注目してください。
給湯だけでなく、温水暖房が可能です。
ぽかぽかして、いい気持ちです。試す値打ちがあります。
問題は、薪の供給ですが、今全国的に「木の駅」プロジェクトというのが、
広がっています。今後、大量の間伐材が、途絶えることなく、 
比較的安価に供給される可能性が高まっています。
食事の支度をしたりするのも、キッチンストーブもあれば、
かまどで炊いたごはんや、石窯で焼いたピザのおいしさを思い出せば、
それもありかと気持ちが傾きます。
実際に使っている場面を体験してみましょう。
飲料水の自給は、山では比較的簡単ですが、
都市水道に100%頼っている都会では、それほど簡単ではないかもしれません。
少し前までは、あちこちの家に井戸がありました。
今ではたいてい使わなくなって、ふたがしてあったり、
水が枯れてしまっていたりします。
非常用の水源としても貴重ですから、井戸のある場所の調査から始めましょう。
地震などの災害が予想される町などでは、
すでに調査済みで、地図に落とし込んである町もあります。
いざというときのために、新しく掘るというのも、
考慮していいことでしょう。
水質が問題になる可能性はありますから、事前にいろいろと
聞き取りしたりの調査は必要です。
また、池や沼、小川や水路などは、都市にとって大事な非常用用水です。
暗渠になっているものは、明渠に戻すよう要請しましょう。
池や沼の埋め立てには、賛成できません。
そして、池や沼、川や水路の周囲や周辺の森は、
都市住民にとっては、とても大事です。
生物多様性を保全するためにも、防災上も、
都市住民の憩いの場としても、大気汚染の防止からも、とても大切です。

食料の自給は、できる範囲で、それぞれが取り組むのが原則です。
しかし、都市住民にとっては、それほど簡単ではありませんが、
ベランダ園芸などに挑戦してみることで、
食料の自給に関心を深く持てるようになったり、食の安全や、
ほんとうのおいしさに、より強い関心を持つことができるでしょう。
これが出発点になります。
食材を買うときに、何を買うかに、
これまで以上の関心が芽生えてくるに違いありません。
そして、ほんとうに安全でおいしいものを、
実際につくっている人たちとの交流が始まることでしょう。
このつながりこそが、とても大切です。
都市住民のみなさんは、そのようなやりかたで、
実際につくっている人たちを支えていってほしいのです。
そしてひとりでも多くの人がそうすることによって、
より多くのひとが、食料を生産するようになり、
田んぼや畑の面積も増えていくことになるでしょう。
農の現場に足を運んでください。自分でも、手を出してみてください。
そして自分の、家族の、食を守ろうとする自分の行為が、
山を守り、水を守り、日本の国土を守り、生命や財産を守り、
生物多様性を保全することに直結していることを、実感してください。
それをこどもたちにも、伝えてください。

そして食料自給のもうひとつは、できるだけ外食を避けることです。
今日本には、外国から毎日大量の食料が、安く輸入されています。
外食産業の多くは、この食材に頼って、
比較的安い食事を提供することに、しのぎを削っています。
日本には、まだまだ遊休農地があります。
耕作可能用地もあります。
担い手があり、需要さえあれば、
もっと安全でおいしい食料をつくることは可能です。
「簡単、迅速、大量、便利」の毎日に慣れてしまった今となっては、
すぐにはそこから完全に抜け出すのは難しいのですが、
今回の原発事故を経験したからには、事情は少し違ってきました。
私たちは、あまりに「有り余る、コトやモノ」に慣れすぎました。
それが当たり前になってしまいました。
こどもたちには、それ以外の世界の経験さえありません。
あの地震や津波の前に、何かするすべも持たず、
予知さえできず、津波の大きささえわからず、
ましてあの制御不可能な原発事故を前にして何もできない私たちは、
今こそ、技術や科学の力で、自然を制御したりすることなど
できはしないことを、思い知らされました。
私たちは、もう少し謙虚であるべきなのでしょう。
素直でなければならないのでしょう。
怠惰であってはならないのでしょう。
生きるために、もう少し多くの時間を割くべきだと、
教えられたのではないでしょうか。
自然の力を畏れ、敬い、信じることを、
教えられたのではないでしょうか。

山は私たちに、水をもたらし、きれいな大気を与え、
土を供給します。もちろん、木もです。
私たちの生命を養う全てのものは、山からやって来ます。
もっと山に依拠する暮らしにシフトしましょう。

今回のたいへんな出来事が、破滅に向かわないで、
新たな再生に向かうために、山の力を信じましょう。
そして、ひとりでも多くの人々が、なんらかのしかたで、
山の守り手、水の守り手になるための一歩を踏み出しましょう。

夢千年の暮らしマガジン「山の力」より
http://yamanochikara.com/