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5月27日は日本海海戦の日

まるでこの日を狙ったかのように、空想戦争ファンタジー作品を量産するかわぐちかいじ氏の作品「空母いぶき」が公開されています。


図:公開映画「空母いぶき」

私にとって、かわぐち氏の作品は「沈黙の艦隊」が最初ですが、後年、世の真相を知るにつけて、かわぐち氏の現実認識の甘さは目に余ると感じています。それを幾つかピックアップすると次の様になるでしょうか。

(1)自衛隊には正規と非正規(偽)がある
(2)日本の艦船は既に原子力化されている
(3)世界の軍事装備品の技術基盤は殆んど日本製である
(4)日本海海戦は日米露欧の計画戦争である(ヤラセ)


それぞれについて私の認識を簡単に説明しましょう。

(1)自衛隊には正規と非正規(偽)がある

本ブログを長らく読んでいただいた読者さんには説明不要かと思いますが、自衛隊には漫画に描かれているような概ね理性的な、国民が一般的に想像し得る組織と、戦争遂行を絶対目的とし、超法規的な活動をしている別働組織の二つが存在します。もちろん、超法規組織ですから公式文書などにその存在が記載されているはずがありません。私はそれを偽自衛隊と呼んでいます。私はその存在を10年に亘る123便事件の調査活動を通して確信しています。

123便事件の主役はまさにその偽自衛隊なのですが、その断片的な表れは、最近の沼津事情からも観測することができます。彼らは戦争遂行そのものが目的ですから、日本を守るなんてことを本気で考えていません。強いて守るべきものを挙げるなら、彼らのスポンサーである、古代から連綿と続く権力者の家系や、その影響下にある大企業群であると言えるでしょう。経済的利益と権威の維持のためには、日本人ですら殺すし、平和が続くことを望まない人たちです。


図:123便事件調査から見えた日本の実際の統治機構(仮説含む)
  ・日本は見えない権力機構によって統治されている
  ・別働隊の存在は各機関の一部にしか知らされていない
  ・各別働隊は奥の院(仮称)の直轄部隊と考えられる
  ・在日米軍・警察・自衛隊の多重在籍者がいる
  ・別働隊の活動は日米あるいは他国の国法に制限されない
  ・別働隊と行動を共にする民間の軍属が多数存在する

関連記事:蘇る亡霊(19)
参考記事:駿河湾・沼津関連記事ガイド


(2)日本の艦船は既に原子力化されている

「沈黙の艦隊」では、日本初の原子力潜水艦が架空の存在として登場するのですが、何を言ってるのかと呆れるばかりです。自衛隊が現保有している公称スターリングエンジンの潜水艦は、燃料無補給で潜航日数40日が定期任務です。その40日も備蓄食料の搭載量の制限で決められているのであって、燃料や水の補給とは関係ないのです。正直、

 どんだけ燃費がいいんだか

と言わずにはいられません(*1)。現在の小型原子炉のサイズはアメリカンフットボール大にまで小型化できるので、旧型の原潜のように露骨に大きな原子炉を船内に置く必要がないのです。おそらく、そのような小型原子力発電装置を公式スペックから外して搭載していることは明らかです。同じように「空母いぶき」のモデルになった、出雲や加賀のような大型護衛艦にも非公式の補助エンジン(モーター)として搭載されていることは間違いありません。

この技術革新を知らないからこそ、「沈黙の艦隊」や「空母いぶき」のような、時代錯誤的かつ大時代的な空想戦争ファンタジーが描けるのでしょう。海上自衛隊の基地である呉港周辺海域は相当に放射能汚染が進んでいるとの情報も入ってます。

*1:元海上自衛官のお話より。本人もどうしてそんな長期間潜航ができるのか分からないし、潜水艦任務は極秘扱いなので誰も教えてくれないとか。また、隊内に何を任務としているか不明な部門があることも証言されてます。


(3)世界の軍事装備品の技術基盤は殆んど日本製である

日本は米国製兵器を泣く泣く買わされていると思っている方が多いようですが、最新兵器の電子基盤はほぼ100%日本製なんです。また、艦船建造などに必要な高張力鋼などの特殊素材も、日本の鋼材メーカーがほぼ独占状態です。国際軍事評論家のB氏によると、日本航空電子の半導体がなければ、外国軍はミサイルを飛ばすことすらできないそうです。要するに、日本国民の血税から払われた武器購入代は、米国企業を通して、日本の特定企業に還流する仕組みが出来上がってるんです。それこそが(1)の、戦争を絶対目的とする非正規軍の存在理由なのです。

本当にこの世から戦争を失くしたいのなら、日本の先端技術の海外流出を止めればいいだけのことなのであり、「沈黙の艦隊」の如く、その戦闘力(*2)を世界に見せ付ける必要なんて全くないのです。私が外国軍の指導者だったら、この世界から戦争を失くすために、まず、日本の生産基地を徹底的に無力化するでしょう。

*2:繰り返しになりますが、核兵器は存在しません


(4)日本海海戦は日米露欧の計画戦争である(ヤラセ)

日本海海戦で、後に日本占領を完遂するマッカーサー元帥が観戦武官として日本海軍に乗船していたのは有名な話です。歴史研究家の中には、そもそも日本海海戦を指揮していたのは、東郷平八郎元帥ではなく、欧米から派遣された海戦経験豊富な観戦武官たちだと言う人もいます。

この日本海海戦については司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」による印象操作が強烈なのですが、現実は小説と比べてさらに複雑に込み入ってるか、全く異なるようで、私もまだ完全に整理ができていません。少なくとも、バルチック艦隊がわざわざ超長距離を移動して日本海に進軍してきたというストーリー自体が、軍事行動的に不自然極まりないのです。

これについては追って見解を記事にしたいと思っていますが、おそらく、日本海海戦自体が、日米露欧の軍事部門が共謀して起した軍事ショーであったと見ています。その狙いとは、ロシア王政の打倒です。この海戦からおよそ10年の時を経てロシア革命が起き、ロマノフ王朝が倒れたことと深く繋がっていたということです。


 * * *


以上、簡単に私の所感を綴ってみました。「空母いぶき」に限って言及すれば、物語の仮想敵国にされているのは明らかに中国です。中国海軍との緊迫するやりとりが話しの肝となっているようですが、以前にもお知らせしたように

 中国軍と自衛隊の間でかつて空戦が行われています

もう何10年も前の話しですが、自衛隊のF4のファントムが撃墜されたと聞いています。もちろん、全て闇の中に葬られているのですが、B氏によると、このような隣国軍との小衝突は、軍事の世界で日常茶飯事だそうです。ですから、この情報以外にも自衛隊の衝突事例はあるのかもしれません。そんな現実も押さえず、自衛隊のある一面だけを強調するような空想軍事ファンタジーになんの意味があるのか、甚だ疑問を覚えるのです。

本当に、世界の平和安定を願うのなら、「沈黙の艦隊」は海洋に豊富な水資源があることを、全世界に伝えるべきではないでしょうか、国連常任理事国ならそれくらいやりなさいと言いたいです。まあ、漫画ですからそこまでムキになる必要もないでしょうけど。

関連記事:水資源問題は存在しない


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管理人 日月土
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123便事件と芸能界の闇(6) - 岡田有希子の「哀しい予感」(二度目の夏)

※5月6日に追記があります。

※この記事は、前記事「123便事件と芸能界の闇(5)」の続編となります。

タイトルに岡田有希子さんの名前を冠しながら、ここ2回、岡田さんの話題に触れずじまいでした。ここではシリーズ(4)(5)と同様に、1985年8月12日放映の日本テレビ系歌番組「ザ・トップテン」にランクインした、岡田有希子さんの楽曲について考察したいと思います。


■これまでのまとめ
  • 同年1月発売の岡田有希子さん「二人だけのセレモニー」は昭和天皇に決断を迫る歌である。

  • 同年「卒業」4タイトルは「昭和天皇との決別」を暗に意味している。

  • 原田知世さん「早春物語」は同年の「卒業」4タイトルを意味的に集約したものであり、8月12日の呪いの矢として用意されたものである。

  • 薬師丸ひろ子さん「あなたを・もっと・知りたくて」は世界を呪った歌である。

  • 123便が遭難したその日に中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」が歌われた。

以上の分析を前提に、論を進めます。この日、岡田さんの歌う「哀しい予感」は、同番組の第9位にランクインしています。当日、岡田さんは大阪で開催されたコンサートの都合で、現地から中継という形で番組に登場しています。この日遭難した日本航空123便は大阪の伊丹空港に向かっていました。偶然と言えばそれまでですが、ここにも気味の悪い符丁が現れることに注目です。


■岡田有希子さん1985年前半の楽曲

「哀しい予感」はそのタイトルからして、なにやら人に不安な気持ちを掻き立てる意味を帯びています。この曲の真意を理解するには、1985年、この日までに発売された岡田さんの3つの楽曲を俯瞰する必要があるでしょう。

以下その歌詞を掲載します(出典はJ-Lyric.net)。

 歌詞1:二人だけのセレモニー (1985年1月16日リリース)
 
 


 歌詞2:Summer Beach (1985年4月17日リリース)
 
 


 歌詞3:哀しい予感 (1985年7月17日リリース)
 
 

ここで、それぞれに出るキーワードを以下に抽出します。

 歌詞1:3本きりの花、十字架、卒業
 歌詞2:Summer Beach、I miss you、終わった恋
 歌詞3:二度目の夏、淋しい季節、風に散った初恋

歌詞1についてはシリーズ(1)で分析していますので、そちらをご参照ください。

さて、歌詞2の曲タイトルでもある、キーワード「Summer Beach(夏のビーチ)」ですが、4月のリリースで「夏のビーチ」とはあまりにも季節感が無さ過ぎではないでしょうか?これは、同夏に歌われた原田知世さんの「早春物語」と同じくらいの違和感があります。実はこのタイトルを早口で英語ネイティブ式に発音すれば

 Son of a bitch(この野郎!)

とほとんど区別が付かないことが分かります。また、歌詞3で、「二度目の夏」と出ていますので、前作「Summer Beach」を「一度目の夏」と解釈すれば、「哀しい予感」が前作を受けて作られていることはほぼ間違いないと考えられ、ここに4月なのに「夏」でなければならない必然性が認められます。

これらを素直に若い男女の一連の恋物語として繋げると以下の様になるでしょうか。

 歌詞1:これまでの関係は卒業、「あなた」から本気の返事を待つ。
 歌詞2:「あなた」から色良い返事はもらえなかったが、未練は残る。
 歌詞3:こちらになびく気はなし、「あなた」のいない時間が始まる。

この「あなた」の暗喩が昭和天皇を指すことは、シリーズ(1)で既に分析済みです。これを暗号的なストーリーとして読み直すと以下の様に表現を置き換えることができます。

 歌詞1:裕仁よ、その地位も終わりだ、我々に跪け。考える時間を与えよう。
 歌詞2:お前(昭和天皇)からの返事はない。交渉破談だが猶予はまだある。
 歌詞3:こちらに折れる気はないようだ。お前(昭和天皇)を亡き者とする。

これらが1985年の1月、4月、7月と岡田さんの歌を通して3ヶ月毎にメッセージとして世に出されていたかと思うと空恐ろしいものがあります。この場合7月リリースの「哀しい予感」の「哀(あわ)れ」という言葉こそが、相手(昭和天皇)との交渉決裂の最終サインであり、当初の計画通り、123便撃墜計画が8月12日に決行されることになったと考えられます。

本人の自覚の有無は関係なく、岡田有希子さんにこのようなメッセンジャーとしての役割が課せられていたとするなら、8月12日の事件当日に、123便が降り立つはずの大阪で同番組に出演し、「哀しい予感」を歌ったことには、芸能・放送業界も加担した大いなる悪意が込められていたと考えられます。


図:1985年日本テレビ「ザ・トップテン」分析図
岡田有希子さんが123便事件に関わるストーリーの主軸であったことが分かる。次の関心事は、作詞作曲を担当した、竹内まりや(出雲霊媒で蛇神使いの家系)、尾崎亜美、康珍化、松本隆、そしてサンミュージックやポニーキャニオン、角川書店、日本テレビなど、芸能産業全体の本件への関与度合いである。関係者全員、墓場まで秘密を持って行くことはもはや叶わないであろう。返し矢は放たれた。

図の補足:当ブログでは、複数の証言から123便の垂直尾翼に大きな損傷は無かったと結論付けています。それでも事故調査委員会が垂直尾翼が破壊されたことに拘ったのは、このストーリーにある「翼の折れたエンジェル」を強調し、一連の物語(早春物語)を完成させたかったのかもしれません。実は「エンジェル」にも大きな意味が隠されているのですが、それはまた後日としましょう。

追記 スタッフジャンバー

ネットを見ていたら、次のような画像を見つけました。



どうやら「岡田有希子ファンミーティング」のスタッフジャンバーのようです。岡田さんのファンが集うことに何か物申したい訳ではありませんが、実はこのジャンバーロゴがたいへん気になるのです。

勝手にシンボル解釈させてもらうと、以下の様になります



①:12枚の羽
②:穿った穴
③:Scuderia Rosso(赤い馬小屋)

これはこのようにも読めます

①’:12使徒,中央の三角(トリニティ)は13番目=イエス・キリスト
②’:両翼への釘打ち=キリスト磔刑、12使徒の封印
③’:馬小屋=キリスト誕生、赤色=血の色

全体の意味は、「キリストと十二使徒への呪い」です。このデザインを考えた方がどんな意図を持たれていたかは存じ上げませんが、呪いとは「そう読めてしまう」だけで成立するものなのです。岡田有希子さんがどのような役回りを強いられていたかは、本記事で述べている通りです。できれば、このデザインは変更された方がよろしいとご忠告申し上げます。


 * * *

こんなことを書くと、妄想だとかくだらないとか言われそうですが、何度もお伝えしているように、カルトとはそういうくだらない妄想的な行為を真剣に計画実行するからこそカルトなのです。日本の呪詛技術の基本は「言葉」です。それに意味があるからこそ、神主の祝詞(のりと)奏上や僧侶の読経が現代社会でも社会的行為として成立し、なかんづくありがたいものとして尊ばれていることを忘れてはなりません。呪いとは、その言葉が世と人を貶める方向に向いただけのものであり、社会への影響という意味では祝詞やお経と変わらないのです。

日本の芸能界、放送界はとことんカルト思想に汚染されている。その視点で1985年当時とその前後を眺めれば、123便事件がどのような背景で発生したのかが見えてくるのです。そして、岡田さんがどうしてその翌年、まだ若い命を失わなければならなかったのかも。

 関連記事:認めたくない、日本の憂うべき現状(12) - 経済カルトの城


ここでまた、昭和天皇と123便との関係についても深く言及する必要が出てきました。残念ながら、昭和天皇への呪いの言葉は、今回の岡田さんのケース以外にも、当時のメディアに散見されるのです。次回以降、それらを紹介すると同時に、改めて昭和天皇に焦点を当てたいと考えています。また、岡田さんを死に追いやった決定的な要素、そのキーワードである「マリコ」についても取り上げたいと思います。

 関連記事まとめ:黒霧123便関連記事ガイド


QUI EST EX DEO VERBA DEI AUDIT PROPTEREA VOS NON AUDITIS QUIA EX DEO NON ESTIS
神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。
(新共同訳聖書 ヨハネによる福音書 第8章47節)


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