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広島・長崎、73年後の真実(3) - 偽装された核爆発

本日8月15日は73回目となる終戦記念日です。平和への思いを大切にしつつも、そもそも戦争が何を目的に行われたのか、その考察を止めることなく続けるのが、今に生きる私たちの義務だと思います。

人は元来、死に至る争いを求める生き物ではないはずです。戦争への自然な拒絶反応はどうやって取り除かれるのか、観念的な平和論だけでなく、祖先を戦争に絡め取った悪魔的な思想や大衆心理操作技術について、私たちは理解を深め、それに対処していかなければなりません。今日の記事が、それに少しでも寄与できれば幸いです。


■原爆に対する思い込みを分析する

当然のことですが、多くの読者様は原爆直後の広島・長崎の実態を直接見たわけではありません。しかし、各種情報ソースにより、原爆に関して様々な情報を与えられています。そして、実態を何も知らない一般の方々が、原爆と聞くと何を連想するのか?その心象について、それぞれの事象を、それを裏付ける写真と共に分析してみましょう。

 1)爆風を伴う強力な大爆発 (裏付け:建築物が吹き飛んだ広島・長崎市街の写真)
 2)放射線焼け焦げた遺体 (I裏付け:真っ黒に焦げた遺体)
 3)戦後の放射線障害 (裏付け:現代まで続く被爆者への保障)
 4)上空に湧き上がったキノコ雲 (裏付け:広島のキノコ雲)
 etc.


一般的な論調では、上記数点を全てひっくるめて原爆の特性と思い込まされています。しかし、よく考えれば、それぞれ別々の物理的特性であることは明らかです。その視点で上記4点を書き直せば

 1')強力な爆発力のあるものが爆発
 2')強力な放射線の照射
 3')放射能がそこにあったという事実
 4')爆発後の一時的な対流現象
 etc.

となります。要するにそれぞれの物理現象が狭いエリア内で短時間に連続発生すれば、原爆と呼ばれるものと等価になるのです。


■キノコ雲は核使用の証明にならない

上記4点で注意しなければならないのは4)のキノコ雲です。世間ではキノコ雲が目撃されれば、すぐに「核爆弾が使われたのではないか?」というそそっかしい論評が巻き起こりますが、キノコ雲は多少爆発力の強い物が爆発すれば普通に見られる現象です。ガソリンに点火しても黒いキノコ雲が見られます。これは、最初の爆発力により、地表での反射を含めた上昇気流が発生し、それが高速で圧力の低い中心部に集まりながら、上空で減速した時点で四方に拡散すると考えれば、難なく説明できることです。ですから、

 キノコ雲=核爆弾

は完全な誤りであり、実際には

 キノコ雲=爆発物の爆発

と解釈するのが正しいのです。つまり、キノコ雲という事象を見ただけでは、それが核爆発に因るものかどうかは判定できないのです。これにより上記4)は、核爆発を証明する事実とならないことが分かります。


■大爆発の原因について考える

1)については、エネルギーによる説明が最も多いようです。短時間内に起こる物質的なエネルギーの解放が爆風や熱に変るとされています。原爆が持つエネルギーについては、その説明として

 E = mc2

という、1905年に発表されたアインシュタインの特殊相対論における「質量とエネルギーの等価」がよく用いられるようですが、そこでエネルギーに転換された質量がいったいどのようにあれだけの爆風や光を発する物理的プロセスを経るのか、それを詳細に説明する文献に出会ったことがありません。どこかにあるのかもしれませんが、それはこちらの勉強不足なのでごめんなさい。

さて、爆発現象がエネルギーの放出で説明できることなら、同じくエネルギーを放出する化学反応を用いれば同様の説明は可能であるはずです。広島・長崎の場合は大爆発ですが、大量の化学反応物質を用いれば、核爆発と呼ばれる物理現象と等しい爆発を起すことは可能です。この場合、問題となるのは、その大量の化学反応物質をどのように設置し、どのように反応させるかという、現実的なオペレーションとなります。そんなのは現実的に無理、だからこそ核が使われたのだと思いたくなりますが、

 化学反応の否定 → 核 

とするのは、議論としてはあまりに乱暴過ぎます。未知の化学・物理的反応があるのかも知れませんし、既知の気体を上手に使えば広島・長崎級の爆発を起すことは充分可能だと言うのが私の見解です。その具体的実行方法(*1)にはついては仮説を用意してありますので、後日これを公表したいと思いますが、ここでは、

 大爆発=核使用

と一概に断定できないことをぜひご理解ください。
*1 具体的実行方法:
ここで、「長崎の原爆はなかった」で出したお題、広島と長崎に共通する社会インフラは何か?の答が関ってきます。既に多くの方から正解を頂いておりますが、その答は

 市電

です。この答と原爆偽装のカラクリについては追ってご紹介いたします。


■放射線や放射能は核爆発由来とは限らない

3)の放射線や、多くの人が苦しんだ4)の残留放射能はまさに、原爆の悲劇性の象徴とされ、また、原爆の特殊性を物語る代名詞とされています。しかし、この二つは1)、4)の爆発と本来関係のない物理現象です。それを繋げるのが原爆の超臨界爆発に関する理論なのですが、実は、超臨界爆発が発生していなくても、両者は存在し得るのです。つまり、

 放射線・放射能の存在=超臨界爆発の発生=核爆発

とは断定できないのです。

どういうことかと言えば、現在でもレントゲンなど医療の現場、そして各種工業用など、人工的に放射線(γ線)を発生させることは普通に行われています。問題なのは同時に大量発生させることが可能かどうかということでしかなく、その為には大電力と放射線源たる大量の放射性物質(放射能)が必要となります。

ここでお気付きのように、予め大量の放射能が用意できるのなら、爆発とは一切関係なく、爆発後からでも地上に撒き散らせば、史実として報告されているような原爆後の悲劇は観測され得るのです。

そうすると、大電力と大量の放射能はどこからやってきたのか?となりますが、それを説明するのが、1900年頃にはとっくに完成していたと思われる、全国主要都市における地下原発の存在です。詳しくは「認めたくない、日本の憂うべき現状(8) - 中西部地下原発マップ」を再読していただきたいのですが、要するに、核爆発など実際に起きなくても、私たちがこれまで認知していた原爆の効力は、ほとんど説明可能だと言うことです。

加えるなら、広島の原爆直後に降ったとされる黒い雨。この黒い雨こそが、大量の放射性物質を含み、戦後、広島の市民を苦しめた元凶であると、私は推測します。もちろん空中への放射能散布と人工降雨技術を取り入れてこれを行ったと考えられます。どちらも空中に化学物質を撒くだけですから、当時の技術で充分実行可能であったでしょう。長崎の場合は、二度も黒い雨を降らすとさすがに疑われるので、放射性物質の空中散布だけに留めたか、あるいは、米国軍の投下した爆弾型カプセルの中に、予め大量の放射性物質が詰まっていたのかもしれません。
今回の記事でまた「地下原発」が出てきました。この地下原発こそが近・現代の産業エンジンであったことを私たちは受け入れ、認めなければ、ここ数百年の歴史を正しく理解することは叶いません。

私の説を「妄想」と一笑する前に、あなたが今現在使われてる電気がどこから来ているのかもう一度よく考え、できれば鉛筆と紙を用意して再計算してみてください。何度も繰り返しますが、大電力送電は物理的に不可能なのです。では、どこからその電気は来ているのでしょう?詳しくは本ブログの過去記事「認めたくない、日本の憂うべき現状(9) - 大電力送電の大嘘」をよくお読みになってください。



 * * *


今回は敢えて深入りしませんが、非核爆発説で一番肝心なのは、何故、米国が日本に原爆を投下したという捏造史が、日本は元より世界中に正史として通用しているのかという点です。日米の戦争共謀はもちろんのこと、世界を動かす権力は、原爆・核戦争という神話に何を求めていたのでしょうか?

これは余談でも誇張でもなく、この原爆神話こそが、同じく日米ソ共謀の痕跡が見られる1985年8月12日の日本航空123便撃墜計画に向けた歴史的展開の中で、絶対に欠かせない要素であったと、朧げながら分かってきました。


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管理人 日月土
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123便事件 - 事故とすませたい心

またこの日が訪れました。あの忌まわしい惨劇から33回目の8月12日です。夕刻6時過ぎに羽田を離陸した日本航空123便の推定不時着時刻は18:55頃です。読者様におかれましては、どうかその時刻に、全ての犠牲者のご冥福と、残されたご遺族様の心のご安寧をお祈りください。

* * *

私は、本件に関しては「事故」とか「墜落」と言う言葉をなるべく使いたくありません。何年もの調査の結果、それが事実でないことを確信しているからです。そして、何かの利害のため、とてつもなく大きな権力が、本件を事故で終わらせようと画策してきたことを肌身で感じています。

私と同じように、この件が事故でないことを凡そ理解・認識していながら、私に向かって「恐ろしくないのか?」、「命が惜しくないのか、手を引け」とアドバイスしてきた方は何人もいらっしゃいます。これらのご親切には御礼を申し上げると同時に、丁重にお断りを申し上げてきました。

私だって、恐ろしいと思ったこと、手を引こうと思ったことは何度もあります。それでもこうして調査研究を継続し、時に間違え、馬鹿にされながらもその結果をこうしてブログで発信してきたのは、勇気だとか正義だとかそんな聞こえの良い理由からではありません。信仰心というのもまた違います。

自分の心中が一番わからないものですが、敢えてその理由を説明するなら、やっぱり恐ろしいから、そして悲しいからです。人がその目で物を見ようとせず、積み重ねた経験と知識に反してまで物を見ないことの正当性を考える。それって、本当に自分の人生を生きていると言えるのでしょうか?世の中全体がそうなってるとしたら、この世界とはいったい何なのでしょうか?

「あれは事故だった」。そう報道するマスコミや関係機関への疑いを一切排除し、自分の関心事にのみ気持ちを向けるのは確かに楽ですし、賢明な生き方とも言えます。私がそれに賛同し得ないのは、本件で犠牲になられた方々と自分の間に大きな違いはなく、昨日までの平穏な人生が一転して悲劇となり、それが誰にも理解されず、事故犠牲者という憐みの対象としてこの世から簡単に葬り去られること、そうなる事に対し何か本質的な違和感を感じるからです。

「事故ですませたい」。その心は同時に、何か大事な物を失っているように思うのです。


戦争の悲劇ですませたい…
広島・長崎の原爆も、123便事件同様、嘘で固められた史実であることがわかってきました。

■123便、犠牲者人名検索ページ

123便犠牲者の人名検索ができるページを作りました。今は機能も体裁も粗っぽいですがご容赦ください。適宜データを更新し操作性を高めたいと思います。なお、住所が特定できるような記述については伏字にしています。

ここでは、どんな方々が同機に乗っておられたのか改めてご確認ください。家族連れ、子供、女性、外国人・・・皆、私たちと変わらない人間です。その方々が一日にしてこの世から失われたことの意味を改めてお考えください。
http://debussy.php.xdomain.jp/passengersearch.html


RESPONDIT IESUS ET DIXIT EIS ET SI EGO TESTIMONIUM PERHIBEO DE ME IPSO VERUM EST TESTIMONIUM MEUM QUIA SCIO UNDE VENI ET QUO VADO VOS AUTEM NESCITIS UNDE VENIO AUT QUO VADO
イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。」
(ヨハネの福音書 第8章14節)


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管理人 日月土
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広島・長崎、原爆73年後の真実(2) - 長崎の原爆はなかった

本日8月9日は長崎の原爆の日。広島とも合わせ犠牲になった全ての犠牲者のご冥福と、ご遺族の心の安寧をお祈りしたいと思います。


さて、長崎の原爆の日ということで、今回は長崎に投下された原爆で使用されたという原子爆弾「ファットマン」について考えてみたいと思います。


ファットマン

■ファットマンの起爆構造

ファットマンでは爆薬にプルトニウムが用いられることは有名ですが、その起爆装置に爆縮レンズが使用されていた(とされている)ことは、どれくらいの方がご存知でしょうか?要するに、分散配置されたプルトニウムを、一般のレンズが光を一つの焦点に集めるが如く、火薬の爆発力で一点に集め、それによって超臨界状態を起し、核爆発を誘発させようとするものです。



色の濃いコブ状の部分が「遅い火薬」。これにより点火位置と中心を結んだラインでは到達速度が遅くなる。また、点火位置から点火ユニットの端を通り、遠回りして中心に至るラインでは速い速度が維持され、結果として中央ユニットに同時に爆発が到達する。

引用元:Wikiペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E7%B8%AE%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA


さて、この爆縮レンズ、米国機関がジョン・フォン・ノイマンなどの数学者を総動員して設計したことで有名です。この設計に関る米ソのスパイ合戦などは、時々ドキュメンタリーなどで報道されていました。設計に関するくだりをWikiペディアから引用すると


ZNDモデルでは先行する衝撃波は不連続面として扱われるが、双曲型偏微分方程式を差分近似で数値的に解こうとすると衝撃波の不連続面は特異点になってそこで解が発散してしまい計算することが出来なくなってしまう。そこでジョン・フォン・ノイマンは人工粘性の概念を取り入れることで上放物型偏微分方程式の差分近似に置き換えて計算することに成功した。その結果、曲がりなりにも衝撃波の数値計算ができるようになった。しかし、ZND理論は大変に複雑で膨大な計算を要したため1940年代当時のロスアラモス研究所に集められたジョン・フォン・ノイマンらの数学者達の手によっても、優に10ヶ月以上の時間を要した。当時は、コンピュータが無かったためである。

計算の結果、点火装置の数と、それに応じるように配置された火薬のコブは、原子爆弾一つにつき32個が最適であると結論された。しかし、当時の起爆装置では32個の雷管を同時起爆する際に生じる誤差をナノ秒単位に収めることが出来なかった。そのため、新しく起爆電橋線型雷管が開発された。


ここで注目するのは強調した部分、「当時は、コンピュータが無かった」、「同時起爆する際に生じる誤差をナノ秒単位に収める」の2点です。続いて、同引用文中に書かれている起爆電橋線型雷管について、同じくWikiペディアを引いてみましょう。


起爆電橋線型雷管(きばくでんきょうせんがたらいかん 英:Exploding Bridge Wire detonator、略称:EBW)とは、マンハッタン計画の一部として、1940年代にロスアラモス国立研究所で爆縮レンズ用に極めて正確に作動する雷管としてルイス・アルヴァレズによって開発された。

原子爆弾に使用する爆縮レンズは数十マイクロ秒以下の誤差で正確に起爆する必要があったが、普通の電気雷管では電熱線の加熱によって点火薬を発火させていたため、通電から起爆まで200~300ミリ秒もかかり、通電から起爆までに100ミリ秒以上の誤差があった。衝撃波は1ミリ秒につき7~8メートルも進むため、僅か1ミリ秒の誤差でもプルトニウムがバラバラになって飛び散り、核分裂は起きないため原子爆弾には使えなかった。そのため、新たな方式の起爆装置を開発する必要に迫られて、新型雷管が開発されることになった。このような事情から、新型雷管には誤差0.1マイクロ秒以下の精度が要求された

・・・・中略・・・・

最終的な精度は0.025マイクロ秒にまで高められたと言われている。


なんとこちらでは、「原子爆弾に使用する爆縮レンズは数十マイクロ秒以下の誤差で正確に起爆する必要があった」と先の引用文のナノ秒単位とは随分と記述内容に違いがありますが、どちらが本当なのでしょう?幸い上記引用文の最後に「新型雷管には誤差0.1マイクロ秒以下の精度が要求された」そして、伝聞情報としてですが、「最終的な精度は0.025マイクロ秒にまで高められた」とあります。こちらが前引用と整合しますので、こちらに沿って考えたいと思います。


■起爆許容誤差時間について考える

ここで単位についてのおさらいです。

 1 マイクロ秒:1 / 106 = 1 × 10-6 百万分の1秒 → 記号μs
 1 ナノ秒:  1 / 109 = 1 × 10-9 十億分の1秒 → 記号ns

よって、文中の具体的な数値をナノ秒単位に揃えると

 0.1μs以下 → 100ns以下
 0.025μs  →  25ns

となります。以上より、当時達成された起爆時間の許容誤差は、概ね 25~100nsの範囲と推定されます。

ここで、この微小時間の測定について考察します。最初に、この時間を測定するための精度、目盛りの大きさについて見てみましょう。

仮に、1.2cmの物体の長さを測るのに、物差しにどれくらいの目盛幅が必要でしょうか?ここでは目分量による概算はできないとします。正確に測りたいなら、mm単位の目盛りが必要なのは誰でも分かると思います。仮に1cmの目盛幅しかないなら、切り下げて1cm、切り上げて2cmと測定されることになります。

これは時間の計測ですから、定規のような目盛りを用意することはできません。その代わりとなるのが時計ですが、普通の時計では時の刻みが秒単位ですから、とてもじゃないけどナノ秒を表現することはできません。現代では水晶発振器などを用いて、極小単位の時を刻むことが可能です。パソコンやスマホに搭載されているCPU(中央演算回路)も基本的にこの発振器と同期して動いています。これをクロック周波数と呼ぶことは、コンピュータがお好きな方はどなたもご存知かと思います。一般に周波数が高ければCPUの演算能力は高い(速い)とされています。

現在ではクロック周波数でギガヘルツ(GHz)単位の高速CPUが普通に購入できます。ありがたいものですね、今や Java や Pythonなどの汎用プログラミング言語でも、ナノ秒単位の測定プログラムが当たり前に組めるのですから。ちなみに1GHzの振動数と、1振動における時間(時間の目盛りとなる刻み幅)の関係は以下のようになります。

 1GHz:1 × 109 回毎秒
 刻み:1 / 109 = 1 × 10-9 = 1ns

ここでさらに、クロック周波数と時間の刻み幅の関係をまとめてみました。なおMHzはメガヘルツと読みます。

  10MHz → 100ns
 100MHz → 10ns
  1GHz → 1ns

そうすると、誤差精度10nsオーダーの時間のずれを測定するのに100MHzオーダーのクロック周波数、25nsなど1ns単位の誤差が本当に測定できたとしたなら、1GHzオーダーのクロック周波数を発生させる発振器が最低でも必要となります。


■爆縮レンズは製造できなかった

CPUの産業史を振り返ると、1970年代にインテルが発表した演算回路8080でさえそのクロック数は5-10MHzで基本的にマイクロ秒単位の計測しかできません。現在一般用途で使われている水晶発振器もせいぜい20MHz程度です。何を言いたいかというと、原爆製造当時、どうやって100MHz以上の高周波数の発振器を調達したのか、そこに大きな疑問があるということです。仮に軍事用の超スペシャルな技術で高周波発振器を得たとしても、「当時は、コンピュータが無かった」という状況ですから、アナログ回路だけでどうやってそれを数値化したのかが不明です。


Intel 8080

ちなみに電気工学に詳しい方にお聞きしたところ、「アナログ回路でナノ秒単位の計測回路を作るのは絶対に無理」と即答されました。

そんなことがわかってくると、はっきり言って、当時の状況としては、原爆開発よりも、このレベルの時間計測器を発明する方がよっぽど革命的な技術革新だったのではないかとさえ思えてくるのです。

それに加え、爆縮レンズを製造する加工精度はどうだったのかも気になります。起爆タイミングがnsレベルの誤差しか許されないなら、構造物そのものの加工も超絶レベルの精度が要求されると考えられます。特に32面体の各面からの射出角の僅かなズレなどは致命的なものとなるでしょう。追々、それらの誤差許容範囲も計算してみようと思います。そして、このような超高精密爆弾をたった1回のトリニティ実験の成功で実戦投入可能と判断し、起爆方式も違うのに、広島・長崎と立て続けに成功させるその確率たるや、生産工学的には奇跡としか言いようがありません。思い浮かぶ疑問は幾つもありますが、ここでは時間計測の推論だけで充分に以下の結論を出せると思います。

当時の技術で爆縮レンズなんか作れやしない、つまり

 長崎で核爆発なんてなかった

というか、そもそも核爆弾なんて昔も今も存在しないよね?

 * * *


以上の推論から、一昨年の記事「改ざんの日本史-長崎原爆投下の真実(1)」にて掲載した。地上起爆に偏った見解は訂正いたします。その後の調査と考察により爆発の中心は、平和公園よりもう少し南西寄りの辺りであったと推測されます。核爆発の可能性が薄れた以上、そもそも一点を基点に爆発したかどうかも分からないので、現在は正確なグランドゼロ(爆心)を求めることに大きな意味はないと感じています。

核爆発でなければ何が起きたのか?それについては、また次の記事以降の掲載といたしますが、広島の時と同じように、答のヒントをここに残しておきたいと思います。三角形が2つ描かれていますが、それがどういうことかもよくお考えください。そして、もう一つお題を。広島と長崎の両都市で当時共通していた社会インフラは何でしょうか?ヒントは今も共通しているです。もう、お解かりですね。よろしくお願いします。



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管理人 日月土
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広島・長崎、原爆73年後の真実(1) - 広島の原爆はなかった


昨年「長崎72回目の原爆の日に」を記して以来、それっきりになっていた原爆について、少々書き足しておきたいと思います。


話の切り出しとして、上記記事にて読者様にご覧になるようお勧めした、昨年放送のNHK番組「原爆の絵”は語る~ヒロシマ 被爆直後の3日間~」から、そこで紹介された被爆者の描かれた絵をご紹介します。



誰が見ても、これは被爆者でこの絵を描かれた武田晴彦さん(当時12歳)が目撃した核爆発の瞬間と捉えることでしょう。かく言う私も、これまでは特にその常識的な考えに疑いはありませんでした。でも、ちょっと待ってください、何かおかしくありませんか?

戦後、武田さんが記憶を頼りに自らこの絵を描かれたということは、以下の事実を示していると考えられます。
 1.武田さんは核爆発の閃光により失明することはなかった
 2.武田さんは強力な放射線の直射から身を隠す時間があった

原子核理論的には、核爆発が発生したその瞬間に強力な放射線が発生し、少し遅れて爆風がやってくると予想されます。その予想が正しいなら、この絵を描かれた武田さんは、このシーンを目撃したとほぼ同時に放射線に焼かれてしまうか、視力に大きな障害を負っていたはずです。そして、視力に障害を負っていたなら、絵画によりこのような複雑な色彩の表現は不可能だったはずです。

そして、人はその情景を一瞬で脳裏に焼き付けることはできますが、身を隠すには、それから1秒以上の時間がかかるはずです。しかし、光速で移動するガンマ線にとっては、1秒という時間はとても長い時間です。身を隠すよりも、瞬きするよりも早く武田さんに襲い掛かっていたはずだと容易に想像されます。

この不可思議な事実の相反から導かれる仮説、その一つは以下のようになります。

 この絵は核爆発の瞬間を捉えたものではない

つまり、描かれたのは別の物理的原因で生じた発光体であるということ。そして、ここからさらに次のような疑いが想起されるのです。

 広島で起きた爆発は、核爆発ではなかった(長崎も)

こう書くと、それではあの世界を震撼させた大惨事は何だったのだ?その後人々が苦しんだ放射線障害は何だったのだと、当然のように反論をいただくかと思います。私も、その答にずっと窮していましたが、この度、やっとその答と言える結論に辿り着く事ができました。それについての詳細は次の記事以降に譲るとして、その答を示唆する図を下記に示します。もしも、読者様がこの記事をまじめに取り合ってくださるなら、これについてぜひ考えてみてください。






 * * *


ネットの世界では、広島・長崎の原爆を、従来通りの空中起爆か、または地上に仕込まれた地上起爆とするかが争点になっておりますが、私の所感としては、事象的には空中起爆が正しく、構造的には地上起爆が正しいとします。

要するに、核爆発なんてものがこの世に存在すると考えること自体が、まやかしであるという立場で、広島・長崎の悲劇は全く別の手法によって引き起こされたとするものです。戦後73年間、核戦争が発生しなかった理由を核の抑止力と捉えるのは勝手ですが、この複雑な世界で、そんな理由付けはあまりに幻想的だとは思われないでしょうか?核兵器なんか初めから無かったと考える方が、よっぽど合理的な説明だと、私は思うのです。


金委員長、トランプ大統領、まずはこんな答でご容赦ください。
核放棄も何も「そんなもん最初っからねぇよ!」と叫びたいところでしょう(笑)


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管理人 日月土




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