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JAL123便墜落事故-真相を追う-小野田少尉に関する異なる見解

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1月11日のB氏講演情報は前記事を参照ください
北朝鮮の水爆実験に関する情報が入りました。こちらもお伝えします。
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昨年12月の記事「事件当時の国際関係とフィリピン」で、戦後29年後に日本に帰還した小野田少尉について少し触れました。その小野田氏に関して興味深い記事を見つけましたので、まずはそれを全文引用掲載したいと思います。


出典:http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamadajun/20140124-00031918/



40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」


山田順 | 作家、ジャーナリスト、出版プロデューサー
2014年1月24日 2時51分配信

小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』という本で明らかにした。

当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日本兵」と言われてもピンと来なかった。
それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書くために、小野田さんと共同生活をしていたからだ。
小野田手記はメディアの争奪戦となり、獲得した講談社は、ほかのメディアの目を逃れるため、小野田さんを野間家(講談社の社主)の別邸(静岡県伊東市)に隔離した。そこで、『週刊現代』の担当者と父が共同生活をしながら、小野田さんから話を聞いていたのだ。
「着替えを持ってきてほしい」と父が言ったのは、最初、共同生活がそんなに長くなるとは思わなかったからだった。

父から頼まれた着替えを入れたバッグを持って東海道線に乗り、伊東に向かった。野間別邸は広い庭を持つ昔ながらの木造洋館で、その一室に小野田さんはいた。私は、庭に面した応接室で初めて小野田さんに会った。痩せていて、思ったより小柄な人だというのが第一印象だった。
このときのことを書くと長くなるので、印象に残ったことだけ書くと、小野田さんは世間が騒いでいるような人ではなかったということだ。戦争がどうのこうの、帝国軍人がどうのこうのという話は抜きにして、私には単なる「気が小さいおじさん」にしか思えなかった。
なぜなら、この夜、私は小野田さんと一緒に風呂に入り、彼の背中を流しながら話をしたからだ。

私はおそるおそる聞いた。「小野田さん、戦争が終わったのを知っていたんですか?」
すると、小野田さんは、なにかに怯えているような目つきになり、「そうだ」とぽつりと言った。私はこのとき、ただ、「やっぱり」と思っただけだった。それから、小野田さんは湯船につかりながら、突然、持っていた銃の話をしてくれた。「坊主、銃というのはこうやって構えて、こうやって撃つんだ」みたいな話だった。
あとから知ったが、小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。銃は肌身離さず持っていた。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。ただ、最後に残った仲間の小塚一等兵がフィリピン警察軍に殺されたので、観念したのだろう。
(つまり、元上官の任務解除命令、フィリピン軍に投降などの一連の儀式は、フィクションの上に成りたっていたと言える)

いまから40年も前の話で、当時の私は、小野田さんが話したことの意味はよくわからなかった。ただ、いま亡くなられて思うのは、「戦争は人の運命を狂わせる」ということだけだ。いまだに、日本は首相の靖国参拝問題などで、半世紀以上前の戦争を引きずっている。
小野田さんが亡くなってから、ネットに書き込まれた若い世代の意見を読んだ。また、彼を戦前の強い日本人、誇り高き軍人の象徴と捉えている識者の追悼コメントや追悼記事も読んだ。そうして、なぜかしっくりこない気持ちを、今日も抱えている。


山田順
作家、ジャーナリスト、出版プロデューサー
1976年立教大学卒業後、光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年退社。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙と電子の両方の出版プロデュースも手掛ける。専門分野はメディア、経済、ビジネス。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『新聞・出版 絶望未来』(東洋経済新報社)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク)。近著は『円安亡国 ドルで見た日本経済の真実』(文春新書)。




■フィリピン現地の異なる証言

私はフィリピンに1年滞在し、その時に小野田氏が発見され帰還された当時の様子を現地の人から聞いています。そこで聞いた内容とは、日本のメディアが伝える内容と大きく異なるものでした。そして、この記事を読んでそれらの証言と符号する点が幾つか見いだせることに正直驚きました。

まず、一般的なフィリピン人が聞かされている小野田氏の人物像を下記に記します。

「オノダはひどい奴だ。(彼とその同僚は)農民の集落を襲い、食料や家畜を奪ってはジャングルに逃げ込んでいた。それだけでなく、農家の婦女子を暴行するようになった。住民は警察・軍に彼らの掃討を訴え続けていた。最終的にフィリピン軍による掃討作戦が実行され、オノダは生け捕りにされた。彼が軍の捕獲カゴに入れられた写真を新聞で見た。」

以上の証言によると、日本のメディアが報道していたような、小野田氏が正直に軍の使命を全うし続けた日本陸軍のヒーローとはほど遠いことがわかるでしょう。日本人同僚の呼びかけに応じて投降したという情報も現地では全く伝えられていません。ただし、戦後フィリピンに進駐した米国軍による政策的な日本軍バッシングがこの国では当たり前なので、現地報道をどこまで信じてよいか今まで疑問のままでした。しかし、山田氏の記事によると地元農家の襲撃、地元警察・軍との衝突はどうも事実だったようです。


■やはり気になる滞在理由

小野田氏は帰還後の雑誌の取材に対し以下のように答えています。これは私の記憶であり出典がどこかを正確に示せませんが、内容が内容だったので今でも鮮明に覚えています。
「盗んだ電線を使って簡易ラジオを作り日本の放送も聞いていた。だから新幹線が開通したことも、月にロケットが打ち上げられたことも知っていた。」

これはつまり、戦争がとっくに終わっていたことを小野田氏は知っていたことになります。それでも日本に戻らなかった理由を

「日本は自分が知っている日本でない、だから帰りたくなかった・・」

ジャングル生活をしながら略奪を繰り返し、現地警察・軍に追われる毎日。そんな過酷な環境の中で、果たしてそんな情緒的な理由で異国のジャングルに留まりたいものなのでしょうか?繰り返しになりますが、小野田少尉は陸軍中野学校で訓練を受けた特殊な軍人であるということ。「どうしてもそこに留まらなければならなかった」理由があったと考えるのが一番自然なように思われます。


■帰国半年で結婚、ブラジルに移住

その、小野田氏は帰国半年で、実兄が居住するブラジルに移住することになります。一年足らずのこの短い期間、マスコミに激しく追われ続ける中で伴侶を得て、共に移住して農場経営を始めます。余計なお世話かもしれませんが、何もかも余りに準備がよろしいと思うのは私だけでしょうか?


写真1:小野田寛郎少尉
   私は小野田氏を貶めるつもりは毛頭ない。彼をそこまで
   駆り立て、追い詰めたものとは、山田氏が語るように「戦争」
   という人類の狂気なのだと思う


■フィリピン海戦を巡る幾つかの謎

フィリピンでは、レイテ島沖海戦、スリガオ海峡海戦など、米軍と日本軍の激しい戦闘があり、特攻隊など多くの日本兵が犠牲となったのはご存知の通りかと思います。このフィリピンの戦闘について国際軍事評論家のB氏は次のような疑問を呈しています。

謎1:作戦的に無意味な米国艦隊のフィリピン攻略
サイパンを陥落させ、日本の本土爆撃が可能になった段階で、フィリピンを含む南海諸島の攻略には戦略的な意味は無くなっていた。兵力を温存し本土上陸作戦に戦力を集中させるのが定石であり、海軍司令はフィリピン攻略に反対していた。強引に作戦を遂行させたのはマッカーサー。かつての米国領地に対する強い個人的思いがそうさせたと言われるが果たしてそうなのか?

謎2:栗田艦隊謎の反転
歴史にもしもはないが、レイテ沖海戦で栗田艦隊が予定通り援軍に入れば、日本軍はこの海戦で勝利していだろう。少なくともマッカーサーの乗船する旗艦を捕らえることは可能だったはずである。どうして、反転命令が下されたのか、世界各国の海戦史を紐解いても、これほど不合理な命令が出された例は見たことがない。

これについて私はこう推測します。

 ・フィリピン本土に何かが隠されていること
 ・その何かについて米軍と日本軍の間で密約があった

マッカーサー父子はバルチック艦隊撃破で有名な日本海海戦で、観戦武官として日本艦隊に乗船していたことは有名な話です。また、日本の特権階級と深い繋がりのある一族であったことも、後の調べで分かっています。この謎話の裏には、大きな謀略が潜んでおり、それは日本の秘密資金と深く関連しているものと想像されるのです。


写真2:アーサー・マッカーサー・ジュニア比国総督とダクラス・マッカーサー元帥 父子
    2人共にフィリピン滞在時代から日本の中枢と深い縁があった


 * * *


昨年末、「2001年宇宙の旅」の監督で有名なスタンリー・キューブリック監督が生前のインタビューが公開され、月の着陸シーンは自分が撮影したフェイクであると証言しています。まともに力学を学んでいる者なら、あのシーンの中にはおかしい点がいくつも見出せ、これはプロパガンダ用の別製作フィルムであることはもはや自明のことでした。

それを今更大きく取り上げるつもりもありませんが、エノラゲイ号が原爆投下機でなかったこと、上述の虚像の月着陸映像、小野田氏帰還にまつわる作り話、そして事故と偽られた123便事件やテロ事件と偽られた911事件。私たちはどれほどの「噓(うそ)」をメディアによって吹き込まれ、それに心を砕いてきたのでしょうか。

私は心底思います。もう噓はやめてくれと。一輪の花の美しさをただ美しいと言える世の中に変わってほしいと。

EXSICCATUM EST FAENUM CECIDIT FLOS VERBUM AUTEM DEI NOSTRI STABIT IN AETERNUM
草は枯れ、花はしぼむが
わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
(イザヤ書 第40章8節)


雲出づる古の土地より
管理人 日月土
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2016年 本ブログの方向性について


明けましておめでとうございます。


過去の記事でも触れましたが、1985年8月12日に墜落した日本航空機123便の墜落までの顛末と、その後の処理、事件に関わる利害関係者等については、ほぼその全貌を読み解くに至りました。

全てをお知らせしたいのは山々なのですが、そこに見出す真実は一般読者の常識概念を大きく逸脱しており、正直なところそれを説明する言葉、用語を見出すことすら困難な状況です。例えば、この国を支配するもう一つの政府のような機関、国民に知らされていないもう一つの天皇制、そしてそれらを支える非合法武装集団の存在をどう説明したらよいのか。

もしかしたら、この辺りはまだ理解し易い方なのかもしれません。一番問題なのはどうして彼らが裏の勢力として存在できるのか、その権威を形作る「力」の源泉がどこにあるかという点です。

その一点こそが、実は現代社会で「非常識・非科学」として取り扱われ、一般人が近づくことを徹底的に排除されている分野なのです。


本年、「(新)日本の黒い霧」では扱いの難しいこの分野に切り込まざるを得ないと考えています。


雲出づる古の土地より
管理人 日月土




---------------------- 国際軍事評論家B氏講演会情報 ------------------------

※B氏は実名を公開されていますが、本ブログでは、文中で使用している匿名「B氏」の名で呼ばせていただきます。なお、B氏のご専門である軍事以外の件で、本ブログの記述内容について質問することはご遠慮ください。



B氏 新年 1月11日講演会のご案内。

一般の報道では公表されない、報道の裏側を独自の情報ネットワークで入手し、わかりやすく説明いたします。

日時:2016年1月11日 月曜日(祝日)
  13時10分開場 13時30分開始
  16時30分終了予定
        
会場:京橋区民館
 東京都中央区京橋2丁目6番7号日本橋2-3-6 (TEL:03-3561-6340)
 ・東京メトロ銀座線京橋駅6番出口徒歩2分、
 ・都営地下鉄浅草線宝町駅A5・A6番出口徒歩2分、
 ・JR東京駅より徒歩8分、
 ・JR有楽町駅より徒歩8分、
 ・東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅より徒歩6分、
 ・東京メトロ銀座駅より徒歩9分

テーマ:時事問題

①台湾情勢について
 台湾では1月16日に総統選挙が実施されますが、野党・民進党の蔡英文(ツァイ・インウェン)氏の当選がほぼ確実とみられており、与党国民党の馬政権からの政権交代が行われることになります。馬政権は中国寄りの政策を実施し、昨年には徴兵制度を廃止するなど、軍備縮小路線を進めてきており、このため台湾海峡の制空権は、現在中国が握る形となっております。

 これに対してオバマ米政権は12月16日、台湾にミサイルフリゲート艦2隻を含む総額18億3千万ドル(約2230億円)の武器を売る方針を米議会に通告しました。台湾への武器売却発表は4年ぶりとなります。米政府によると、売却する軍艦はオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート艦2隻(排水量が4千トン級、計約1億9千万ドル)。これは、台湾総統選挙後に、中国が握っている台湾海峡の制空権を台湾側に戻す作戦の一環で、2月頃に台湾海峡周辺で軍事的衝突が起きる可能性があるとの情報が入ってきています。

 一方、中国の王毅(ワン・イー)外相は、12月20日、訪問先のキプロスでケリー米国務長官と電話で会談し、台湾への武器売却や南シナ海で中国が造成している人工島付近への艦船派遣を停止するよう求めました。講演会の中で詳しくお伝えいたします。 

     
②従軍慰安婦問題について
 岸田外務大臣が12月28日に韓国を訪問し、従軍慰安婦問題で尹炳世(ユン・ビョンセ)外相と会談を行い、この問題について大きな前進が見られましたが、これは台湾総統選挙後に台湾海峡の制空権を巡る中国との軍事的衝突が発生する可能性があることから、米国から日本・韓国両国に政治的圧力をかけることにより今回の合意がなされたとの情報が入りました。詳細につきましては講演会の中でお知らせいたします。


③FRBの利上げと各国の対応と今後の見通し
 12月16日、米国のFRBは政策金利を0.25%引き上げるという米連邦公開市場委員会(FOMC)の声明を発表しました。利上げは約10年ぶりとなります。この発表以降、バーレーン、ブラジル、UAE、サウジアラビア、メキシコなどが利上げを発表しましたが、今後は日本とEUがいつ利上げを発表するかが大きな関心となっています。講演会の中でFRBの利上げ発表後の動きと、今後の見通しについてお知らせいたします。


④インドモディ首相のロシア訪問について
 インドのモディ首相は24日、訪問先のモスクワでロシアのプーチン大統領と会談しました。この会談の中で、ロシア製の原子力発電所をインドに建設すると同時に、ロシアの最新の対艦ミサイルをインドに売却するとの提案が、プーチン大統領からなされました。インドに対しては、日本も原子力発電所の売却交渉を進めていますが、同様にロシアはベトナムに原子力発電所を売却する契約を結びましたが、このときはロシアが潜水艦とセットで売却することで、ベトナム側と合意に至りました。詳細については講演会の中でお知らせいたします。


⑤シリア・イラク関連情勢について
 イラク軍の報道官は12月28日、イラクとシリアを結ぶ交通の要所のラマディを完全に解放したと発表しました。政府軍がラマディを制圧するのは約7ヶ月振りとなります。イラク軍には、今まではISと同じロシア製や中国製などの性能の劣る武器が供与されていましたが、約1ヶ月前より最新の米国製やドイツ製などの武器が配給されるようになりました。11月13日のパリでの同時多発テロ事件以降、フランスが原子力空母シャルル・ド・ゴールを派遣するなどこの地域に本格的に介入すると同時に、ロシア軍がISなどの対する空爆を強化することにより、今回のラマディー制圧につながったと考えられます。

 今回のラマディー制圧から読み取れることについて講演会の中で詳しくお伝えいたします。      

講 師:国際軍事評論家B氏(元内閣調査室)

受講料:一般3,500円、学生1,500円
     費用は当日ご持参下さい。
     
主 催:B戦略研究所


お問い合わせおよびご予約はメールアドレス jiro.1969@t.vodafone.ne.jp までお願いいたします。なお、ブログ「(新)日本の黒い霧」を見てと一言お伝えください。

※当日参加も可能です。
※質疑応答の時間も設けていますので、ぜひご活用ください。
※次回は1月26日(火曜)京橋区民館にて19時開始~21時30分終了予定しています。
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