原爆映像 - 75年間のまやかし
本ブログでは、世界で最初の核使用と言われる広島・長崎の原爆投下が、実は改ざんされた史実ではないかと疑いを示しています。
(1) 広島・長崎、原爆73年後の真実(1) - 広島の原爆はなかった
(2) 広島・長崎、原爆73年後の真実(2) - 長崎の原爆はなかった
(3) 広島・長崎、原爆73年後の真実(3) - 偽装された核爆発
(4) 広島・長崎、75年後の真実(4) - ブラックテクノロジーと原爆
以上から導けるのは、要するに「核爆弾なんてこの世に存在しないだろう」という、かなり極端な主張ですが、この考えに同調される方は今現在ほとんどいないだろうことも理解しているつもりです。
ところで、その原爆に関して、フランスの大手メディアであるルモンド紙が今月の25日に興味深い記事を掲載したので、その前半を和訳しここに掲載します。
原爆が実在するかどうかはさておき、私たちが広島の原爆映像と信じていたものが、実はそうではなかったらしいという話です。
記事の後半では、長崎の原爆映像の他に、ビキニ環礁での核実験映像なども「広島の悲劇」画像として使われていたと書かれています。
私がこの記事で改めて念を押しておきたいのが、
きのこ雲は原子爆弾の使用を意味していない
という科学的事実です。きのこ雲は爆風による上昇気流で普通に起こる現象で、それについては、先日のベイルートの爆発で私たちは改めて確認したはずです。
ベイルート爆発で発生したきのこ雲
ベイルートの場合は大きな爆発でしたが、例え小爆発でも、周囲に大きさを比較するものが写ってなければ、映像を拡大して大爆発を演出することは可能です。
このルモンドの記事が事実だとすると、この75年間、まったく違う場所で撮影されたきのこ雲のイメージで「広島の悲劇」は演出され続けてきたのです。
そんなものに75年間も、私たちが「戦争の悲惨さ」を感じていたとするなら、それはもはや悲劇ではなく喜劇に近いでしょう。
ドイツ・ヴェレの動画では、広島平和記念資料館の横山氏の言葉で最後にこう締めくくっています。
We sincerely hope that every interested party could join us in conveying [the destruction] in an accurate way.
私たちは、すべての関係者が[この破壊行為]を正確に伝えるため、私たちの活動に参加されることを心から願っています。
私も同感です。多くの人々が犠牲になったのは事実です。だからこそ、そこに到る経緯についてより高い正確さが求められるのです。
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
(1) 広島・長崎、原爆73年後の真実(1) - 広島の原爆はなかった
(2) 広島・長崎、原爆73年後の真実(2) - 長崎の原爆はなかった
(3) 広島・長崎、原爆73年後の真実(3) - 偽装された核爆発
(4) 広島・長崎、75年後の真実(4) - ブラックテクノロジーと原爆
以上から導けるのは、要するに「核爆弾なんてこの世に存在しないだろう」という、かなり極端な主張ですが、この考えに同調される方は今現在ほとんどいないだろうことも理解しているつもりです。
ところで、その原爆に関して、フランスの大手メディアであるルモンド紙が今月の25日に興味深い記事を掲載したので、その前半を和訳しここに掲載します。
Ces images de l’explosion d’Hiroshima qui n’en étaient pas
実は違った広島の爆発画像
Selon une enquête de la Deutsche Welle, documentaires et médias du monde entier utilisent depuis des années des images d’autres explosions lorsqu’ils évoquent le bombardement nucléaire d’Hiroshima.
ドイツ・ヴェレ(ドイツの公共放送局)の調査によると、世界中のドキュメンタリーやメディアは、広島の核爆弾について語る時に、他の爆発映像を長年使用してきたとのことだ。
写真は1945年8月6日の日本、広島への爆撃写真 GEORGES R.CARON/AP
1945年8月6日、濃縮ウラン原爆が西軍の広島市に米軍によって投下され、合計14万人が亡くなりました。 3日後、長崎市は2番目の核爆弾で消滅しました。 70,000人を超える人々が巨大な雲の中で亡くなり、そのキノコの形は誰の心にも刻まれています。75年後の今でも謎を残す壮大な画像として。
ドイツの公共放送であるドイツ・ヴェレの調査によると、世界中のメディアやドキュメンタリーで何十年にもわたって使用された広島爆撃の有名なビデオ映像は、実際には長崎の爆撃を示しています。 ジャーナリストのアミアン・エシフは、ゲッティ・イメージズが、それぞれ広島の最初の爆撃と2回目の長崎の爆撃とする2枚の同一の写真を提供していることを、核攻撃75周年に関する報告を調査している時に発見したと説明します。
(DW動画説明訳)世界中の主要なメディアによって使われた、1945年の広島への原爆投下映像は正しいものではない。DWがその事実を発見した。
(下の投稿訳)私の調査は広島原爆投下75周年についてレポートを作成している時に始まり、ゲッティのアーカイブでこれを見つけた。
さらに掘り下げて、エシフ氏は、たとえばCNNまたは彼自身のメディアであるドイツ・ヴェレによって発行された多くの記事やビデオが2つの爆撃を説明するために同じ画像を使用していることに気づきました。 ルモンドも例外ではありません。たとえば、このビデオでは、広島に投下されたリトルボーイによって生成された爆風と、長崎に投下されたファットマンの爆発を実際に映し出した映像が一致しています。この状況を鑑みて、アミアン・エシフはオリジナル・ソースに遡ってみたいと考えました。
たった一つのフィルムリール
攻撃前、非常に少数の人々だけしか攻撃について知らされていなかったため、正確な時間のアーカイブ映像はほとんどありません。 アミアン・エシフは、アメリカ兵士と匿名者が撮った広島の町を覆う原子雲の写真を3枚見つけました。 これらは、煙柱から分離された小さな煙の雲をはっきりと示しています。
観測機に乗っていたアメリカの物理学者であるバーナード・ウォルドマンは、広島での爆発シーンの撮影を担当していました。 しかし、湿度が原因で、彼のフィルムは現像できませんでした。ドイツ・ヴェレによれば、別の科学者のハロルドM.アグニューが実際に撮影した映像こそが、今日、広島の爆撃シーンを映し出す唯一の既知のフィルムリールであるとのことです。 アメリカのフーバー研究所が保存しているこの映像は、あまり知られておらず、有名な長崎原爆のきのこ雲ほど印象的とは言えない、ブレた画像のきのこ雲を映し出しています。
(以下略)
引用元:ルモンド Ces images de l’explosion d’Hiroshima qui n’en étaient pas
実は違った広島の爆発画像
Selon une enquête de la Deutsche Welle, documentaires et médias du monde entier utilisent depuis des années des images d’autres explosions lorsqu’ils évoquent le bombardement nucléaire d’Hiroshima.
ドイツ・ヴェレ(ドイツの公共放送局)の調査によると、世界中のドキュメンタリーやメディアは、広島の核爆弾について語る時に、他の爆発映像を長年使用してきたとのことだ。
写真は1945年8月6日の日本、広島への爆撃写真 GEORGES R.CARON/AP
1945年8月6日、濃縮ウラン原爆が西軍の広島市に米軍によって投下され、合計14万人が亡くなりました。 3日後、長崎市は2番目の核爆弾で消滅しました。 70,000人を超える人々が巨大な雲の中で亡くなり、そのキノコの形は誰の心にも刻まれています。75年後の今でも謎を残す壮大な画像として。
ドイツの公共放送であるドイツ・ヴェレの調査によると、世界中のメディアやドキュメンタリーで何十年にもわたって使用された広島爆撃の有名なビデオ映像は、実際には長崎の爆撃を示しています。 ジャーナリストのアミアン・エシフは、ゲッティ・イメージズが、それぞれ広島の最初の爆撃と2回目の長崎の爆撃とする2枚の同一の写真を提供していることを、核攻撃75周年に関する報告を調査している時に発見したと説明します。
(上の投稿訳)@dwnewsにレポートを掲載したところ。それには何十年にもわたって広島への核攻撃の描写に間違った映像が使われ続けたことを示しています。My research started when I was doing a report on the 75th anniversary of the bombing of Hiroshima, and I found this in the Getty archives pic.twitter.com/POFSeH0wwL
— Amien Essif ☕️📓 (@AmienEssif) August 22, 2020
(DW動画説明訳)世界中の主要なメディアによって使われた、1945年の広島への原爆投下映像は正しいものではない。DWがその事実を発見した。
(下の投稿訳)私の調査は広島原爆投下75周年についてレポートを作成している時に始まり、ゲッティのアーカイブでこれを見つけた。
さらに掘り下げて、エシフ氏は、たとえばCNNまたは彼自身のメディアであるドイツ・ヴェレによって発行された多くの記事やビデオが2つの爆撃を説明するために同じ画像を使用していることに気づきました。 ルモンドも例外ではありません。たとえば、このビデオでは、広島に投下されたリトルボーイによって生成された爆風と、長崎に投下されたファットマンの爆発を実際に映し出した映像が一致しています。この状況を鑑みて、アミアン・エシフはオリジナル・ソースに遡ってみたいと考えました。
たった一つのフィルムリール
攻撃前、非常に少数の人々だけしか攻撃について知らされていなかったため、正確な時間のアーカイブ映像はほとんどありません。 アミアン・エシフは、アメリカ兵士と匿名者が撮った広島の町を覆う原子雲の写真を3枚見つけました。 これらは、煙柱から分離された小さな煙の雲をはっきりと示しています。
観測機に乗っていたアメリカの物理学者であるバーナード・ウォルドマンは、広島での爆発シーンの撮影を担当していました。 しかし、湿度が原因で、彼のフィルムは現像できませんでした。ドイツ・ヴェレによれば、別の科学者のハロルドM.アグニューが実際に撮影した映像こそが、今日、広島の爆撃シーンを映し出す唯一の既知のフィルムリールであるとのことです。 アメリカのフーバー研究所が保存しているこの映像は、あまり知られておらず、有名な長崎原爆のきのこ雲ほど印象的とは言えない、ブレた画像のきのこ雲を映し出しています。
(以下略)
引用元:ルモンド Ces images de l’explosion d’Hiroshima qui n’en étaient pas
原爆が実在するかどうかはさておき、私たちが広島の原爆映像と信じていたものが、実はそうではなかったらしいという話です。
記事の後半では、長崎の原爆映像の他に、ビキニ環礁での核実験映像なども「広島の悲劇」画像として使われていたと書かれています。
私がこの記事で改めて念を押しておきたいのが、
きのこ雲は原子爆弾の使用を意味していない
という科学的事実です。きのこ雲は爆風による上昇気流で普通に起こる現象で、それについては、先日のベイルートの爆発で私たちは改めて確認したはずです。
ベイルート爆発で発生したきのこ雲
ベイルートの場合は大きな爆発でしたが、例え小爆発でも、周囲に大きさを比較するものが写ってなければ、映像を拡大して大爆発を演出することは可能です。
このルモンドの記事が事実だとすると、この75年間、まったく違う場所で撮影されたきのこ雲のイメージで「広島の悲劇」は演出され続けてきたのです。
そんなものに75年間も、私たちが「戦争の悲惨さ」を感じていたとするなら、それはもはや悲劇ではなく喜劇に近いでしょう。
ドイツ・ヴェレの動画では、広島平和記念資料館の横山氏の言葉で最後にこう締めくくっています。
We sincerely hope that every interested party could join us in conveying [the destruction] in an accurate way.
私たちは、すべての関係者が[この破壊行為]を正確に伝えるため、私たちの活動に参加されることを心から願っています。
私も同感です。多くの人々が犠牲になったのは事実です。だからこそ、そこに到る経緯についてより高い正確さが求められるのです。
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管理人 日月土
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仕組まれた戦争シナリオ
本日8月15日は終戦記念日です。
世の中には、あれは日本が反省すべき戦争だ、いやアジア解放の正義の戦争などと、太平洋戦争について様々な議論があるようですが、議論をするなら現実をもっと冷徹に見据えて欲しいと私は思っています。
以下は、東京への空襲について、米軍側が制作したプロパガンダフィルムです。
動画1:「見えざる日本の攻撃目標へB29による高高度爆弾投下空襲」より
これの爆弾投下シーン、何かおかしいと思いませんか?
画像1:B29が爆弾をリリースした直後のシーン
計算によると、B29の爆弾搭載時の翼面積荷重はジャンボジェットの85%、1平方メートル辺り444kgの重量が掛かる計算となります。
ジャンボジェットが速度300km/hで浮き上がるというなら、B29は最低でも282km/h以上のスピードを出さないと浮いてられないということになります。それも空気密度の高い地上付近での話です。動画中のB29はそんなスピードで離陸しているように見えますか?そもそもB29がジャンボジェット同様、翼で空を飛べるような代物でないことをまず指摘しておきます。
このビデオでは富士山より高い高度数千メートルの上空から、東京北部に爆弾を落とす状況を説明していますが、これだけ空気が薄い所なら300km/h程度などという遅いスピードでは到底浮いてられないはずなのです。
つまり、かなりの高速飛行で爆弾を投下する状況を強いられるはずなのに、爆弾はスルスルと
飛行機の真下に落ちて行く
のです。
いくら高高度だとは言え、B29は自分が浮いているためにかなりの高速で飛んでいるので、B29と同じ初速を得た爆弾は投下と同時に激しい空気抵抗を受け(空気抵抗は速度の2乗に比例する)、機体後方に流されるはずなのです。
高校物理の授業では、落下運動は空気抵抗のない理想状態で議論をしますので、水平方向に飛行機と同じ初速を得た爆弾は、定速で移動している飛行機の常に真下にあることで問題ありません。
画像2:爆弾の投下軌道
理想状態では速度慣性により爆弾の前進速度は維持されるが、
実際は空気抵抗により投下直後から爆撃機の後方に流される
しかし、これは現実の世界なのです。この状況を説明するには
(1)爆弾に空気抵抗をキャンセルする機構が取り付けられている
(2)そもそも高速なんかで飛んでいない
のどちらかになると思います。私は(2)の方、それも原付と同じ数十キロ程度のスピードしか出ていないと見ています。
下の画像は鳥人間コンテストに出場した手製の飛行機ですが、低速で空気中に浮くために、機体重量を極限まで削り、翌面積荷重を減らすため強度が許す限り翼の面積を広げるのが普通なのです。
そして、その結果、飛行中は重量のある機体胴体部がぐっと沈み込み、画像の如く翼の両端が反りあがったようになる、これが本来の飛行機の飛行形状なのです。
画像3:鳥人間コンテストの出場機
(1)にしろ(2)にしろ、このB29爆弾投下シーンを説明するには、私たちが知らされていない
ブラックテクノロジー(B-Tech)
の存在を抜きにして語れないのです。何より無視できないなのは、このB-Techは、米国だけに限らず、当時の戦争参加国に等しく供与されているという事実なのです。そうでなければ、優秀な零戦も二式大艇のような大型機も戦争に投入されることはなかったはずなのです。
要するに、
世界大戦とは人類参加の殺し合いゲーム
すなわちある程度シナリオのある出来レースだという事です。一国だけとびきり強くてもそれでは殺し合いになりませんから。
戦争について、私たちは感情的に己の信条や国の勝敗を語ることはもう止めて、この凄惨なゲームのメインプレーヤーがいったい誰なのか、まずそれを推し量るべきなのです。
関連記事
・翼で飛べないジャンボジェット
・ブラックテクノロジーと原爆
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管理人 日月土
世の中には、あれは日本が反省すべき戦争だ、いやアジア解放の正義の戦争などと、太平洋戦争について様々な議論があるようですが、議論をするなら現実をもっと冷徹に見据えて欲しいと私は思っています。
以下は、東京への空襲について、米軍側が制作したプロパガンダフィルムです。
動画1:「見えざる日本の攻撃目標へB29による高高度爆弾投下空襲」より
これの爆弾投下シーン、何かおかしいと思いませんか?
画像1:B29が爆弾をリリースした直後のシーン
計算によると、B29の爆弾搭載時の翼面積荷重はジャンボジェットの85%、1平方メートル辺り444kgの重量が掛かる計算となります。
ジャンボジェットが速度300km/hで浮き上がるというなら、B29は最低でも282km/h以上のスピードを出さないと浮いてられないということになります。それも空気密度の高い地上付近での話です。動画中のB29はそんなスピードで離陸しているように見えますか?そもそもB29がジャンボジェット同様、翼で空を飛べるような代物でないことをまず指摘しておきます。
このビデオでは富士山より高い高度数千メートルの上空から、東京北部に爆弾を落とす状況を説明していますが、これだけ空気が薄い所なら300km/h程度などという遅いスピードでは到底浮いてられないはずなのです。
つまり、かなりの高速飛行で爆弾を投下する状況を強いられるはずなのに、爆弾はスルスルと
飛行機の真下に落ちて行く
のです。
いくら高高度だとは言え、B29は自分が浮いているためにかなりの高速で飛んでいるので、B29と同じ初速を得た爆弾は投下と同時に激しい空気抵抗を受け(空気抵抗は速度の2乗に比例する)、機体後方に流されるはずなのです。
高校物理の授業では、落下運動は空気抵抗のない理想状態で議論をしますので、水平方向に飛行機と同じ初速を得た爆弾は、定速で移動している飛行機の常に真下にあることで問題ありません。
画像2:爆弾の投下軌道
理想状態では速度慣性により爆弾の前進速度は維持されるが、
実際は空気抵抗により投下直後から爆撃機の後方に流される
しかし、これは現実の世界なのです。この状況を説明するには
(1)爆弾に空気抵抗をキャンセルする機構が取り付けられている
(2)そもそも高速なんかで飛んでいない
のどちらかになると思います。私は(2)の方、それも原付と同じ数十キロ程度のスピードしか出ていないと見ています。
下の画像は鳥人間コンテストに出場した手製の飛行機ですが、低速で空気中に浮くために、機体重量を極限まで削り、翌面積荷重を減らすため強度が許す限り翼の面積を広げるのが普通なのです。
そして、その結果、飛行中は重量のある機体胴体部がぐっと沈み込み、画像の如く翼の両端が反りあがったようになる、これが本来の飛行機の飛行形状なのです。
画像3:鳥人間コンテストの出場機
(1)にしろ(2)にしろ、このB29爆弾投下シーンを説明するには、私たちが知らされていない
ブラックテクノロジー(B-Tech)
の存在を抜きにして語れないのです。何より無視できないなのは、このB-Techは、米国だけに限らず、当時の戦争参加国に等しく供与されているという事実なのです。そうでなければ、優秀な零戦も二式大艇のような大型機も戦争に投入されることはなかったはずなのです。
要するに、
世界大戦とは人類参加の殺し合いゲーム
すなわちある程度シナリオのある出来レースだという事です。一国だけとびきり強くてもそれでは殺し合いになりませんから。
戦争について、私たちは感情的に己の信条や国の勝敗を語ることはもう止めて、この凄惨なゲームのメインプレーヤーがいったい誰なのか、まずそれを推し量るべきなのです。
関連記事
・翼で飛べないジャンボジェット
・ブラックテクノロジーと原爆
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35回目の夏 - 小片に刻まれた想い
※追記があります
本日は令和2年8月12日。日本航空123便が遭難したあの日からもう35年もの月日が過ぎ去ったのかと思うと、時の流れの速さに改めて驚くばかりです。
その年生まれた方でも既に35歳を迎えるのですから、当時の事を鮮明に覚えておられるのは、今や40代半ば以上の方々に限られてくるのでしょうね。
私の123便調査も今年で11年目となり、毎年同じことを言ってますが、本件の闇の深さがこれ程までとは、調査開始当初は予想もしなかったことです。
これまで時間を掛けただけの結果はそれなりに得ることはできたと思うのですが、とにかく新しいことが毎年次々と見つかり、事件全体に対する解釈はその都度変更を強いられるような有様です。
そのような経験からはっきりと言えるのは
123便事件だけは常識で理解できない
ということです。そもそも、当時の事故調査委員会が出した「圧力隔壁の破損」という事故原因自体が、誰でも首を捻るような非常識な結論なのですから、その真相を更に手繰れば、より非常識な現実に出会うだろうことは、既に予想されていたことだったのかもしれません。
しかし、どんな複雑な背景があったとしても、多くの方々が命を落としたことだけは事実です。今日この日は、そんな人々の為に、心から追悼の意を捧げたいと思います。
読者の皆様におかれましては、123便の姿がレーダーから消えたと言われる時刻、午後6時56分前後になりましたならば、わずかな時間でよいので、犠牲者のご冥福を祈ってあげてくださいますよう、お願い申し上げます。
■令和2年の慰霊
本日から10日前の8月2日、慰霊のため御巣鷹の尾根に登りました。7月から降り続いた長雨は、その日の前日にはあがり始め、当日は雨の後の爽やかな空気と晴天に恵まれることとなりました。当初登る予定ではなかった尾根ですが、この機会を逃してはと思い、急遽、慰霊碑まで登ることを決めたのです。
画像1:土砂で車道が塞がれた登山口駐車場
7月の雨のせいか、あちこちで小規模な土砂崩れが見られました。登山口に一番近い駐車場には車が入れられません。
画像2:木々が倒れる登山道
登山道の周囲でも、土砂崩れにより倒れた木々の枝や幹が、沢や山道に覆いかぶさっていました。幸いなことに、管理者の手がしっかりと入っており、登山そのものにそれほど支障はありません。足元に注意なのと、奥の方の登山道に一部通行不能な箇所があることに留意してください。
画像3:流れる斜面の土
やはり降り続いた雨のせいか、あちこちで土砂が流出して養生シート・ネットを押し破っていました。私がこの日、123便の遺留品を見つけられたのは、こんな事情もあったからなのです。
画像4:昇魂之碑と高天原山
尾根上の広場に出た時、空は晴れ渡り、昇魂之碑の向こうにはっきりと高天原山を望むことができました。
画像5:123便コクピットクルーの墓標
この日までに、既に何組かの慰霊者が訪れていたのか、色鮮やかな花々が墓標に添えられていました。私はここで祈りの言葉を唱え、次の和歌を残してきました。
この尾根に 三十五(みといつ)年の 過ぐるとも
永久に忘れじ とき待つ君を
画像6:登山口に置かれたカウンタ
私は下山した時にカウンタを押しましたが、山小屋の管理人さんは、その日は登る人が多いとおっしゃっていました。
画像7:墓標群を巡る山道脇で拾った遺留品
一つ前の記事でもお知らせしましたが、この時に流れ出た土砂の中で見つけたのが、この123便の窓板だと思われる、透明アクリル板の破片です。
後日、この破片を携え日頃懇意にしているお社に向かい、そこで、この窓板に映っただろう全ての出来事が癒され、救われることを再び祈ってきました。
よろしかったら、読者の皆様もこの写真を通して、この不幸な出来事に関わる全ての方々が救われるようお祈りください。おそらく、天上の神様はそれを伝えるためにこの小片を私に持たせたのだと思います。
■2機目の123便(追記)
これは、メルマガで既にお知らせはしているものの、今回の記事で掲載するべきかどうかはひどく迷いました。しかし、冒頭で「この事件だけは常識で片付けられない」とお断りしたばかりなので、結論部分だけを先にお知らせしたいと思います。
画像8:123便の遭難現場は2か所ある
上の図ですが、単に遭難現場が2か所あるとかいう話ではありません。どう考えても
123便は2機遭難していたのです。
この猛暑のせいでとうとう頭がやられた?いいえ違います、長期にわたる調査により導かれた結論です。どうしてそう言えるのか、詳細は今後追って説明することになるでしょう。
昨日、(真)ブログに掲載した「HELLO WORLD の暗号(2)」は単なるアニメ評論ではありません、これから私が出す情報を理解するために、基本情報として読まれることを意図しているのです。このアニメ作品には3人の同一人物が登場する、それがヒントです。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
UNUM VERO HOC NON LATEAT VOS CARISSIMI QUIA UNUS DIES APUD DOMINUM SICUT MILLE ANNI ET MILLE ANNI SICUT DIES UNUs
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
(新共同訳聖書 ペトロの手紙2 第3章8節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
本日は令和2年8月12日。日本航空123便が遭難したあの日からもう35年もの月日が過ぎ去ったのかと思うと、時の流れの速さに改めて驚くばかりです。
その年生まれた方でも既に35歳を迎えるのですから、当時の事を鮮明に覚えておられるのは、今や40代半ば以上の方々に限られてくるのでしょうね。
私の123便調査も今年で11年目となり、毎年同じことを言ってますが、本件の闇の深さがこれ程までとは、調査開始当初は予想もしなかったことです。
これまで時間を掛けただけの結果はそれなりに得ることはできたと思うのですが、とにかく新しいことが毎年次々と見つかり、事件全体に対する解釈はその都度変更を強いられるような有様です。
そのような経験からはっきりと言えるのは
123便事件だけは常識で理解できない
ということです。そもそも、当時の事故調査委員会が出した「圧力隔壁の破損」という事故原因自体が、誰でも首を捻るような非常識な結論なのですから、その真相を更に手繰れば、より非常識な現実に出会うだろうことは、既に予想されていたことだったのかもしれません。
しかし、どんな複雑な背景があったとしても、多くの方々が命を落としたことだけは事実です。今日この日は、そんな人々の為に、心から追悼の意を捧げたいと思います。
読者の皆様におかれましては、123便の姿がレーダーから消えたと言われる時刻、午後6時56分前後になりましたならば、わずかな時間でよいので、犠牲者のご冥福を祈ってあげてくださいますよう、お願い申し上げます。
■令和2年の慰霊
本日から10日前の8月2日、慰霊のため御巣鷹の尾根に登りました。7月から降り続いた長雨は、その日の前日にはあがり始め、当日は雨の後の爽やかな空気と晴天に恵まれることとなりました。当初登る予定ではなかった尾根ですが、この機会を逃してはと思い、急遽、慰霊碑まで登ることを決めたのです。
画像1:土砂で車道が塞がれた登山口駐車場
7月の雨のせいか、あちこちで小規模な土砂崩れが見られました。登山口に一番近い駐車場には車が入れられません。
画像2:木々が倒れる登山道
登山道の周囲でも、土砂崩れにより倒れた木々の枝や幹が、沢や山道に覆いかぶさっていました。幸いなことに、管理者の手がしっかりと入っており、登山そのものにそれほど支障はありません。足元に注意なのと、奥の方の登山道に一部通行不能な箇所があることに留意してください。
画像3:流れる斜面の土
やはり降り続いた雨のせいか、あちこちで土砂が流出して養生シート・ネットを押し破っていました。私がこの日、123便の遺留品を見つけられたのは、こんな事情もあったからなのです。
画像4:昇魂之碑と高天原山
尾根上の広場に出た時、空は晴れ渡り、昇魂之碑の向こうにはっきりと高天原山を望むことができました。
画像5:123便コクピットクルーの墓標
この日までに、既に何組かの慰霊者が訪れていたのか、色鮮やかな花々が墓標に添えられていました。私はここで祈りの言葉を唱え、次の和歌を残してきました。
この尾根に 三十五(みといつ)年の 過ぐるとも
永久に忘れじ とき待つ君を
画像6:登山口に置かれたカウンタ
私は下山した時にカウンタを押しましたが、山小屋の管理人さんは、その日は登る人が多いとおっしゃっていました。
画像7:墓標群を巡る山道脇で拾った遺留品
一つ前の記事でもお知らせしましたが、この時に流れ出た土砂の中で見つけたのが、この123便の窓板だと思われる、透明アクリル板の破片です。
後日、この破片を携え日頃懇意にしているお社に向かい、そこで、この窓板に映っただろう全ての出来事が癒され、救われることを再び祈ってきました。
よろしかったら、読者の皆様もこの写真を通して、この不幸な出来事に関わる全ての方々が救われるようお祈りください。おそらく、天上の神様はそれを伝えるためにこの小片を私に持たせたのだと思います。
■2機目の123便(追記)
これは、メルマガで既にお知らせはしているものの、今回の記事で掲載するべきかどうかはひどく迷いました。しかし、冒頭で「この事件だけは常識で片付けられない」とお断りしたばかりなので、結論部分だけを先にお知らせしたいと思います。
画像8:123便の遭難現場は2か所ある
上の図ですが、単に遭難現場が2か所あるとかいう話ではありません。どう考えても
123便は2機遭難していたのです。
この猛暑のせいでとうとう頭がやられた?いいえ違います、長期にわたる調査により導かれた結論です。どうしてそう言えるのか、詳細は今後追って説明することになるでしょう。
昨日、(真)ブログに掲載した「HELLO WORLD の暗号(2)」は単なるアニメ評論ではありません、これから私が出す情報を理解するために、基本情報として読まれることを意図しているのです。このアニメ作品には3人の同一人物が登場する、それがヒントです。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
UNUM VERO HOC NON LATEAT VOS CARISSIMI QUIA UNUS DIES APUD DOMINUM SICUT MILLE ANNI ET MILLE ANNI SICUT DIES UNUs
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
(新共同訳聖書 ペトロの手紙2 第3章8節)
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本日のメッセージ予告
現在時刻は2020年8月12日の0時16分。
本日も、この日に向けたメッセージを発信する予定ですが、その前に皆様にこれを見て頂きたいと思います。
透明度が極めて高い硬質のアクリル板。明らかに航空機の窓で使用されたものです。これは、この8月2日に御巣鷹の尾根を慰霊登山した際、墓標群の近くの土中に覗き見えたのを拾ったものです。状況から考えて、日本航空123便のもので間違いないでしょう。
乗員乗客の皆様がこの窓板の向こうにいったい何を見たのか、今日は静かにそれを考えたいと思います。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
本日も、この日に向けたメッセージを発信する予定ですが、その前に皆様にこれを見て頂きたいと思います。
透明度が極めて高い硬質のアクリル板。明らかに航空機の窓で使用されたものです。これは、この8月2日に御巣鷹の尾根を慰霊登山した際、墓標群の近くの土中に覗き見えたのを拾ったものです。状況から考えて、日本航空123便のもので間違いないでしょう。
乗員乗客の皆様がこの窓板の向こうにいったい何を見たのか、今日は静かにそれを考えたいと思います。
参考:黒霧123便関連記事ガイド
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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ゴーン報道写真・エコノミスト表紙絵そして123便
今回は、(真)ブログ記事『テストコード「123便」とベイルート大爆発』でご紹介した、7月20日に仏ルモンド紙が掲載した「ゴーン氏による8月4日ベイルート大爆発予告」とも取れる、手サイン「4」についての追加考察です。
画像1:ゴーン氏の手サイン「4」。同氏がベイルートにて逃亡生活を続けているのは言うまでもないでしょう。お気の毒なことに、氏の邸宅はこの大爆発で居住不能となり、現在は郊外で一時避難生活を余儀なくされているようですが‥
画像2:大爆発後のベイルート(引用ニューヨーク・タイムス)
「ゴーン氏の予告」と書きましたが、この写真の選定と掲載を決定したのはルモンド紙編集部の方なので、正確にはルモンド紙の予言、あるいはフランス情報部からのリーク情報と表現するのが適切なのかもしれませんが。
もしもこれが、同爆発事故の予告であるならば、この大爆発は事故などではなく、フランス政府情報部が事前に掴んだ、あるいはなんらかの形でフランス政府機関が関与した、計画爆発(テロ)だとも見ることができます。
その意味では、レバノンのアウン大統領が今回の爆発原因について「外国勢力が干渉した可能性」を言及するのもよく分かる話です。
そもそも、昨年末に起きたゴーン氏の逃亡事件そのものが奇想天外であり、忘れてならないのは、ゴーン氏が元日産会長として日本の経済界、日本政府の経済政策に一定の影響力を持っていたことです。その点からも、ベイルートの大爆発に関して我が国は全く無縁とは言えないのです。
昨年末のゴーン氏逃亡に関して、本年1月に私は次のような記事を書いています
・ゴーン氏逃亡報道に見る123便事件 1/8
・中東戦争、準備は整ったのか? 1/11
・ゴーン氏逃亡報道に見る123便事件(2) 1/13
これらの記事の主要点は
・ゴーン氏逃亡は1985年の123便事件とリンクしている(昭和天皇拉致疑惑)
・ゴーン氏逃亡は中東における新たな計画の布石である
・旧水軍家系・旧宮家等がゴーン氏逃亡と中東計画に関与している
というものです。
前出の(真)ブログ記事では、最近話題になったWEBサイト「フライトレーダー24」に3回出現したという「JL123(=123便)」というテストコードが、実は単なる誤用・事故などではなく、今回のベイルート大爆発、およびこの8月に計画されているかもしれない爆破テロと関連しているのではないかとの推測を論じています。
同記事の最後に、国内で爆破テロが計画されているなら「ららら」と名付けられている土地がターゲットにされているのではないか?と、写真以外に場所を示さず締めくくっていますが、実はその場所については、世界的権威を有する経済誌が、既に一昨年に警告を示しているのです。それをお記憶でしょうか?
画像3:駿河湾から見た富士山
参考:エコノミスト2019-表紙の解読
画像4:(真)ブログで掲載した写真
これでもうお分かりになったと思います。ここは一見、どこでもありそうな地方都市ですが、伊藤忠商事が民間業務を逸脱した一大拠点を築いている土地でもあります。
そして、ここは歴史的には旧水軍が支配した土地であり、その後は徳川幕府の支配下に入りましたが、最近は徳川家系とはあまり上手く行ってないようです。それはゴーン氏のインタビュー記事からもそこはかとなく窺えます。なお、その徳川家系は
フランスに対して太いコネクション
を有することで知られています。なるほど、マクロン仏大統領のレバノンに対する毅然とした態度もそういう背景があるなら分からなくもありません。
この辺の事情に関しては、(新)ブログ記事「日産はトヨタか」をお読み頂くと分かり易いかもしれません。
遠く離れたベイルートがどうして日本と関係があるのか、それも35年も前の日本航空123便事件との繋がりの中で?それをゴーン氏報道写真を起点に説明してきましたが、これを簡単に言うならこういうことでしょう、
123便事件は終わっていない
のだと。終わらせましょう、もういい加減に…
参考:黒霧123便関連記事ガイド
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
画像1:ゴーン氏の手サイン「4」。同氏がベイルートにて逃亡生活を続けているのは言うまでもないでしょう。お気の毒なことに、氏の邸宅はこの大爆発で居住不能となり、現在は郊外で一時避難生活を余儀なくされているようですが‥
画像2:大爆発後のベイルート(引用ニューヨーク・タイムス)
「ゴーン氏の予告」と書きましたが、この写真の選定と掲載を決定したのはルモンド紙編集部の方なので、正確にはルモンド紙の予言、あるいはフランス情報部からのリーク情報と表現するのが適切なのかもしれませんが。
もしもこれが、同爆発事故の予告であるならば、この大爆発は事故などではなく、フランス政府情報部が事前に掴んだ、あるいはなんらかの形でフランス政府機関が関与した、計画爆発(テロ)だとも見ることができます。
その意味では、レバノンのアウン大統領が今回の爆発原因について「外国勢力が干渉した可能性」を言及するのもよく分かる話です。
そもそも、昨年末に起きたゴーン氏の逃亡事件そのものが奇想天外であり、忘れてならないのは、ゴーン氏が元日産会長として日本の経済界、日本政府の経済政策に一定の影響力を持っていたことです。その点からも、ベイルートの大爆発に関して我が国は全く無縁とは言えないのです。
昨年末のゴーン氏逃亡に関して、本年1月に私は次のような記事を書いています
・ゴーン氏逃亡報道に見る123便事件 1/8
・中東戦争、準備は整ったのか? 1/11
・ゴーン氏逃亡報道に見る123便事件(2) 1/13
これらの記事の主要点は
・ゴーン氏逃亡は1985年の123便事件とリンクしている(昭和天皇拉致疑惑)
・ゴーン氏逃亡は中東における新たな計画の布石である
・旧水軍家系・旧宮家等がゴーン氏逃亡と中東計画に関与している
というものです。
前出の(真)ブログ記事では、最近話題になったWEBサイト「フライトレーダー24」に3回出現したという「JL123(=123便)」というテストコードが、実は単なる誤用・事故などではなく、今回のベイルート大爆発、およびこの8月に計画されているかもしれない爆破テロと関連しているのではないかとの推測を論じています。
同記事の最後に、国内で爆破テロが計画されているなら「ららら」と名付けられている土地がターゲットにされているのではないか?と、写真以外に場所を示さず締めくくっていますが、実はその場所については、世界的権威を有する経済誌が、既に一昨年に警告を示しているのです。それをお記憶でしょうか?
画像3:駿河湾から見た富士山
参考:エコノミスト2019-表紙の解読
画像4:(真)ブログで掲載した写真
これでもうお分かりになったと思います。ここは一見、どこでもありそうな地方都市ですが、伊藤忠商事が民間業務を逸脱した一大拠点を築いている土地でもあります。
そして、ここは歴史的には旧水軍が支配した土地であり、その後は徳川幕府の支配下に入りましたが、最近は徳川家系とはあまり上手く行ってないようです。それはゴーン氏のインタビュー記事からもそこはかとなく窺えます。なお、その徳川家系は
フランスに対して太いコネクション
を有することで知られています。なるほど、マクロン仏大統領のレバノンに対する毅然とした態度もそういう背景があるなら分からなくもありません。
この辺の事情に関しては、(新)ブログ記事「日産はトヨタか」をお読み頂くと分かり易いかもしれません。
遠く離れたベイルートがどうして日本と関係があるのか、それも35年も前の日本航空123便事件との繋がりの中で?それをゴーン氏報道写真を起点に説明してきましたが、これを簡単に言うならこういうことでしょう、
123便事件は終わっていない
のだと。終わらせましょう、もういい加減に…
参考:黒霧123便関連記事ガイド
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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