花屋さんを見ていつも思う。母の日を過ぎたカーネーションとか、クリスマスを過ぎたポインセチアって、処分されてしまうのだろうか。
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いつの頃だろう、昔の実家に引越す前だから幼稚園に入る前だと思う。時々ふと思い出す光景。
電車(市電だったかもしれない)から降りた母と僕。多分日射しがきつかったので夏頃だろうか、乾いた空気が記憶にある。目的地はどこか判らないけど、少しの距離を歩く。暫くしてのち、疲れた僕は母におんぶをせがむ。
「もう(おんぶするのは)これが最後だよ」
と言われたような気がする。もしかしたらこれは母に背負われた一番最後の記憶ではないだろうか。その後、僕は寝てしまったのか、地面に降ろされたのかはわからない。でも記憶の片隅に残ってるような気もして思い出そうとするけど、きっと思い出せないでしょう。
この背負われた記憶を思い出す時、何故か僕が直接見た景色というよりは、母と僕を後方上空から俯瞰で見てる記憶なのです。そもそもどうしてこの出来事の記憶が残っているのか。不思議ですねぇ。
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いつの頃だろう、昔の実家に引越す前だから幼稚園に入る前だと思う。時々ふと思い出す光景。
電車(市電だったかもしれない)から降りた母と僕。多分日射しがきつかったので夏頃だろうか、乾いた空気が記憶にある。目的地はどこか判らないけど、少しの距離を歩く。暫くしてのち、疲れた僕は母におんぶをせがむ。
「もう(おんぶするのは)これが最後だよ」
と言われたような気がする。もしかしたらこれは母に背負われた一番最後の記憶ではないだろうか。その後、僕は寝てしまったのか、地面に降ろされたのかはわからない。でも記憶の片隅に残ってるような気もして思い出そうとするけど、きっと思い出せないでしょう。
この背負われた記憶を思い出す時、何故か僕が直接見た景色というよりは、母と僕を後方上空から俯瞰で見てる記憶なのです。そもそもどうしてこの出来事の記憶が残っているのか。不思議ですねぇ。