サラリーマンしか生みださない(?)日本の教育

2012-06-18 22:18:35 | 自分の思想をめぐる冒険
日本の教育制度とか、キャリアプランについて僕が考え始めたのは、大学3年から4年に上がるときだったと思う。

それまでももちろん「将来はこんなことしたい」ってことを考えることは多々あった。しかし、そういう問題についてより深く、つまり

『単に「こうなりたい」と思うのではなく、そういう「夢の実現」に対する教育のシステムとか、それぞれの人の価値観ってどうなんているんやろう』


ということを考えるようになったのが、去年の今頃からなんじゃないか、ということです。


それは、「生きる上で何に重きを置くのか」ってことも含めて、仕事と家族、とか仕事と自己実現、とかの組み合わせを考えることであったり、海外では「ギャップイヤー」という概念が浸透している地域もあるけど、日本ってどうなんやろう、ってことを考えたりすることでもあった。


その中で、僕は「北欧」に興味を持ちまして。

「幸福度ナンバーワン」であったり「真の成熟国家」と(一般的には)言われるような国々が集まっているあの地域の、国の仕組みとか個々の考え方って、どうなっているのか、ってことに興味を持って、本も読んでみた。


その中で僕が気づいたのは、日本と北欧諸国には「(学校)教育の違い」が大きく存在する、ということだった。


「教育の違い」なんて書いてみても、とても漠然としているけれど、より具体的にいうと「学校という場で、何を学ぶのか/得るのか」という点だ。


この「学ぶもの」が、決定的に違うのではないか、と思うのだ。



以下、日本とデンマークを比べた時に持った違いを、簡単に書こうと思う。


ただ、僕は実際にデンマークで生活したことがない(コペンハーゲンに3日ほど滞在しただけ)し、幾つかの本を読んで思ったことを元にしている、ということは予め断っておきたい。



で、日本とデンマークの教育のあり方の、一番大きな違いというのは、タイトルにあるように


日本の高校とか大学って、そもそも「サラリーマン」になる道しか用意していないんじゃないの?

ってことじゃないか、と思う。


もちろん「サラリーマンだけ」っていうのは誇張で、実際には公務員(教師も含めて)であったり、進学する人も多い訳ですが。


ただ、大事なのは「自分が何になりたいのか」ってことじゃなくて、「自分は何がしたいのか」ってことを考える機会が皆無に等しいんじゃない?ということ。


そういう意味で、中学校の時に普通に高校に進学し、それから大学に進む、ってことがあたかも「普通」になりすぎている、というのは、やっぱり僕は危険だと思うんです。

(と書きながら、かくゆうぼくもそういう道を進んでしまったんですが)


もちろん、大学で勉強したいことがあったり、

将来は「医者になるんだ!」「将来は官僚になる!」


という夢があるのなら、それはどんどん進学すべきだと思います。
(というか、そうしないとその道に進めないから)


でも、


例えば「将来は美容師になりたいんだ!」って中学生の時に思って、親に相談すると、


「高校は進んでおきなさい」ってことを言われたり、


「高校を出たら働きたい」「デザインの勉強をしたい」と言うと、


「大学は行きなさい」


って言われることって、多くの人が経験あるんじゃないかと思うんです。


(といいながら、僕は美容師にもデザイナーにもなりたいと思ったことは一度もないので、そんな相談はしたことないんですが)


ただなんというか、


「将来の選択肢を減らさないため」に「高校に進んでおいた方がいいよ」「大学の進んでおいた方がいいよ」ってことを言われるのが、この国ではとても多い。

実際に、中卒の学歴だと仕事を見つけるのが難しかったり…ということはあるのですが。



でも、なんでこんなことを書くのかというと、


デンマークでは、中学校を卒業すると、「高等学校」に進む人と「専門学校に進む人」に分かれるからなんですね。


それに、「高等学校」に進む人は全体の半数ほで、後の半数は、自分の専門性を高めるために、専門学校に進むみたいです。

それは料理人であったり、デザイナーであったり、美容師であったりするわけです。


ちなみにデンマークでは、仕事に就くためにも各種資格が必要で、教師になるには教育大学を卒業したり、新聞記者になるにはジャーナリズムの大学を卒業していないといけない、という風になっています。


そして、こういうような「将来を考える」「進路を選ぶ」ということを、15,16歳の時点でまず一度迎える。



日本とは大違いですね。



もちろん、若干15歳前後で道を「決めてしまう」デメリットもあるのかもしれませんが、僕個人の考えを述べると、専門学校に進んだ場合、18歳前後には何か一つ「手に職をつける」状態にあるのだろうから、それはそれでいいんじゃないか、と思います。


ちなみに、教育大学を出たデンマーク人も多くは、まずは他の仕事に就いたり、海外を旅したり…というようなことをしているみたいで、実際に教壇に立つのは25,26歳の頃のようです。


一方で日本は、というと、大学に進む18,19歳までは受験勉強に時間を取られ、大学に進んでも4年が基本。その間に就職活動をして、多くの人は22,23歳で、自分が身につけた専門知識と関係のない仕事に就くのが現状です。


(日本の教育や就職の問題を語る時には、いろいろ要因があって、例えば「学歴のデフレ」も考えなければならないとは思いますが)



最近は日本でも「ギャップイヤー」という概念が浸透しつつあり、休学をしたり、30歳くらいまではいろんな世界に身を置く人も多くなってきているみたいですが、


僕としてはやはり、中学校、高校の辺り、10代後半から「自分の人生」について真剣に考える機会が欲しかったな、と強く思っています。


そしてそういうことは、何も国が声を上げてするのが全てではないし、もっと小さな部分から変えていけるのではないか、と思います。


かくゆう僕も、30歳まではいろんな世界を見たいというのが正直な想いですし、そういう「生き方」を通して、こんな生き方もあるんだ」ということを、後代に伝えて行くのが使命だと思っています。


教育、雇用、社会福祉など、いろんな要因は複雑に絡んでいると思いますが、小さなところから、この国の悪いシステムは変えて行く必要があると思います。



生のための学校―デンマークで生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」の世界



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4 コメント

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わー (まりまり)
2012-06-18 23:49:28
藪内さん考えること一緒ー!!

なんか、みんないろんなこと考えていろいろやってるのに、結局は似たようなところにおさまっちゃう感じが悲しく思えてしまいます(>_<)

まじで、一回お話できませんかね?(>_<)
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遅くなってごめんー (達也)
2012-06-22 22:05:23
おお、そうなんや!

まりまりが思っていること、俺も何年か前に真剣に考えたし、すごく悩んだよ。
みんな人それぞれ、独自の考え方とか嗜好を持っているのに、表現の方法が少ないっていうか…。
だから俺は、ぱっと目につくもの(肩書きとか職業とか)だけで人を判断しないで、しっかりと、ゆっくりと対話して、その人の持っている深みと魅力を、きちんと知りたいって思うようになったし、そうやって個々の多様性とか、考えの独自性を尊重できるようになっていったかな。
Qにいたとき、特に自分が3年、4年だった時は、そういう思い出活動とか、メンバー一人一人と接していたし、そういう文化を受け入れる土壌があったのは、本当に恵まれていたと思う。

やっぱり、会って話そう!
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Unknown (上野裕介)
2012-06-29 15:50:43
めっちゃ久しぶりになってしまった!

俺も考えてることはほぼ一緒やね。新卒優遇なんてバカバカしい。時間かけてでも自分の道考える方が大事やと思う。

でも、そういう問題意識を持ったときにどうするか、を考えなあかんと思う。国やなくて個人としてどうするかやったら、そのまわりから変えていかんと。

(関東住みなのに、無理して関西弁使っちゃった)
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遅くなってごめん! (達也)
2012-07-01 15:48:02
上野君、コメントありがとう。
遅くなって申し訳ない。

一番大事なのは、思考停止しないこととちゃうかな、と思ってる。僕も今、仕事始めたけど、「こうありたい」っていう理想とか夢は持っているし、そこに近づくためには、具体的に、大きく環境を変えないといけないと思っているからね。

そのうえで、リスク管理できる範囲で動く、っていうのが、一番現実的かなと思う。転職するにしても、年齢が高くなりすぎると厳しい(って言われる)し、「何歳までに〇〇」っていうのを考えて、道を修正して動いて行くのがいいんじゃないか。

もちろん、生活費や税金(保険も含めて)はかかるから、そのあたりを具体的にどうやって工面するのか、国の制度もきちんと確認しながら、自分のやりたいことができるような環境に近づけて行くのが理想やと思う。

フリーターでいると、お金を稼ぐので精一杯、ってこともあるし、年金を納めなかったり、ってこともあると、後々面倒やし…。

今ある「ルール」を自分で確認したうえで、「ここまでならOK」「この方法なら大丈夫」っていうことを自分で編み出して、実行して行く。

と書いてみたものの、なかなか難しいね…
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