自分が嫌いなもの

2009-11-08 23:43:58 | 自分の思想をめぐる冒険
これは教師批判といってもいいのですが、

というとどこかで勘違いされるのが常ではあると思うんですが、

とりあえず始めることにします。


僕たちが子供のころ(小学生くらいの時がいいかもしれない)に見た先生というのは、どういうものだったかと思い出してみるんです。

だいたい小学校の先生というのは、生活習慣についていろいろ教えてくれたりしてくれることが多いのですが、その時ってやっぱり、「先生はすごい」って思ってしまって、ある種神格化したものとして先生を見ていると思うんです。

でも、年をとるにつれて(中学校、高校と進むにつれて)わかってくることは、「先生はそんなに大したもんじゃない」という感情だと思うのです。

少なくともぼくにはありました。そして、いまもそういう気持ちは持っています。

最初はすごいと思えた先生も、ゆくゆくはたいてい180度逆のイメージが定着してしまう、これはなぜなんでしょうか。


答えは簡単、教師の「言っていることとしていることの違い」だと思います。

これは何も、教師に限ったことではなく、人間一般にもあてはまることだと思うのですが、

つまり「言動不一致」ということなのです。

たとえば、誰かに注意されたとして、反抗期の真っただ中だったら「うるさい!おまえに言われたくない」とか勢いで言ってしまう(そこまでいかなくとも、そういう感情はもってしまう)のが常なんですが、

これって何も負け惜しみじゃなくて、きちんと道理にかなったことだと思うんです。

わかりやすく、簡単に言いましょう。

教師は「勉強しなさい」という。


では当の教師は、自分が学生だったときに、「人に言えるほど勉強していたのか?」ということです。

そういうことを堂々と言えるのなら、もちろん自分もしているはずだと思うんです。

でも、たいがいの先生は、「自分は学生の時にそんなに勉強してなかったからね~」とかいうんですよ、なんかの拍子に。

これね、



自分でもろくにできていないことをしろと言われて、する気起こりますか?



僕は起こらないです。
「じゃああんたは人に言えるほどしたのか」と、問いただしたくなります。

もちろん、人に言えるほどのことをした教師も少なからず存在するはずです。だから、そういう人が言うのは全く問題ないんです。

問題は残りの大多数の教師ですよ。

そりゃ、教師の役目っていうのは勉強教えて、あとは部活動の担当することとかだと思いますけど、なんか偉そうな人が多いと思うんです。


そんなわけで、僕が嫌いなのは「傲慢」です。

自分ができないことを、人にさせるということが一番醜いことだと思います。

「学校に遅刻しないように」っていう生徒指導の教師が、学校に遅刻したことないんですか?
そんなわけないでしょう。

なんでそんなこと言えるのかなあ、と不思議に思ってしまう。

そんなこと考えたことないんでしょうか。

でも教師っていうのは、生徒に対する見本・鑑なんですから、やっぱりその人自身の姿っていうのが大切じゃないかな、と思うんです。

僕は単に教師批判をしているんじゃなくて、

これから教師を目指す人は、自分は生徒の手本になるような、きちんと生徒に「こうしなさい」と言えるような生き方を送ってほしいんです。

そして、教師に限らず、一人の人間として、自分の発言には責任を持ってもらいたいんです。言葉を口にする、ということの重みを知ってもらいたいです。


やっぱり、自分ができないことを人に偉そうに求めるっていうことはいけないんじゃないかと。まず自分がしっかりしなくちゃいけないんです。そのうえで「こういうことが必要だね」とか、他人に対して求める。それがマナーなんじゃないでしょうか。

僕は自分のできないことを、いい恰好して他人に求めることはしたくないですし、そういう風に生きていきたいです。

謙虚に生きよう。

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2 コメント

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Unknown (無名)
2009-11-09 23:24:13
指導者は自分のことを棚に上げて人を指導するのが一番いいといわれています。
他にも例えば、映画を批判する人は映画を作れるわけではないですが、それはそれでいいとされています(少なくとも許容されています)。
なので、一概に「自分がやってないのに人に言うな」とは言えません。むしろ自分ができなくて後悔してるからこそ子供には厳しくしてることも考えられます。
まあ立派な人が教師になってもらうのが一番ですけどね。
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コメントありがとうございます。 (ブログ管理者)
2009-11-10 23:04:52
確かに、僕が一方で思うのは、学生時代に苦労した人でないと教師にはなれないのかなあ、ということです。英語で苦しんだからこそ、教師になってから英語がわからない生徒の気持がよくわかるかもしれません。
ただし、指導者というカテゴリーから外した場合、やっぱり「自分ができないのに人に言う」というのは、僕の考えではあまり気分の良いものではありません。ここで批評家というのは、ある意味プロですからいろんなことを知っていると思いますし、だから(僕の中では)一応意見は尊重できます。大事なことは「何も知らないのに口でやかましく言う」ことだと思うのです。「口にする前に頭で考えてほしい、何も考えずにほいほい口にしてほしくない」ということなんです。
すんません、僕の中でもどの事象とどの事象が対になっているか、同じ分類に入るかという線引きが難しくて、自分の考えが「これでいい」といったものではありません。本当に見苦しいとは思いますが学生の一意見だと思って読んでいただければ幸いです。
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