いや、またこれも難しい問題ですけどね。
僕は自分を肯定したくないんです。かといって否定もしたくないんですけど。
僕にとって、自分を肯定するということは、ある種の自己満足に陥ってしまうことだと思うんです。
たとえば旅行に行ったとして、その旅行がとてもいいものだったとしたら、それは自分にとって満足ではあると思いますけど、同時に自分を肯定することになってしまう。
でも、そこで終わったらいけないと思うんです。
なぜかって?
自分を肯定した瞬間に、それ以上上に進むことができなくなってしまうからだ、と思っているからです。
旅行の計画がとてもうまく行ったとしても、どこかに反省点はあると思うんです。その反省点が、どんなにシミみたいに小さなものであってもないがしろにせずに、「よりいいものになるにはどうしたらいいか」ということを考える必要があると思うんです。
何かの試合でもそうでしょう、自分がチームの中で役目を果たしたからと言って、そこで自己肯定をしたままで終わってはいけないと思うんです。
肯定する、ということは受け入れることですから、
自分を肯定するということはすなわち自分自身で自分を受け入れることだと思うんです。
でも、自分で自分を受け入れるっていうのは、いわば自己満足であって、それに終始したくはない。
より上を目指していくためには、自分を肯定せずに(客観的に見る、という表現がしっくりくるかもしれない)、自分の中で改善できる部分を見つけて行くべきだと思うんです。
僕は自分を肯定したくないんです。かといって否定もしたくないんですけど。
僕にとって、自分を肯定するということは、ある種の自己満足に陥ってしまうことだと思うんです。
たとえば旅行に行ったとして、その旅行がとてもいいものだったとしたら、それは自分にとって満足ではあると思いますけど、同時に自分を肯定することになってしまう。
でも、そこで終わったらいけないと思うんです。
なぜかって?
自分を肯定した瞬間に、それ以上上に進むことができなくなってしまうからだ、と思っているからです。
旅行の計画がとてもうまく行ったとしても、どこかに反省点はあると思うんです。その反省点が、どんなにシミみたいに小さなものであってもないがしろにせずに、「よりいいものになるにはどうしたらいいか」ということを考える必要があると思うんです。
何かの試合でもそうでしょう、自分がチームの中で役目を果たしたからと言って、そこで自己肯定をしたままで終わってはいけないと思うんです。
肯定する、ということは受け入れることですから、
自分を肯定するということはすなわち自分自身で自分を受け入れることだと思うんです。
でも、自分で自分を受け入れるっていうのは、いわば自己満足であって、それに終始したくはない。
より上を目指していくためには、自分を肯定せずに(客観的に見る、という表現がしっくりくるかもしれない)、自分の中で改善できる部分を見つけて行くべきだと思うんです。