シューカツをせずに就職する方法

2010-10-16 23:28:38 | 自分の思想をめぐる冒険
僕は近現代思想に関する知識はあまりないのですが、

「シューカツ」ってようするに、ある種の「装置」なんだな、ということに気がついたんですよ。
装置だな、と。


要するに、社会全体で僕たちをそういう世界(装置)に組み込んでしまうんですね。

だから、その装置に自分を組み込まないといけない。

今、大学三年生なんですが、この前もコースの教授から「進路希望調査」みたいな紙を渡されました。

そこには「就職活動はしているか」っていう質問項目があるんですが、

これって不思議ですよね。

その質問は、「これからの進路」みたいな項目で、選択肢が「就職」「進学」「その他」の3つだけで、

そこで「就職」を選ぶと、下の項目で「就職活動をしているか」ということを聞かれるんです。


だけどこれって、よく考えてみるとやっぱりおかしい。

だって、「就職」=「シューカツ」ということになっているわけですよね。

教務のレポート提出棚にも、「内定届け提出場所」という区画があって、ぼくは内定届けがどんなものが知らないんですが、そういうこともしなければならないそうです。

だから、今の日本の、少なくとも四年制大学においては、大学を「装置」とみなすと、必然的に「新卒で就職」「院へ進学」という二つがメインストリームを作り出す装置として働いているわけですね。

そこに多くの企業が組み合わさり、シューカツサイトとかシューカツ応援○○とかも乗っかって、これが一つの装置として機能している。


だから、たいていの大学生というのは、その装置の中で動かなくてはいけないわけですから、自分の意志に関係なくシューカツをして就職をして、うまくいかなかったら「留年」して、新卒であることを強みにしてもう一度職探しをしなくてはいけない。

なるほど、「シューカツ」とは日本という国家の、暗黙の内に作られた装置である、と考えることは可能みたいです。


そして、ここでその善悪を問うことはやめておきます。同じように「大学受験」も装置の一種として考えることができると思いますし、かくいう自分もそういう「装置」に乗っかってきて、ここまでやってきたので、あまりえらそうなことは言えませんから。


しかし、それを踏まえた上で僕の意見を述べさせてもらいます。


シューカツはしなくても、生きていく選択肢はいくらでもあるんじゃないか

と。

今まで、いろんな生き方をしているひとをテレビや本を通して見てきました。
そして、それらの人を見ていると、「シューカツをして就職」というのは、何も「普通」のことではないのではないか、と思うようになってきました。

回りに、シューカツをしている人が多くいるから、何となく「普通」な感じに思えるんでしょうけど、実はそれは、生き方の一つでしかないのではないか、と。


だから僕は、これは最悪の話ですけど、職に就かないまま大学を卒業するのもありなんじゃないか、と思うんですよ。

たとえば、大学を卒業してから一年でも二年でも、世界中を旅する。そして日本に帰ってきてから、これからどうしようか考える。

そんな生き方もありなんじゃないかな、と真剣に考えます。

日本の大学には「休学」という制度があります。
要するに学費を払わず(私学では「在学費」みたいなものを払わないといけないところも多いみたいですが)に、大学に籍を置いたまま自分の好きなことができる制度、みたいなものなんですけど、

この制度も、実は「復学した後は新卒採用で就職する」ことと関連しれいるのではないか、と穿った見方をしてみます。

もちろん、「学生である」という特権はそれ以外にも多くあると思います。公共の交通機関の学割や、回りから「学生は勉強しているのが本業だから」ということで、「学生です」と言うだけでも結構特典はついてくるんだなあ、とは思うんですよ。

僕もこの夏、東北を回ったときに社会人の方に偶然会って、いろいろごちそうしていただいたんですけど、「君が学生で、いろいろ回っている、というから、こっちも自然に応援するよ。これがもし、30歳くらいで同じことしてます、と言われても、すんなりと受け入れられないだろうな」みたいなことを言われました。

だから、学生の特権っていうのは正直、大きいと思います。


でも、だからといって、学生は決して「社会人になるまでのモラトリアム」ではないと思います。

「社会人」って、どこかマイナスは響きがあると思うんです。そして、その定義って曖昧だと思います。
だって、大学卒業後も一人で世界をほっつき歩いていたら、仕事もしていないわけですし、それを「社会人」と一言で呼べるかといったら、僕は呼べませんね。

でも、そういう人は社会からの風当たりは厳しいかもしれませんし、自分で自分が嫌になることがあるかもしれないんですけど、その人にとっては、いろいろ考えた上での今現在なんだから、正直言って厳しい目で見る必要はないと思います。「ろくに仕事もせずに人に世界をさまよっているなんて」みたいな感じで受け取られがちですが、そんな風に考える方も考える方だよなあ、なんて、すこしねぎらいたくなります。


そろそろまとまりがなくなってきましたけど、要するに、自分の身の回りが世界全体であるはずはなくて、自分の知らない世界はたくさんあるはずだし、そういう生き方を自分がしてみるのもありなんじゃないか、ということです。

自分は今大学三年生で、世間一般だと「シューカツ」していることになってるんでしょうけど、僕は今していませんし、これからもたぶんしません。

かといって、何もしていない訳ではなくて、とある会社の方といろいろお話する機会があり、その方たちと、物理的距離は離れているんですが、自分が関わることができることを見つけて、少しずつでいいので力になれればなあ、と思っています。

その仕事は、ざっくり言うと「日本と海外を繋ぐ」仕事で、自分の興味のある分野とほぼピンポイントだったので、結構運命も感じているわけです。

それに、もちろん将来自分はきちんと収入を得ることができるんだろうか、家族に恩返しができるんだろうか、ということも考えてしまうわけですが、

自分が「今」したいこと、すべきことを全力でやっていれば必ず道は拓けると思っていますし、

今の自分の生活(大学生活や、他のいろんな世界とのつながりなど)がいいものだと思っているので、これからもそういった、

自分でしかできないこと、自分がしたいこと、自分で判断した上で正しいと思ったこと

をどんどん表現して生きていきたいと思っています。

やっぱり、世間に流されるのは嫌いなので、


こんな生き方もあるんだ

ということを、自分を通して表現して行きたいと思っています。

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