本当に「時間は平等にある」のか?

2009-07-24 15:01:08 | 自分の思想をめぐる冒険
この文言は、受験勉強の時などによく先生がいっていた言葉ですね。

でも、これって嘘なんじゃないだろうか。

平等に時間があるっていうのは、すなわち「今日から三日後までは、みんなに72時間という同じだけの時間が与えられている。」ということだが、等しいのは与えられた時間だけだ、ということだ。

一日24時間をとってみても、人によって睡眠時間は違うし、食事に使う時間だって違うはずだ。24時間からそれらの時間を差し引いたら、そもそも時間なんて平等なはずがない。

もっといえば、人間なんて二十歳になるまでで死んでしまう人もいれば、逆に100歳まで長生きする人もいる。これをみても一目瞭然なように、人間には平等な時間など与えられていないのだ。



人間は生まれつき、不公平に作られている


とは、村上春樹の作品に書いてあった言葉だと思うが、まさにその通りであろう。

ある人は、一日6時間睡眠、つまり一日の4分の1を睡眠に費やす。またある人は、一日8時間睡眠、3分の1を睡眠に使う。この時点で、一日2時間、活動時間が違ってくるのだ。

仮に、起きている時間を活動できる時間だとすると(養老孟司はそうではない、という考えを本の中で延べていたが)、その2時間というのは、積み重なったらとても大きな差としてかえってくる、といえる。

その2時間で、いったい何ができるのか。

少なくとも、その2時間はむだにしたくないと、自分は考える。逆に言うと、睡眠時間が多かったら、活動できない2時間分を取り戻したい。できるだけ、無駄のないように生きて行きたいと思う。

自分自身は、ひとより睡眠を多く取らないと生きて行けないと思っているし、それだからこそ少ない活動時間を有効に使いたいと思う。そのために、今何をするべきか、ということをすこしでも多く考えて行きたいと思っている。

もちろん、自分でも効率を優先するだけになるのはよくないと思う。しかし、あくまで自分の価値観に則ってであるが、自分に取って有益でないという事にはあまり手を出したくない。

多くの時間を持っているのに、それを有効活用できていない人もいれば、

逆に数少ない時間を有効活用している人もいる。

少なくとも自分は後者になりたい。

限られた時間を大切にして、どのように使って行くかが問題だといえる。

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