尊敬するということ

2009-07-26 22:46:22 | 自分の思想をめぐる冒険
手元にある電子辞書で、「尊敬」と引いてみると


その人の人格というものを認めて敬うこと。その人の行為・業績などを優れたものと認めて、その人を敬うこと


と書いてある。


そんな自分だが、今まででそれほど人を尊敬したことはない。かといって自分も尊敬されたいとは思っていなかったわけだが、今まではなぜそう考えていたのかもいまいちわからなかった。

しかし最近は、おぼろげながら見えてきたのである。


「自分より年上の人は尊敬しない・できない」と。


どういうことか。

自分の中の時間に対する観念との絡みが大きいのだが、

今まで20年近く生きてきた自分と

その何倍も長い時間を生きてきた人生の「先輩」を比較すると、

その間には当然「何年か」の時間差があるわけで、


自分にとっては、「自分にもあとそれほどの時間がたてば、その人と同じ領域まで進めるのではないか?」と考えるからである。

人間、20年近く生きてきたらそれなりのものを勉強してきて、体に蓄えてきているもんである。

しかし、30年たったらもっと多くのことを蓄えているだろう。

時間がたてばたつほど多くのものを蓄える、というのが自分の考えなのだ。


それなら、20年しか生きていない自分は、30年生きてる人と比べてえてきたものが全然違うから、それは尊敬できない、自分もあと10年たったあんたのようになれると思う、ということなのだ。

逆に言うと、自分より年下の人が自分より秀でていたら、それは尊敬に値する。なぜなら自分より生きてきた時間が短いのに、自分の上の世界を進んでるから。

たとえば錦織圭、石川遼。中学生で気象予報士の資格を取ったりする人もたまにニュースで見かけるが、そういう人も尊敬する。

そんなわけで、自分はこれからも年下を尊敬して生きていくだろう。そして、自分も年上から尊敬されるようになりたいと思う。


世界を見渡すと


自分より長い時間を生きてるのに、それ相応でないひとがどれだけ多いことか。

最新の画像もっと見る