感動っていうのは、常に「今」もしくは「未来」に対して生じるものであって、
その反対が「記憶」なんじゃなかろうか。
そして、感動は刹那的で、記憶は恒久的なものである。
人間は、今まで自分が経験してきたことをだいたいは記憶している。
楽しかったことも辛かったことも。
もちろん、全てが全て覚えているわけではないけど、いついつにどこかに行った、とかそこで何を食べた、とか、どこに泊まった、とか。
でも、その時々に感じた「感動」までは、覚えていないんじゃないだろうか。
僕は、感覚が鋭いのか、よく心を動かされることがある。
偉大な先人の言葉や、圧倒される自然、景色の美しさ…
夕陽を見て胸が熱くなることはしばしばあるし、フィンランドで見たオーロラや、日本各地でみた虹とか、そういうのを見ると、大概は泣いてしまう。
でも、決して「あの時にオーロラ見たなあ」って回想しても、
その当時、どんな風に感動したのか、心を動かされたのか、ってことまでは、思い出せない。
いや、それは決して思い出せるものではないと思う。
いろんな場所でしてきた感動を、いろんな人に伝えたいと思う気持ちがある反面、
それはおそらく、どうがんばってもできないことなんじゃないだろうか。
悲しいかな、きっとそうなんやろうと思う。
僕はコトバが好きだし、それと同じくらい、写真も好きだ。
何かを表現する時に、僕はすごくコトバ(とりわけ文字)を使うことが多い。
(これは、音楽とか絵画とか、他の表現手段に秀でている訳ではないから、というのも理由の一つだけど。)
そして、多くの情報は、コトバを通して得る。
だから、コトバは僕にとって、必要条件ではあると思う。
けど、決して十分条件ではない。
本当にきれいなもの、すごいものっていうのは、コトバでは表すことができないのかもしれない。
コトバは記録を作ってくれる。
コトバは記憶を作ってくれる。
ゆえに、感動はコトバでは表せない、のか。
「今」っていうのは、究極的に「一点」であって、限りなく刹那的なものである。
それに対して「過去」は、ずっと続いて行くもの、一つの繋がりとして一人一人が背負って行くもの(いかなくてはいけないもの)である。
「未来」は…どうなんやろう。
ただ、自分が経験した感動っていうのは、決して思い出すことができないものではある。
感動って言うのは、コトバとか理屈を超えて、一瞬のうちに自分を襲うものであって、それゆえに自分の内部にも残らないものであると思う。
でも、だからこそ、そんな「刹那」を体験できた時は、とても心が満たされたように感じる。
そんな瞬間を体験することができたら、どんなに素敵だろう。
感動する瞬間を逃さないように、
その一瞬に全てのエネルギーを注ぐかのごとく、生きて行きたい。
その反対が「記憶」なんじゃなかろうか。
そして、感動は刹那的で、記憶は恒久的なものである。
人間は、今まで自分が経験してきたことをだいたいは記憶している。
楽しかったことも辛かったことも。
もちろん、全てが全て覚えているわけではないけど、いついつにどこかに行った、とかそこで何を食べた、とか、どこに泊まった、とか。
でも、その時々に感じた「感動」までは、覚えていないんじゃないだろうか。
僕は、感覚が鋭いのか、よく心を動かされることがある。
偉大な先人の言葉や、圧倒される自然、景色の美しさ…
夕陽を見て胸が熱くなることはしばしばあるし、フィンランドで見たオーロラや、日本各地でみた虹とか、そういうのを見ると、大概は泣いてしまう。
でも、決して「あの時にオーロラ見たなあ」って回想しても、
その当時、どんな風に感動したのか、心を動かされたのか、ってことまでは、思い出せない。
いや、それは決して思い出せるものではないと思う。
いろんな場所でしてきた感動を、いろんな人に伝えたいと思う気持ちがある反面、
それはおそらく、どうがんばってもできないことなんじゃないだろうか。
悲しいかな、きっとそうなんやろうと思う。
僕はコトバが好きだし、それと同じくらい、写真も好きだ。
何かを表現する時に、僕はすごくコトバ(とりわけ文字)を使うことが多い。
(これは、音楽とか絵画とか、他の表現手段に秀でている訳ではないから、というのも理由の一つだけど。)
そして、多くの情報は、コトバを通して得る。
だから、コトバは僕にとって、必要条件ではあると思う。
けど、決して十分条件ではない。
本当にきれいなもの、すごいものっていうのは、コトバでは表すことができないのかもしれない。
コトバは記録を作ってくれる。
コトバは記憶を作ってくれる。
ゆえに、感動はコトバでは表せない、のか。
「今」っていうのは、究極的に「一点」であって、限りなく刹那的なものである。
それに対して「過去」は、ずっと続いて行くもの、一つの繋がりとして一人一人が背負って行くもの(いかなくてはいけないもの)である。
「未来」は…どうなんやろう。
ただ、自分が経験した感動っていうのは、決して思い出すことができないものではある。
感動って言うのは、コトバとか理屈を超えて、一瞬のうちに自分を襲うものであって、それゆえに自分の内部にも残らないものであると思う。
でも、だからこそ、そんな「刹那」を体験できた時は、とても心が満たされたように感じる。
そんな瞬間を体験することができたら、どんなに素敵だろう。
感動する瞬間を逃さないように、
その一瞬に全てのエネルギーを注ぐかのごとく、生きて行きたい。
最初の頃のきゅんきゅんしてた気持ちって、きゅんきゅんしてたことは覚えてるけど、どんなだったかはよく分からない、みたいな(*^□^*)
恋愛経験が多くない自分にとっては、新鮮な考え方です!←
でも確かに、恋愛で感動するっていうのは、「この世界の、他でもない一人」を選んだ(に選ばれた)ことであって、それって今の世界で生きている人と出逢えた、って意味では、すごく素敵なことではあるよね。昔でも未来でもない、今を生きている人と出会えた、って意味で。
きゅんきゅんする気持ち=感動、なのかはよくわからないけど、言葉にうまくできない、頭で覚えていられないことであることに、間違いはないのかもしれないね。
果たして、まりまりが言いたいことをきちんと理解できているのか、不安ではあるけど(笑)
話したいねー!