創世記25章17節である。「イシマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた。」という。アブラハムの生涯は百七十五年に対してここは百三十七年である。比較的われわれに寿命の年数に近づいてきたが、それでもやや長い。一年の長さが違うのか、年齢の数え方が違うのか、この程度なら、この世にありうる年齢としてその時代の人々の生命の長寿を表したのかもしれない。しかし、常識的には聖書の一般的な寿命は六十歳である(レビ27:3,7)。八十歳(詩90:10)は、聖書の時代にごくまれに見る年齢のようである。
「死んで先祖の列に加えられた。」とは、アブラハムの場合と同じ表現である,表現の定型のようであるが、男子系の社会であるから、アブラハムの先祖の列に加えられたと考えることが普通である。21章13節に、アブラハムに「彼もあなたの子である」といわれているので、イシマエルの場合、「ハガルを先祖とする列」とは考えにくい。
18節である。「イスマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。」という。人間とはおもしろいといえば語弊があるが、仲良くできないことにおいて、徹底した存在であるといわねばならないほど面白い人間存在なので、別の言葉では罪深いのである。
本心は仲良くしたいのである。しかし実際はそうではない。利害が相反することに我慢ならない。身近には、兄弟に始まり、男と女の夫婦が一番この例に当てはまる。それでも我慢しているというのが実際であり18節の本文に「道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。」という。要するに部族同士互いに争いが絶えないのであった。たまに敵対するのではない。「敵対しつつ生活していた」のであった。
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