創世記20章18節である。「主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。」ここに「宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられた」とあるが、この女たちにはサラも含まれる。神の厳しい裁きとして受け止めるべきであると思われる。その解放は、女たちは性的に守られ、新しい命を生み出せるようになった。
宮廷のアビメレクばかりでなくアブラハムも、サラも、宮廷の女たちも、ここから新しい出発になる。神の相手はいつのもこの世界全体である。全世界の人類に向って語りかける。この一つの解放は世界全体の裁きとその解放と自由が告げられる。このサラに、イサクの備え(22章)の予表を見る。
創世記21章1節である。「主は約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、~」という。「主は約束されたとおり」という言葉で始まるこの節は、新しい展開を告げる。12章からアブラハムは、妻サラと甥のロトを連れてハランから波乱万丈の旅にでかけるが、ここは、その大事な転換点である。
ヘブライ著者によると、ただ神のご命令によって、ハランを「行き先も知らずに出発したのです」(ヘブ11:8)といる。三日月沃土といわれるカナン人が住む約束の地に向って出発した。アブラハムの妻サラには、なかなか子供が生まれなかった(16:1)。サラは悩み、後々禍根を残すことになる女奴隷に子を生ませた(16:2)。しかし、やっとサラに子が与えられる。
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