標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

政治・行政は「支配」ではないはず。アメフト選手のように、自らの行為を正して欲しい。

2018-05-30 21:38:30 | 日記
今や、アメフトにおける「反則タックル」について、評論されている。この問題の論点は、行為の非に止まらず、その行為が名何故行われたということが重要という論点が主流なのは、言うまでもない。
この事案の根本はパワーハラスメントがあるようだ。だが理解するには、パワハラというより「支配」と言った方が合点がいくのかもしれない。

私の現役時代、ハラスメントの行われていた職場にいたことがあった。特に役職はない平社員だったが、その威圧的な話し方、相手を落とし込めるような内容が、他の職員、上司を苦しめた。ある上司は、彼からの度重なる攻撃により、休職となった。配置転換と同時に復職した。また、同僚は、攻撃を受け続け、配置転換により他の部署に移った後、うつ状態になり、退職した。被害を受けたこの上司も同僚も仕事の能力はすぐれており、他の職員から信頼されていた。
当時はまだ、ハラスメントなどへの対応が組織としてできておらず、問題を把握しても、その問題点を取り上げることもなく、忖度による配置転換しかなかった。

この時のいわゆる加害者は、地位による権力はなかった。
しかし、アメフトに係る案件は、加害者が監督、組織のナンバー2であったということだ。つまり権力による「支配」だ。
「支配」とは、広辞苑によると「ある者が自分の意思・命令で他の人の思考・行為に規定・束縛を加えること。そのもののあり方を左右するほどの、強い影響力を持つこと」とある。
かつて私が見た職場での状況もまったく当てはまる。また、アメフトの事案の場合は、「ある者」が「絶対的権力を持っている者」となり、その権力者による支配だ。歯向かうものは止めさせるという手段を持っているので、組織に残る人は歯向かわない人や歯向かえられない人となる。

今回の反則行為の当事者である選手は、支配から脱して会見を行った。その中で被害者への謝罪と共に、自らの非を認め、さらに支配の実態を暴露した勇気ある行動だった。
一方、選手に指示した監督やコーチは、「(ケガをさせるような)指示はしていない」「選手との齟齬があった」と会見で話した。しかし、関東学生アメリカンフットボール連盟の調査により、監督らの指示があったした。監督らの会見での言動は、信頼できないとして、「除名」処分とした。

アメフト問題は、今後も課題は多いだろうが、立て直すきっかけとなった。上述したように、勇気ある選手の会見が、問題提起となり、関学連盟が動き判断を下すきっかけとなった。

これに比べ、森友・加計学園に係る問題などは1年以上も国会論争を通しても解決の方向に進んでいない。これは、支配の当該者が「国レベルの権力」だからだ。官僚やそのもとで公務をつかさどる一般公務員も、政権、内閣による支配により、(多分)自らの本意でない、改ざんやうその答弁をしているのだろう。今の行政では自浄作用が働かないのか?

アメフト選手のように、自らの本意でない行為を行った人(議員・官僚・一般職を問わず公務員)が、自らの行為を正すべき勇気ある行動を示し、国民のための公務を遂行して欲しいものだ。
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