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標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

雨の一日。夕食にコンビニのインスタント食品を食べ満足。

2019-03-03 21:13:13 | 日記
朝から雨だ。例年ならみぞれや雪になることが多いのに、冷たい雨だった。予報では毎時1mm程度の降水量だが、一日中ぽつぽつと降るとそれなりの雨量になる。
街に買い物に出かけた。スーパーなどには人が居たが、街中の歩道にはほとんど見かけなかった。通常の日曜日だと、人通りはあるのに、閑散としていた。

帰りには薄暗くなっていた。晴れや曇りの週末なら、冬でも地域外のナンバー車が多い。場所によっては渋滞になる時間帯だ。しかし、今日は走行車も少なく、私の運転スピードも雨にもかかわらず上がってしまった。家に着いたらドライブレコーダの音声が、「今日の運転はわずかに急ブレーキがありました。交差点などでは予めスピードを落としましょう」と流れていた。

ところで、妻が数日前から発熱で2日間寝込んでいた。昨日から熱も下がったが、体のだるさは残っているようだ。夕食は簡単にしようと、コンビニ寄って、電子レンジで食べられるタンメンをペアで購入した。新発売のスープというので、目についたのだ。

電子レンジで6分ほど温めて食べたところ、野菜も豊富で確かにスープがうまかった。妻も私もスープを飲みほした。先日レポートした、朝ドラ「まんぷく」のチキンラーメンよりうまかった。

即席ラーメンを開発した人には申し訳ないと思うが、今は電子レンジで食べられるインスタント食品が豊富だ。お湯をかけて3分という即席ラーメンは当時としては画期的な発明品だったろう。しかし、レンジでチンは対象食品も多く美味い。
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今日はブログを休みます。

2019-03-02 21:46:47 | 日記
一日中外に出ていたので、疲れたのか、夕食後ウトウトしていた。早めに寝ることにします。
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歌から遠ざかっていたが、再び聴くようになったきっかけの尾崎豊さんの曲の思い出。

2019-03-01 21:10:57 | 日記
昨夜のNHKニュースウォッチ9で「尾崎豊さん愛用のピアノ 富山市の文化施設に寄贈」という内容の報道があった。ピアノは尾崎さんが自宅の仕事部屋に持ち込んで捜索活動に取り組んでいたという。平成4年に亡くなった後は、尾崎さんのデビュー当時からのプロデューサーで富山県出身の須藤晃さんが管理してきたが、尾崎さんの楽曲や功績を知ってもらいたいと、遺族の了承をえて富山市民文化事業団に寄贈したとのこと。

尾崎さんは、このピアノで「卒業」の創作に取り組んでいた。そして、通常コンサートではギターを使っていたが、唯一ピアノを使って披露したのは「卒業」だったとのこと。

“若者のカリスマ”といわれた尾崎さんの面影は、富山市民芸術創造センターに行けば偲ぶことができる。

私が尾崎豊を知ったのは、医療機関に勤めていた平成の時代に入った直後だった。ある女性の患者さん(Aさん)との面談の中で、ある難病の患者さんから「尾崎豊って知っていますか。すごくいいのでぜひ聴いて欲しい」と言われた。
Aさんは通院などの移動時、電車の中でも、歩きながらでも尾崎豊の曲を聴いていると言う。

私は独身時代から、歌を聴くのは好きで、学生時代はNHKの“昼の歌謡曲”をカセットテープに録音しては、繰り返し聞いていた。
しかし、医療機関に勤務していた頃は、家庭では子育て、仕事も少数職種などで忙しく、歌を聴いてはいたのだが、ほとんど私の耳に残らなくなっていた。私の耳に残っている最後の歌手は山口百恵だった。

そして、Aさんのことをより理解するためにと、尾崎豊さんの歌を聴いてみようと思った。すでにカセットテープではなく、CDだった。

曲を聴き、思春期ころの自分と仲間たちを思い出した。
バイクではなかったけれど、家の大人が乗る自転車で、遠出をした。また、塞ノ神の祭りでは、夜陰に紛れ、別の祭り小屋を襲ったこともあった。でも、祭の行事の一つだったのだろう、本格的な争いにはならない。お互いにワクワク感を味わうだけのものだった。

当時は特定の異性と付き合うのには勇気がいる。男女が集団で、グループ交際というのも流行っていた。しかし、何か満足できずに切なさだけが残っていた思い出がある。

尾崎豊さんの曲は、私の時代とは違い、一層激しさがある。だが、それがその時代の“若さ”だと思った。
この後、末っ子も誕生し、子育てや仕事に慣れてきたのか、再びその時代の曲が耳に残るようになってきて、今に続く。DA PUMPの「U.S.A.」も。

尾崎豊さんを紹介してくれたAさんは、その後、ある患者団体の代表を務め、結婚、子育てを実践し、新たな資格も取得した。
今はAさんとは交流がないが、家庭と仕事に励んでいることだろう。
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