大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

生まれる前の誓願

2023-10-20 07:05:00 | ひとりごと
生まれる前に
だれしも誓っているのかもしれない

どんなことがあっても
神様をお助けする存在としていきてきますと

神様から大切な一部を
いただいたからこそ
この世に生まれでてこれました
感謝しますと

あの父母は私には丁度良さそうです
いってきます

生まれてみたら
生まれてこれた奇跡など
忘れ

あれもこれも
神様の足を引っ張って
生前の誓いなど
どこ吹く風

自分の意見と違う他者を
批判したり
傷つけたり
争い
戦争さえはじめ

争いの最中でさえ
自分や自国だけは正義のように
ふるまい
のたまい

他の内にある
善なる所を探さず
悪い所をあげつらう

他者が一見悪くみえる時は
実はその要素は自分にもあり
戒めや教えが分断にあることなど
気づきもせずに

出会うべくして
出会った
その他者こそが

自分へのプレゼントであったことなど
気づきもせずに

気づかない自分の愚かさには
盲目のまま

なんと我がままで
気ままな存在なのだろうと
我が身をも振り返り
反省する

せっかくいただいた
この身体

生まれる前に誓った
神様のお役に立てますという
言葉どおりに

与えていただいた命を輝かせて生きる

私の魂は今輝いているだろうか
これをつねに自問自答する

一様に例外なく
神の子なのだから
命を輝かせて生きる選択をすることは
生まれてきたものの
使命の中のひとつかもしれない





鉄の功罪

2023-10-12 06:15:00 | 神話・物語・本から

タタラが最初に行われた可能性がある福島県相馬市。踏み吹子による火力により鉄をうみだしました。

エネルギー繋がりでいうと、福島は原子力発電大事故による未曾有の被害を受けました。

福島の浜通りに住む多くの方がエネルギー産業に携わっていますし、相馬の海沿いはそのような現場が多いです。


スマホの無い時代を生きたスマホが当たり前の娘とは、スマホの絶対値に違いがあります。

電気がない時代を生きた人は、今の電気が当たり前の時代にきっと驚くでしょうし、そのように文明は姿を変え、どんどんと発展し、当たり前を増やします。


青銅器から鉄器へ。ふいご(鞴)の後、鉄の生成もたたらへ。タタラは山を切り崩したり、自然破壊と結びつきます。

鉄がもたらしたものは、成長の過程での功罪が大きいですが、功でいうと、太古の人々の生活、衣食住を豊かにしました。


衣についていうと、

「大量」の鉄針🪡は、人々が寒く無いように衣を作るのに役立ったことでしょう。

「大量」(オオハカリ)は、カモ氏のアジスキタカヒコネが使った剣の名前です。

アジスキタカヒコネネは、立派な鋤の、高く輝く太陽の子」と御神名を考える説もあるようですが、農具である鋤(スキ)の神でもあるので、食を豊かにした感じもします。

自然による錫の生成が葦(アシ)の周りに自然に、鈴なりに出来る褐鉄鉱を、お名前から感じます。

食に関しては、カモ氏は製鉄の技術を用いて、農具だけでなく、治水工事や灌漑工事にも役だてました。


住居を作るにも、鉄の道具は大切。神々は鉄を人々が暖をとり、飢えず、定住できるように、生活に役立てるために太古の昔に与えてくださった気がします。

また、産業革命のあとは、馬での移動を鉄道へと無限大に可能性を広げました。


しかし、鉄の罪としては、力と結びつき、馬に乗り鉄剣を振りかざし、命を奪い合う戦争があります。

また、タタラは、山を切り崩し自然破壊をもたらしました。時代は後になりますが、蒸気機関車は大気汚染をもたらします。

功罪は裏表。文明を開くにはさけられなかったのかもしれません。


太古に、鉄や鉱物の生成に感謝を捧げるていたのが蝦夷が守り続けてきたアラハバキ信仰なのではないか、、と思います。

アラハバキは艮(北東)の方角にある東北の地に、押し込められました。北東は艮の金神、祟り神がいるとされてきました。しかし、その地こそ日の出の神が昇る聖なる地かもしれません。


鉄は善悪の色合いなどなく、人の産み出す想念や使い方次第です。古代史を見ても、人の心と、それが形になったものが土地の磁場となるような気がしています。


エネルギーを生み出す磁場の強いところは、そこに住む全生命体の気の蓄積にもあるように思います。

土地のエネルギーは神々から無償で与えてもらっていますが、人のエネルギーは一人一人が大地に返すもの。

足るをしれば、取りすぎず、無いところに自然と流れ、水のように低いところへ平坦に行き届く。当たり前でなく、全て有難い。


福島は福の島です。福島浜通り原子力発電事故のあった土地は、日本や世界がどんどん欲により危険を犯し、戦争をし、地球をも脅かす可能性をはらむ今、防波堤となりあの痛みを全身で受けてくれた土地だと思います。


自然は山も海も大気も物言わず、人々がなすまま全て受け入れてくれています。

しかし、昨今の100年に一度や1000年に一度や、過去例を見ないレベルの災害や異常気象の多発、これは、人間が生み出した業を自ずと受けている警告なのかもです。


昔は土葬でしたから、人は死んだら土に還りました。肉体は死んだら土(自然)にかえるのが当たり前。だから、人は大地を自らもいずれは吸収される、還る宮として大切に思い感謝していた気がします。生きている時から分離していなかったような気がします。


歴史の壮大な流れの中、見かけは発展しているようですが、実は後退しているのかもしれません。

ただずっとあるがままの自然の中に生かされている極小さな存在である自らの身魂を磨き、大いなる自然に御魂返しをしていきたいです。


【画像はお借りしました】


起き上がること

2023-10-05 06:00:00 | ひとりごと
大切なことは
倒れないことより
すぐに起き上がることです

という言葉に出会いました

強風にふかれ
足場がぐらぐらし
倒れて、折れてしまうことって
あります

そりゃぁ、倒れるわ
これキツイもん
なんていうこともあったりします

倒れたとき
あまりにも思いがけなかったから
倒れた衝撃で、至る所
傷だらけ

あー痛かったぁ

そうして出来た傷の
痛みが気にならなくなる
なったとき

自然に癒されている自分に気づきます

状況は少しずつ変わり
心境も確かに変わって
自然と起き上がれるように
なるかもしれません

倒れないことより
すぐに起き上がること

この
「すぐに」が
出来るといいけれど

人によっては傷が深くて
「すぐ」にできない
場合でさえ

それでも
時間薬に任せて
自分をなげださないで
自然に静かに委ねると
自然は必ず全てをゆっくり癒します

そうしたら
必ず
朝日が昇るように
新芽が出るように

自分の中のエネルギーが
少しずつ湧いてきて

倒れてしまっても
自然に抗わなければ
ヒトも
起き上がるように
出来ているのかもしれないな
思います




太陽のように




色々考えてやめるより

2023-10-01 08:45:00 | ひとりごと
色々考えて動けなくなるより
先ずは一歩、動いてやってみる

考え過ぎて
ブレーキをかける理由は
色々わくけれど

そんな枠はとっぱらい

ワクワクすることなら
動いてみる

そうすると
力がどんどん湧くかもです

その力は泉のようでもあり
暗闇に潜んでいるものを
ある時ふと感じ

信じて
掘ると
噴水のように湧き出すかもです

出来ない空想より
出来るために一歩ふみだして


閉じかかった扉も窓も
光がその中にあるのなら
光が輝き✨放つように

開いて
風通しを良くして

笑って
生かされている実感を

光✨から届いた💡直感を
カタチにして届ける

形なきものに、形をあたえる
それは創造

ヒトに与えられた
貴重な力のような

そんな「気」がします







龍王峡へ

2023-09-29 06:06:00 | 神仏について
ブログは前後してしまいますが、

日光二荒山神社に参拝した前日、日光東照宮に参拝しました。
東照宮は非常に混雑しており、
どうする家康効果かもしれません。

個人的には人混みが苦手ですので、比較的空いていた日光二荒山神社が良かったです。

日光二荒山神社と東照宮は凄く近いので同日に参拝できますが、
1日目は東照宮のみにして一泊しました。

近くの旅館をとれば良いものを、ネットでギリギリ前日に予約して、後でわかったのは、東照宮から車で1時間離れた福島会津よりの宿でした。

そこは、平家落人の住処とされる地でした。
かなり山の奥地でしたから、こんな所まで命からがら逃げてきた人達がいたのだなぁと思いました。

平家の落人の料理を振る舞う旅館で、川魚が美味でしたし、川のせせらぎが部屋からもきこえ、心地よい温泉宿でした。




旅館の仲居さん達は気の良い方でしたから、昔、この地で余生を過ごされた平家落人の人も、命からがら逃げ、やっとこの地で田舎の人々の温かさに触れていたのかもしれないなと感じました。

母の実家、津野町に似ている空気感と雰囲気があり、子供の頃夏休みに田舎に遊びに行ったような気分を思い出しました。四国も平家落人が沢山隠れ住んだ土地ですしね。

早めの朝食後、日光二荒山神社に向かう途中に、龍王峡があるので寄ってみることにしました。



ゆっくり歩くと結構かかるようですが、私たちは少しだけにしました。


水のある所には神社がある。
5龍王がお祀りされており、高龗神が御祭神です。





暑い日でしたが、水の流れ、音は清々しいものでした。まさに、セラピーです。










橋がかかっており、そこからの絶景です。

はらいたまえきよめたまえ



水の侵食作用、浄化の働き、自然の絶え間ないエネルギーこそ、龍神様のお働きかなと感じます。





一滴の湧き水から始まり、大地を削り潤し満たす働きに


感謝です。