大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

上毛三社 赤城神社

2023-09-15 06:22:00 | 神社仏閣
上毛三社巡り、最後は赤城神社です。

こちらには赤城姫伝説が伝わります。





今から約1600年前の古墳時代、日本は「倭」と呼ばれていました。朝鮮半島からの渡来人により、鉄器や須恵器、機織り、土木技術など様々な技術や文化が伝えられていた時代の話、赤城姫伝説は長く人々に語り継がれます。


高野辺大将家成という公家が、ある時、無実の罪で山里に流されてしまいました。しかし、そこで妻をめとり若君一人、姫君三人に恵まれ幸せに暮らしていました。

月日は経ち、成人した息子は、母方の祖父を頼って、遠く離れた都へ上り仕官し、三人の姫たちは両親と共に暮らしていました。


3人の姫たちは、淵名姫・赤城姫・伊香保姫です。とても美しい姫でした。しかし、3人が十一歳、九歳、七歳の時に、母君が38歳の若さで亡くなってしまい、父家成は、その年の秋に後妻を迎えたことから、悲劇が始まります。


父家成は無実の罪が晴れ、上野国司に任命され、三人の娘たちを残し任地に旅立ちます。3人は、それぞれの乳母の元で成長します。

しかし、継母は、美しく成長した三人の娘を疎ましく思うようになりました。弟の兼光をそそのかして3姉妹の殺害を計画するのです。

兼光は、まず姉姫である淵名姫を、利根川の倍屋ヶ淵に沈めて殺してしまいました。


次女の赤城姫も追われ、乳母と共に赤城山に逃げ込みます。しかし、飲まず食わずの山の中で何日も過ぎました。




「山の護法神、木々の神々よ、私たちの命をお召しください。」

と赤城姫は必死に願います。とうとう乳母が力尽き一人になってしまった姫は

「どうか早く私もお連れ下さい」

と祈りました。

すると、赤城の沼の龍神(女神)が現れ


「この世は命はかなく夢、幻のようであります。竜宮城という素晴らしい所に姫を案内します。」


と龍神と共に赤城姫を連れて沼に沈んでいきました。姫はその後、龍神を継いで、赤城大明神となりました。




末子の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られなんとか生きながらえることができました。

事件を知った父の家成は、慌てて戻ります。しかし時すでに遅く、淵名姫の亡くなった淵で神となった淵名姫と再会し、悲しみのあまりこの淵に入水してしまいます。

都で出世していた息子は、この知らせを聞き軍勢を率いて戻り、兼光を殺し、継母を捕らえますが、仮にも一時は母であったという理由で、殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放しました。


信濃へ戻った継母は、甥を頼りますが、甥に捨てられ死んでしまいます。この、甥が叔母である継母を捨てた山が、姥捨山と言われています。事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に淵名明神の社を立てます。


その後、大沼の畔で、神となって一羽の鴨の羽に乗った妹が、淵名姫・赤城姫と再会します。(この鴨が大沼に留まり、島となったのが、現在赤城神社のある小鳥ケ島)その後、大沼と小沼の畔に、神社を建て(赤城神社・小沼宮)、神々をお祀りしたそうです。







炎天下の神社巡り、最後の赤城神社では、通り雨のような雨がふりました。


悲しい宿命と引替えには、龍宮の姫神様となって、永遠の命♾️を得て、この地と湖を守っているのかもですね😌。






らんまん 竹の花と南方熊楠

2023-09-14 04:21:00 | ひとりごと
らんまんも、残りわずかです。すっかり朝ドラはまってしまいました。仕事があるため、今は録画です。帰宅後の楽しみのひとつです。

竹の不思議。竹の花は120年に一度一斉にさいたら、竹林ごとお役終了のように一斉に枯れる話が紹介されました。
我が家にも竹の花があります。




ネット注文した際何かのオマケに付いてきたものです。今では、何を注文したか忘れましたが、そのオマケを今でも大切にとっています。

竹🎋は不思議で、中が空洞です。そして、竹はしなるけれど竹刀もあるくらいですから、非常に強いです。柔であり、また剛も兼ね備えます。

中が空であり虚であることは、柔剛を兼ねるのかなと思います。
神社の神域に竹藪が多いのも、結界の意味合いがある気がします。

そして、昨日のらんまんでは南方熊楠が出てきました。




神社がどんどん破壊されていく中、政府の暴挙を烈火のごとく批判します。神社は、大地と天の循環のエネルギーが自然の姿となって現れ、自然霊、ご眷属、目には見えない神々が確かに坐す悠久の神域だと思っています。
目先の利益のため破壊しようと政府が命令を出したころから、日本がどんどんと金欲、軍国主義、戦争へ突入したように感じます。

誰も見向きもしなかった田舎(渋谷)は、信じられないくらいの都会へと変わっていきます。それは、人のエネルギーがそうします。そんな時代が、朝ドラ、らんまんには描かれます。人々の織りなす当時のエネルギーが様々な形で感じられます。

南方熊楠は、昭和天皇との逸話が残る御方です。
昭和天皇と南方熊楠には、心と心の親交があったのだなぁと感じる和歌があります。

雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ

昭和天皇の和歌から、旧友への思いと森羅万象への思いが優しく感じられます。

南方熊楠は、粘菌の研究に熱心な御方でした。

熊楠が粘菌にひかれたのは学問的な興味ではなく、粘菌の小さな生命体を通じて、「動と静」「生と死」の表裏一体を感じ、そこに普遍的な宇宙の真理を見出したからと言われています。

熊野の地は熊楠にとって万物流転の思索を深めるのにふさわしい環境だったようです。

万太郎の出身の土佐の佐川にあります酒蔵が火落ちにより腐造を作ってしまい、潰れてしまいます。酒は神様が作ると信じられていた時代、女性は穢れているから酒蔵にさえ入ってはいけなかった時代でした。

日本酒は主に麹菌、乳酸菌、酵母菌の3種類の微生物がおり、余計な菌がはいると腐造となることが今はわかっています。

菌類の研究をして、酒の奥の深いところを藤丸さん、これからしてくれるのかもと期待です。

菌類は分解者です。


食物連鎖の最下層。この最下層の働きが無ければ、何も始まらない。土の中に坐す神様。

私の中では、勝手にですけど、榛名神社の御祭神でもあります、土の神様、ハニヤス神。
もしくは、別天津神のウマジアシカビヒコジ神です。

国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、

宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神


目に見えるもの、見えないもの様々な菌類の無形の働きを理してかった御方が南方熊楠だったのだなぁと思います。紀州という木々が生い茂る土地に現れた大地の申し子のように感じます。

また、無形の目に見えない働きによって、南方熊楠、植物学者万太郎、植物画家の野宮さんといった、植物をハートで愛する存在が繋がるのは、袖振る縁も他生の縁だなぁ、まさに内なる神々が惹きつけあい、結ぶのだなぁと感じました。

らんまん、終わりに近づいてきて、ロス間違いないなぁと、、思います。

上毛三社 榛名神社

2023-09-13 06:17:00 | 神社仏閣
妙義神社からバスで1時間くらいで榛名神社に到着です。土の神様ハニヤス神を知ってから行ってみたかった神社でした。磐座が御神体の神社です。



御祭神は、火の神様と土の神様(ハニヤス神)神話では、御夫婦です。

鳥居をくぐると、風鈴の心地よい風の音がします。


今年の夏は暑い。風鈴、鈴の音でなんだか涼しく感じられるのは不思議ですね。

こちらの神社は七福神巡りも出来ます。まずは、寿老人。

参拝ルート裏手にあります瓶子(ミスズ)の滝。
瓶子とは、神棚などに上げる胴が丸く膨らんだ酒器のことで、滝の両側にある岩の形が瓶子に似ていることから“瓶子滝”と呼ばれるようになったようです。


そして、途中から正規参拝ルートへ合流しました。双龍門背後に大きな磐座が聳え立っていました。まるで剣のようですね。




双龍門をくぐると本社は拝殿、幣殿と続くようですが、丁度大規模修繕中で白いシートがかけられていました。

しかし、シートでおおわれた建物の一番右側の奥に大岩があり、ボランティアガイドさんが彼方を見てくださいと教えてくれました。見えにくい場所でしたが御姿岩がありました。
御姿岩の胎内の中に御祭神は祀られているようです。




沢山の巨岩が至る所にありました。

大黒天


布袋さま

鯛を持った恵比寿さま


いわといわ
わーいわい









☝️こちらは歌川広重の上野榛名山雪中です。
☟この橋が描かれていますね。
雪の時期はまた荘厳な感じなのでしょうね。




近く水が流れる所に弁財天が祀られていました。





☝️こちらの矢立杉は武田信玄が戦勝祈願で矢をたてたとかいわれています。



七福神、最後に毘沙門天に気づきました。

福禄寿は、、どこだ!?気づかなかった。


次回のお楽しみに、とっておきます。

本社修繕が終わるころにまた行けるといいねと姉と話しました。


上毛三社 妙義神社

2023-09-11 05:13:00 | 神社仏閣
姉と上毛三社巡りにいきました。早朝6時半過ぎ集合場所でした。そこで、20年以上ぶりに友達にばったりあいました。お互い本当にびっくりでした。少しの時間でしたが、話が弾みました。

彼女は別ツアーの引率者をしていて、いつか、参加しようと思います。

上毛三社、妙義神社は山、榛名神社は岩、赤城神社は湖のエネルギーを感じます。

先ずは妙義神社へ出発です。

妙義山を背景に妙義神社はありました。日本三大奇景の山のひとつであり、いくつもの頂上があり最高峰はなんとまた相馬岳というそうです。

群馬上毛三社は相馬の名前と縁深い。ここまで相馬が出てくるとすると、地名というより妙見信仰に関係あるのかもと思いました。

妙見菩薩
妙見とは、妙見菩薩のことで、妙見信仰は北辰(北極星)を太一神とするものです。のちに国常立尊・天御中主神へと習合発展してきた、とありました。日本三大妙見に選ばれたのが、
能勢妙見山(大阪府能勢町
相馬中村神社(福島県相馬市)
八代神社(熊本県八代市
の3つです。

相馬の名前が多いのは、相馬妙見にちなんでいるのかもしれませんね。


妙義神社の妙は、妙見からきてるのかも。🧐



こちらの鳥居横の左手にあります三本杉の中心がパワースポットらしいです。友達が三本杉のところ先ず行ってね、手がビリビリするよってLINEしてくれました。
真ん中に立ちましたが私はビリビリしませんでした。😅

続いて大河ドラマの撮影で度々登場します急な165段の男坂を上ります。社殿右は下りで比較的緩やかな女坂があります。参拝行き帰りの階段もクルッと輪して和する感じでした。


ツアーなので最初は沢山の参拝客がいました。静かな時間を過ごしたいなと思っていましたので、人がいなくなるまでゆっくり境内にいました。

本社左手から境内の外へ出ると1本の直立の木があり、姉は、この木が気にいったようでした。姉は、ヨガ歴がながく、体内の気が巡るようなのでわかるみたいです。たしかに良いような気がしました。



気からは、樹液が出ていました。木の命を樹液からも感じました。


丁度境内をゆっくりして人が居なくなったころ、友達から2回目のLINEがはいり、本社裏に、天狗👺社があるから、妙義山の天狗さんにひとつだけお願いしてみてね、と連絡がありました。

神社でお願いはここ最近したこと無かったのですが、一つだけ、心の内にある思いを祈りました。

また、境内にある影向岩という磐座が最初に波己曽神がおりた所だからね!必見だよとも、教えてくれました。


影向岩

波己曽とは、ハコソと呼び、岩社の意味があるようです。波己曽神が降臨されたのです。実はこちらの岩、裏手がすごい良かったです。社殿も何も無い時には、こちらが祈りの対象だったようです。





友達に教えてもらわなければ、裏手にまで行って無かったですね。
姉とラッキーだねと話しました。友達は、別ツアーのガイドをやりながら、空いた時間に遠隔で私達のガイドもLINEでしてくれました。笑


愛宕社。風鈴が心地よい音色を醸します。



群馬県ではお馴染みらしい上毛カルタで

もみじに映える妙義山🍁

と呼ばれた三大奇景のひとつ妙義山。

バスで後にする際は雲が晴れていました。
あの、とんがった一番高い山が相馬岳かな?👺⛰️

早朝、奇妙な偶然で旧友と再会しスタートした妙義神社参拝。
遠隔ガイドをこの後もしてくれました。有り難かったです。





ハニヤス神

2023-09-10 05:17:00 | 神話・物語・本から

榛名神社の御祭神の一柱はハニヤス神です。榛名神社参拝記については、また後日に。


埴安神(埴山姫命・埴山彦)のハニは赤土を表す古語であり、 古墳の副葬品にある埴輪 の「ハニ」です。赤土は太古神聖視された丹土のことです。

鳥居⛩️の朱は魔除けですが、神社の創建以前は、鳥居はなく神域は磐座や山などに祈りを捧げていました。だから、赤土は日本の神社を示す鳥居⛩️文化を一つ作ったようにも思演出ます。


赤土のハニは波爾とも書き、瀬織津姫や豊玉姫など水の女神に縁深い和邇(ワニ)氏と実は関係がありました。

神功皇后の子、応神天皇が和邇(ワニ)氏の娘、矢河枝比売(🟰菟道稚郎子の母にあたる御方)との婚礼時に詠まれたという歌に、ワニが赤土として出てきます。


櫟井の和邇(ワニ)坂の土(に)を、初土は肌赤らけみしは土は丹黒きゆえ、三栗の、その中つ土を、かぶつく、真ひには当てず、眉書き、濃に書き垂れ、遇わしし女人、かもがと、我が見し子ら、かくもがと、我が見し子に、うたたけだに、向かいおるかも、い添いおるかも」

簡単にいうと、応神天皇は「こういう美しい女が欲しいと常々思っていた」という内容で、和邇氏の娘、矢河姫に惚れましたという恋歌です。

この歌にある、ワニの土(赤土🟰初めに掘った土?)や、しは土(丹黒い土🟰底の土)は、元々は魔除けに使われていたようで、人も化粧や入れ墨などに使用していたようです。ワニ氏の娘、矢河姫も使っていたのかもです。


魏志倭人伝の記述にも、倭人は入れ墨をしていたことが記されており、弥生時代には、「黥面文身(げいめんぶんしん)」という入れ墨の風俗がありました。


しかしながら、ある時から入れ墨は野蛮人がするものだと駆逐され差別されはじめます。

同様に、祭祀に使われていた銅鐸も鉄器を作るタタラ製法の到来によってなのか?姿を消します。鈴なりに鉄の生成を祈る銅鐸も、タタラで大量に作れるようになったら要らなくなったのかもですね。

これらの劇的な変化は、具体的な記録が無いの空白の古墳時代(35世紀あたり)あたりにおこります。魏志倭人伝には、「倭国には牛や馬はいない」と書かれていますが、古墳には、馬具や甲冑が沢山出ています。




大陸から鉄の生成方法たたらと共に馬ももたらされ、生活が大きく変化したのが弥生→古墳時代なのかなと考えます。

祭祀に使われていた、銅鐸や銅剣は、弥生末から古墳時代にかけて戦いに使われる鉄剣へと姿をかえたのかもです。


馬と鉄剣は強いもの勝ちの時代の到来を表しているのかもしれません。

ハニヤス神は土の神様。農業の神様でもあります。土偶は縄文時代の土製の人形です。 女の人の形をしているとか言われています。



埴輪は、古墳時代の副葬品。素焼きの土器で,人,家,動物、刀の形などをしています。



縄文弥生古墳時代。これは、戦いのない和の時代から競争や戦い、差別が生まれる時代へ変わります。


イザナギとイザナミによる神産みより様々な自然物の神々を誕生させる過程で、イザナミは火の神を生む際に大火傷をしてしまい、死に至ります。

イザナミはその死の間際の苦しみのなか、吐瀉物からは鉱山の神カナヤマヒコ、大便からは土の神ハニヤス、小便からは水の神ミヅハノメ生みます。


この神話の暗喩、火の神の出産を「タタラの到来」と考えると、それにより、砂鉄を得るため鉱山(カナヤマヒコ)が切り崩され、土砂崩れが起き(ハニヤス)や洪水(ミヅハノメ)がおき、イザナミ(大地の母、自然)が命尽きたと置き換えられる気がしました。


自然に祈り、祭祀をし、精神に重きをおく社会から、物質至上主義社会へ変わったことや、

また、祭祀をしていた女性が虐げられ男性優位社会に変わり、また、都合の悪いことは隠蔽され強いもの勝ちの社会へ変わっていったことも暗示しているのかも、、です。


少し妄想膨らみすぎました。。

神話は深くて面白いですね。今日はこのへんで😅👋