大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

相馬とふいご

2023-09-07 06:15:00 | 神話・物語・本から

福島は東北の玄関口のような土地。また、海に面する浜通りは記憶に深く残る原子力発電所の爆発事故がありました。


太古の時代は蝦夷の土地だったのかなと思います。蝦夷はアラハバキ信仰があり、福島にもアラハバキ神社があります。

 

福島の海沿いの町、相馬には縁があり、何度か足を運んだことがあります。相馬の中村神社は、妙見信仰を信じた平将門の創建です。

馬を神様に奉納していたのを、後に絵馬に変えたわけですが、その起源は、相馬中村神社からであり、

相馬野馬追のお祭りは馬に甲冑を着た武士姿の人々が町をとおり、その圧巻のお祭りが繰り広げられます。

 

戦国武将を思わせる、燃えるような熱い男性的なお祭りです。

この福島県の浜通りでは200カ所以上の製鉄遺跡が発見されており、その多くが相馬市・南相馬市・相馬郡新地町に集中しているようです。


相馬の向田遺跡からは7世紀と推定される製鉄遺跡が出土しており、東北地方最古の製鉄炉のようです。今でも、相馬の海沿いはエネルギー関連の施設が沢山あります。

 

もののけ姫には「たたら場」と呼ばれる製鉄所が登場し踏みふいごが使われるシーンがでてきます。



数人が「ふいご」を足で踏んで炉に空気を送ります。ふいご  鞴、吹子とも書き、「吹く」とは金属の精錬のことです。

 

紀元前1500年ごろのエジプト王の墓標にもすでに皮袋型のふいごが刻まれているようです。世界各地で、ふいごを使い始めてから、人類の金属文化は飛躍的に前進します。



相馬では、8世紀後半になると向田遺跡から竪型炉が出土し、その送風装置に「もののけ姫」にも出てくる踏みふいごが使われていました。

相馬市の猪又遺跡からは踏みふいごが箱形炉にも応用されていることが確認されています。

踏みふいごに関しては現時点では相馬地方の遺跡が日本最古級と考えらており、この踏みふいごを「たたら」と呼んでいます。


つまり、日本で最初にたたら製鉄が実用化された場所が相馬地方ではないかと考えられているのです。


天龍神社という神社の鳥居から沢山の馬がものすごい勢い走り出す夢😴をみたことがあります。不思議な夢でした。相馬のたたらの火のエネルギーのようなそんな夢だったなあと今は思います。


先日、すずなりの話を書きました。

空白の古墳時代、弥生時代の青銅器が姿を消して鉄器へと移行しますが、鉄の生成も初期は自然の力にゆだねていたのでした。

葦にゆっくりと鉄分がついてできた錫の話がありました。神社に鈴が奉納されるのも、そんな起源があるのだなあと思うと、とても深いなと思いました。


また、銅鐸の起源は韓国の貴族が双馬馬車につけていた鈴だそうです。相馬と双馬。

偶然にしては不思議だなと思います。福島の海岸は、エネルギーの強い鉱物資源と関係が深い気がします。そして、現代では原子力発電の事故、、、。

日本神話では、製鉄の神がでてきます。『日本書紀』の天岩戸の条に、シカの皮で「天羽鞴(あめのはぶき)をつくったことが書かれています。「はぶき」に鞴(ふいご)の漢字が当てられています。

「あめのはぶき」というのを見たときに、スサノオが八岐大蛇退治の時に使った剣、天羽々斬剣(あめのはばきり)と響きが酷似していると思いました。この鉄剣は韓鋤の別名があります。これらの言葉のカラクリは、空白の古墳時代に隠されたものを語るように思います。

つづく


タタラについて

2023-08-31 06:14:00 | 神話・物語・本から

タタラ製鉄の続きです。


三輪山を御神体とします大神神社の境内には狭井神社(さいじんじゃ)がありました。







この「狭井」は、鉄の古語「サヒ」から来ているようで、鉄に関連がある神社です。


サヒは、記紀神話にさいもちかみ(鋤持神)として出てきます。刀剣の意味があるようです。


サヒモチの神が出てくる場面。


海幸山幸の段で、火遠理命(山幸彦)を綿津見神の宮(龍宮)から上つ国(地上の国)に送った一尋わにがいます。


綿津見大神が招集した全てのわにの中で、一尋わには「一日で送って帰ってこれる」と言い選ばれ、頸に火遠理命を載せて、約束通り一日で送りました。

わにが帰路に就こうとした時、火遠理命が自分の身につけていた紐小刀をわにの首につけて送り返したので、佐比持の神と呼ばれるようになりました。


(ワニは、海人族のワニ氏の暗喩かなと思っています。豊玉姫や玉依姫にも関係が深いです。)


また、ウガヤフキアエズと海神の娘玉依姫との間に生まれた子(神武天皇の兄)の稲飯命は東征の際神武天皇に従いますが、熊野で暴風に遭い、「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、「鋤持(さいもち)の神」になったあります。その後、新羅の王となった話もあります。


この新羅については、 『日本書紀』によれば、「スサノオ」は新羅の「ソモリ(牛頭)」に天下りした後、出雲の奥地の「鳥髪(とりかみ)」に来たとあります。


奥出雲にある鳥髪の峰は船通山と呼ばれ、山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があるようです。



写真はお借りしました。

また、神武天皇の祖母は豊玉姫(海神の娘、玉依姫の姉)です。その豊玉姫に因んで大分の祖母山は名付けられたと言われています。しかし、もとは、古代朝鮮語のソホリ山あるいはソウリ山だったようです。ソホリと、ソモリ(牛頭)は響きが似ています。

古代朝鮮語では、ソンは船🚢を表しているようです。また、ソモリは牛🐃とセモリは鳥🪿みたいです。ソ🟰セとも言われており、またモリ🟰頭、髪です。
つまり、牛頭🟰鳥髪といえます。
船通山が鳥髪の峰。そこにスサノオ(別名、牛頭天皇)が船で降り立ち、天叢雲剣出顕の地としたとすると、地名に込められた言葉の裏は興味深いです。


サイは、ワニの鋭い歯をサイ(刃物の意)に見立てたところからの名づけたという話や、隠岐島方言では、サメをワニということから、サヒがサメとなり、サヒ🟰サメ🟰ワニ🟰刀剣とも考えられています。


これらのことから、サヒはサイ、狭井神社(サイ神社)は、鉄剣、スサノオ(の剣)やワニ氏と関係があるのではないかなと思いました。


狭井神社のご祭神は、大神荒魂(おおみわあらみたま)、大物主、ヒメタタライスズ姫、セヤタタラ姫、事代主(大国主の息子)です。

そして二柱の姫の名は「タタラ」(製鉄炉)を含みます。「狭井」は、鉄の古語「サヒ」から来ているとすると、サヒ神社は鉄神社です。


神武天皇は長髄彦との決戦に勝ち、その後ヒメタタライスズ姫と結婚します。


より強い「鉄の力」を得たということを意味しているのかもしれません。そこには、より強度の高い鉄をつくる製鉄方法、タタラも関係があるように思いました。




鈴なりとタタラ製鉄

2023-08-28 07:02:00 | 神話・物語・本から

前回鈴なりについて書きました。


すずなり【鈴生・鈴成】とは、

 (形動果実が、神楽鈴(かぐらすず)のように、房となってたくさん群がってなること。 果実などが実って木にいっぱいついていること。 また、そのさま。 

 (形動一般に、多くのものが一か所にぶらさがっていること。


のようです。この鈴🛎️が製鉄と関係があったとは意外でした。


製鉄は、大陸から持ち込まれるよりも以前、太古の昔からその製法はあったようです。


「みすずかる」は「信濃」にかかる万葉集の枕詞のようですが、貴重な鉄の原料である「すず」が信濃(長野県)からとれたのです。出雲の国譲りのタケミナカタ神が逃れた地です。


出雲はタタラ製鉄が盛んに行われていたイメージがあります。タタラ製鉄の技法は大陸から持ち込まれましたが、それ以前においても、もしかしたら、出雲は、製鉄においても信濃と同じく太古の技法をしていたのではないか?と考えます。


太古の技法は、鉄の生成を自然に委ねています。


記紀神話に出てくる、豊「葦原」瑞穂の国。この中の葦は水辺に生える草です。古代より製鉄の原料だったスズは、湿地帯に生える植物、葦や茅,薦等の根に、ある種の鉄鉱石である褐鉄鉱が付着して塊となったものでした。


鉄分を多く含む水の葦原では、鉄細菌が葦(あし)、茅(かや)、薦(こも)などの茎に付着し、それらが腐敗するにともない有機物を取り込みます。

そうして、水中の鉄イオンが酸化しエネルギーを獲得し褐鉄鉱が植物の周りに自然に沈積したのです。

褐鉄鉱の中が空洞になると同時に小さな塊が残り、振ると音がします。それがチリンチリンと鈴のようになったようです。


太古そうしてできた鉄は自然の産物ですから、出来るのに数十年かかったのです。出雲には沢山銅鐸が出土しています。銅鐸の埋められた地は、水が湧く泉のある場所であるようです。青銅器(クスミ)の銅鐸を土に埋めて、鉄の生成が早まるように祈っていたのではないかというのです。





そもそも、石器→青銅器→鉄器時代へと人類は移行します。

石器から銅へ、銅から青銅器へ、青銅器から鉄へ、それは人々が文明を築くきっかけとなりました。まさに、スズナリの発展。


祈りと共にあった自然の産物、鉄は、やがて、陸からの帰化系技術者(韓鍛治)の渡来により飛躍的に生産を増大させます。砂鉄を採取することを知ったからです。タタラ製鉄です。


東北に特に残るアラハバキ信仰は、殆どが鉄鉱石が御神体です。自然の中で鉄がうまれる神秘を太古の人は尊んだのか、もしくはタタラ製鉄と関係があるのか。朝廷と対立した蝦夷。蝦夷と鉄の関係。タタラの地と鬼伝説。長髄彦一族が逃れた地。東北。これらはスズナリに繋がります。鉄の意味するものが隠された歴史にとても大きい気がします。


弥生時代は終焉し古墳時代となりますが、古墳時代の文化は鉄器によって作られます。古墳時代は空白の時代。書物などが残っておらず大陸の書物などからしか日本の様子を窺い知ることはできません。


しかし、日本の古墳の数はコンビニより多く、それだけ権力をもった人が生まれたことをものがたります。


自然を大きく破壊しながら沢山の鉄をうむタタラ製鉄、自然が作り出す褐鉄鉱から磁鉄鉱へと変わっていく過程で、酸化しやすい褐鉄鉱で作られた鉄器は姿を消し、タタラ製鉄で作られた磁鉄鉱による鉄は今なお何かを物語っている気がします。より強い鉄を持っ者が富と権力と結びつきます。


おそらく、当初、出雲やヤマトで灌漑など水の氾濫を防ぎ、鉄製農具をもたらし、人々の暮らしを守ったのが、八岐大蛇(水の氾濫)をおさめた、スサノオ饒速日命だったのではないかなぁと思ったりします。そして、その後国譲り。


富雄丸山古墳からでた、最大の長さの鉄剣。埋葬者への研究は、何かのベールを開くのでしょうか。






鉄ひとつとっても、自然からの生成をじっと祈りをこめて待つ姿勢から、山を切り崩す自然破壊を伴うタタラ製鉄により大量のものを作る姿勢へ変わっていきます。


製鉄のプラスの側面とマイナスの側面のバランスが崩れてくる、または、自然の痛みに無関心になっていったのかもしれません。


どこか、人の支配欲、権力、物欲は自然と対極にあり、自然から切り離されていく過程が鉄に関する古代史にもみえてきます。


丁度良い塩梅でチリンチリンと鈴がなり、そこまででストップ!と人の欲をとめてくれるとよいのですが、なかなか、欲に塗れてしまうとバランスの「中」をとるのは難しいのかもですね。



【画像はお借りしています。】


能 「熊野(ゆや)」

2023-08-07 06:04:00 | 神話・物語・本から

昨日、九重は中国由来の道教との関係があると紹介しましたが、地名では熊野川九重や、大分の山々九重連山が九重繋がりでしたので、今日は熊野の命名について、中国神話との関係があるかもということを書いてみたいと思います。これは、私の勝手な推測なので確かではありません。


日本伝統芸能の能の一つに「湯谷」(ゆや)というものがあり、これは「熊野」と書き、これで「ゆや」と読みます。


太陽樹・扶桑のある所を湯谷(ようこく)と言います。


太陽がかつて十あったという中国神話があり、それを射ってひとつにした射日神話がありました。(扶桑と9つの太陽 中国の神話より


湯の湧く谷の上に扶桑があり、扶桑は10個の太陽が湯浴みをするところでした。水の中に大木があって、9個の太陽は下の枝にあり、上の枝には1個の太陽が今にも姿を現そうとしている
『山海経 』-「海外東経」より

山の上に扶木がある。高さは300里、その葉は芥菜(からしな)のようである。そこにある谷は湯谷(湯のある谷)といい、上に扶木がある。

1個の太陽がやって来ると、1個の太陽が出ていく。太陽はみな烏を載せている。

「大荒東経」より






この烏が、八咫烏ですね。

熊野の三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名です。熊野を、ユヤ🟰湯谷とよむことから、このお話の起源は中国神話に見出せます。木の生い茂る熊野(ゆや)は扶桑なのかもしれません。




扶桑は日本にあるとあります。

また、先日富士山に登拝しましたが、そこでも扶桑を目にしました。(後日記載予定。)



熊野と「金烏」(きんう:三本足のカラスであり太陽のこと)ですが、八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰され、また、太陽の化身ともされています。


 熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。 神使 。日本の神、悪霊、精霊などの神霊の出現前に現れる霊的存在の総称である。名称は主神の先鋒を意味する「御先」(みさき)に由来する。)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルです。


能の演目の中に、「熊野」とも書き、これで「ゆや」と読むものがあるとしり、早速youtube で見てみました。


能らしい能として、とても人気で、古来「熊野松風に米の飯」(『熊野』(ゆや)と『松風』は、米飯と同じく何度観ても飽きず、王道である、の意)と賞賛されてきたようです。


ご紹介します。☟




神珠の霊光と九重天

2023-08-06 07:01:00 | 神話・物語・本から
昨日の続きです。
津野山出身の禅僧義堂周信が、その書『空華集』に、廣田神社の宝物である珠剣を「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」と称賛しているとありました。


「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」漢字から推測するに、

「霊光夜射九重天」は、霊なる光は、夜、九重の天を射ると読めます。

また、

「竜女神珠不直銭」は、龍女が持つ神の珠は、銭(お金)ではない、、と読めるかな。

神珠は、剣珠や如意宝珠のことだと思われます。如意宝珠はこころそのまま宝の珠。心🟰宝珠と思われます。




心の清らかさしか、天には響かない、と私は感じました。お金?そんなものは天には無価値。心が珠であれば剣🗡️となり天に届く、轟くのかも。

九重天とは、

 天の最も高い所。九天。

また、九重とは

 いくえにも重なること。「錦衣―」

 宮中。宮廷。ここのえ。

とありました。

日本語は不思議です。九重と宮中。言霊の響きがにています。道教の教えか、道の教えが皇室の伝統の中に残っている気もしています。皇室は神道ですから、神の道ですね。


九天は道教が考える神々が住む空間であり、それに応じて魅力的な神々が住んでいるようです。

1. 九天

中国の伝統では、空には九つの天があると言われており、九中天の「九」という文字は、単数の中で最大の数であるため「限界」を意味します。


中国で、天を九つの方位に分けた称で、「淮南子」天文訓によれば、
鈞天(中)、蒼天(東方)、昊天(こうてん)(西方)、炎天(南方)、玄天(北方)、変天(東北方)、幽天(西北方)、朱天(西南方)、陽天(東南方)をいうとあります。
九重天とは、天国がたくさんあるという意味のようです。
道教の理論によると、真の元の初めからの3つの気は空を形成するために使用され、上流は3つの清らかな3つの領域です。
つまり、三清の気は、それぞれが三つの気を生み出し、それが総合されて九つの気となり、九天を形成します。
とありました。

日本で、九重というと地名としては熊野川九重が、和歌山県新宮市にあります。

熊野三山のひとつである熊野速玉大社や、巨大な磐座のある神倉神社がある場所です。


山の名前でいうと九重山があり、大分県玖珠九重町と竹田市久住の境界に位置する山々の総称です。



久住神社の御祭神も健男霜凝日子神


竹田市では2泊宿泊をして、近くの祖母山に登りました。素晴らしい地でした。健男霜凝日子神をお祀りする頂上は天国でした。


いつものことながら、またワカメが海中を漂い始めました。




頭がワケワカメ ユラユラ