大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

大善

2023-04-23 06:14:00 | ひとりごと

暫くブログをお休みしておりました。

自身を振り返る良き時間となりました。


大善人へ身魂磨き

この大善人は、ブログをはじめる前に、

夢で見せられた文字でした。


大善って何かというタイトルの意味すら

わかっていなかったように思います。


当時、くよくよしたり、腹をたてたり、

悩んだり、善人とは程遠い自分の

目標でもありました。


心の平静を保つ大切さを今は感じます。


善は悪との対比で語られるけれど、

そもそも、善悪という相対の世界での

善は、大善ではない気がしています。


独りよがりの善もあれば、

悪に見えて善だってあり


それでは、善とは

簡単に言葉にすることは難しいですが


主なる神様の視点からみて「善」なら

善なのかな、、と単純に今は思います。


だから、人が決めるものではないのかも

なんて思います。


それでは、神様からみて善なることは何か


なかなか難しいです。沢山あると思いますが


ただ、これは答えのひとつかなと

思えることは、ひとりひとりが

神様から与えられた「天命」を果たす事。

それは、大善かなと思います。


それでは、

天命を知ることがまずは大切です。

「50にして天命を知る」

孔子の御言葉です。


この世は、相対世界や陰陽の世界だから、

悲しいこと、嫌なこと、起こりますし、

また、

嬉しいこと、楽しいことも、起こります。


与えられた環境で、

主なる神様から与えられた天命に気付き

いかなる環境をも受けいれ

肉体という器を大切に使いながら

主なる神と通じる

ヒトの内なる部分を保持し、

外に顕すという事が、

大善かも、、、なんて今は考えます。


大善は、今与えられた環境の中で、

天命に通じ各人の内にある御魂が

喜ぶ生き方をすること、


それは、相対や陰陽といった世界を

超越した主なる神様が各人に望むことで

ヒトが陰陽、相対する世界に

生を与えられた理由かなと思います。


嬉しくて楽しい時、絶好調で良い時は、

身魂はそのままで輝いているかもです。


しかし、そうではない時、

苦しい時、辛い時、

独りになり自分を鎮め、

内にある大切な御魂を曇らせないように

守りきってこそ


その人の真価は洗われ、


身魂は摩擦によりさらに磨かれるような

そんな気もしています。


御魂が曇ると、

天命を知ることもないのかもしれません

そんな時は独りの時間を大切にして

気を鎮めます。


大善人への道を、身魂磨きしながら

生かされた時間を、自分なりに

大切に生きたいなと思いました。