昨日の続きです。神武東征の途中、古事記の伝承の常世ではなく、おそらく九州に帰ったであろう三毛入野(みけいりの)命の裔について、時代は室町時代まで飛びますが、興味深い話があります。
福岡県に賀茂神社があり、そこは、1346年に西征将軍懐良親王が領主三毛入野命の裔山北四郎永高に命じて、九州鎮護のために、山城国愛宕郡賀茂下上大神宮を勧請されたのが創始である。
とのこと。
三毛入野命が賀茂族と結婚したとしたら、末裔は、賀茂の神を九州で守り続けていた事が伺えます。
懐良親王は、後醍醐天皇の息子です。初代天皇の兄三毛入野命の末裔に命じて、賀茂の神を九州鎮護の為に祀っています。
九州でも、八咫烏の賀茂氏は、神武天皇を導いただけでなく、室町時代、天皇家が正統性を主張して真っ二つにわかれて南北朝となったときに、南朝側の天皇家を支えています。
懐良親王は、九州の賀茂神社の御祭神の一柱としてお祀りされていらっしゃるようです。
1381年南北朝時代、懐良親王が、明に対して送った国書が残っているようで、倭国に恭順を求めてきた明に、それを拒否した事を明が責めたのに対しての返書です。その国書は、不遜とのことで明を激怒させたみたいですが、なかなかの書でした。
簡単にいうと、明に対して
そもそも天下とは、すなわち天下の天下であり、一人の天下ではありませんよ。
自分は遠く弱い倭国にいるけれども足るを知っていますよ。中華は大きくて強いのに、なお足るを知らず、常に他を滅ぼし絶やすことを考えていますね 。
さて、天に殺機を発すれば星宿が移ります。地に殺機を発すれば龍と蛇が陸を走ります。人に殺機を発すれば天下はひっくり返りますよ。
孔子・孟子の道徳のような文章もあり、武を論ずるなら孫武・呉起の韜略のような兵法がありますね。
こちらには、水をたたえた沢があり、山と海に囲まれた国土は、自ら防備を整えているのに、どうして路上に跪くことを進んで受け入れるでしょうか?
従順でも必ず生き残れるわけではありませんし、逆らっても必ず死ぬわけではありませんからね。
もしあなたが勝利してもしばらくは嬉しいかもですが、臣下が勝利してあなたの方が負ければ、むしろ小国により恥をさらすことになるでしょうよ。
昔から和議を講じることを上策とし、戦争を避けることを強いといったのは、人民を塗炭の苦しみから逃れさせ、艱難から救うためです。
以上
懐良親王の挑発的な返信を受けた太祖は激怒して日本を攻めようとしたようですが、元寇の失敗を反面教師として断念したといわれています。
足を知るは、老子様のお言葉です。
役小角の言葉に、六韜 (中国古典兵法書) からの似た言葉があります。それがこちら。
天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の天下なり。民に取るなき者は、民を取る者なり、民を取るなき者は、民これを利す。国を取るなき者は、国これを利す。天下を取るなき者は、天下これを利す。
老子様も同じようなことを道徳経で仰っています。
役小角は賀茂の民です。時代は変われど九州で君子たる道を幼き懐良親王は賀茂と三毛入命の末裔から学んだのかもしれませんね。
天皇のそばで黒子となり導く八咫烏は賀茂一族の象徴ですが、天下を我が物としないことを根底に、民を大切に思う懐良親王のお言葉に役小角の言葉と同じものを感じます。
懐良親王は、後醍醐天皇皇子の中でも、際立った軍事的才能を持ち、一代で領地無しから九州統一に迫るほどの覇業を築いた名将です。外交上は明の日本国王として良懐を名乗っています。
この国書を読むと、中国のいにしえを例えて、良き学びを懐まで入れて、中国に怯まず交渉する極めて巧みな人物像が浮かびあがります。
明の王は、あなたの祖先はすばらしかった、、、、と過去形でいわれたニュアンスです。
ところで、南北朝時代といえば、天皇家が二つにわれ自分こそが正統だとあらそった時代。父、後醍醐天皇は隠岐に流されたりします。
その息子懐良は、わずか十歳にして征西将軍に任じられ、伊予に数年滞在の後、九州に上陸します。
以後十余年、九州菊池一族と結託し筑紫をほぼ制圧しますが、その後、菊池一族の将を相次いで失い、やがて肥後の菊池に撤退を余儀なくされ、筑後八女郡矢部で薨去。五十余歳とされています。
この菊池一族の末裔には西郷隆盛がいます。
数奇な星の元にうまれた幼い懐良親王を守った菊池一族、その末裔は明治時代の薩摩の豪傑、尊王派のせごどん。今は政教分離ですが、昔から九州は政治的にも天皇家と深く関わりがあるように思いました。
ちなみに、懐良親王の残された和歌があります。
日にそへてのがれんとのみ思ふ身にいとどうき世のことしげきかな
【通釈】日増しに世を遁れようとばかり思う我が身に、ますます俗事が押し寄せてくることです。
しるやいかによを秋風の吹くからに露もとまらぬわが心かな(李花集)
【通釈】知っておられますかどうか。憂き世に秋風が吹くにつけ、私の心にも世を厭う思いが募り、露が草木からたやすく落ちるように、いささかも執着なく現世を離れようとする我が心ですことよ。
明に送った国書には見えない脆さを感じます。争いや、重責が生まれながら絡む人生とは、苦しみも多かったと思います。
幼くして親と別れ、人生に翻弄されたひとりの人物像として、切ない気持ちも感じる和歌ですね。
争いに翻弄されるのも、人が我こそ正義と争うが故、何回も繰り返し、何世も繰り返し、やり直しのためのチャンスに巡り会うも、争い、また、むなしさを胸に死にゆくのは悲しいですね。
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