埼玉県の一ノ宮は大宮氷川神社ですが、古来より一ノ宮氷川神社は三社あったといわれていて、中山神社(中氷川神社)と氷川女体神社を加えた三社が一ノ宮氷川神社と伝えられているようです。
この三社は、昔は見沼の地だった所に一直線に並んでいるようです。
見沼 氷川神社検索画像より
氷川神社のご神紋、雲が幾重も重なって見沼の水草もあしらわれています。
氷川神社の参拝が終わって大宮駅までもどり、バスに乗って中山神社にむかいました。
この神社は、簸王子社とも呼ばれています。簸は、簸の川=斐伊川(八岐大蛇伝説)の地。
大宮氷川神社(男体社)、氷川女體神社(女体社)を直線で結ぶ中間地点に鎮座し、かつて三社で見沼を神池とした広大な神域を持つひとつの神社を構成していたとする説があるようです。
この中間地、中山神社は素戔嗚尊(大宮氷川神社)と奇稲田姫(氷川女體神社)のお子様とも。
御祭神
大己貴命・素盞嗚尊・稲田姫命です
筆頭の祭神は大己貴命とされています。
大己貴命(おおなむちのみこと) - 大国主命の別名。
創建は、崇神天皇の時代(紀元前96年)と伝えられ、氷川女体神社と同年代の創建のようです。古い!
ひっそりとした神社でした。鳥居を入ってすぐ右手に荒脛社がすぐありました。氷川3社の中で、中山神社だけは荒脛神の名前をそのままお祀りしている神社です。
氷川神社では、門客人神社と名前をかえ、端っこにありスミっこに置かれているイメージがしました。中山神社では鳥居をはいるとすぐありましたので、祓戸の神のようなイメージがしました。
参拝後ふと見ると荒脛社の社殿を新しくしたいとのことで一口1000円、3000円からと貼り紙がありました。
こちらへ!
〒337-0043
埼玉県さいたま市見沼区中川143
中山神社
048-686-3567
そして、境内少し先に、八社合祀殿には
神明社・飯成社・淡嶋社・疱瘡守護社・磐社・石上社・竈神社・稲田宮主社が合わせて祀られていました。
社伝には鎮火祭の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったと記されているようです。竈神もありましたし、確かに、火の神様を祀っていました。火のお祀りもあるようです。
拝殿で参拝後、宮司さんと偶然お話しすることができました。宮司さんは腰が低くて、優しさが滲み出ている御方でした。本当にこの地の神様をお守りしたい思いが強く感じられました。
宮司さんと荒脛神について話しました。私はアラハバキ神の存在を最近まで知らなかったけれど、知ったら気の毒に感じてしまって、参拝にきた事を話しました。宮司さんも、荒脛神様には複雑なお気持ちがあるようでした。
太古からいらっしゃる神様なのに、スミでぬられたような扱いで、門客人神と名前を変えられたり。
神様の世界のことを最近はブログなんかで見て参拝する方もいたり、出雲経由で知るかた、様々ですが、全て縁があり繋がるという趣旨の話もしてくださいました。
本来なら参道は真っ直ぐあったのに、県道が走って参道が分断されたこと。
確かにバス停からおりて、変な感じに急に参道がはじまっていたのに、気づかず一ノ鳥居を通らずに参拝してしまいました。帰って調べると、真っ直ぐな参道の真ん中が県道で真っ二つに寸断されていました。
中山神社検索画像より
宮司さんのお話しだと、氏子も60名と少ない中、こうして遠方からの参拝を有難いと言ってくださいました。遠方といっても、関東圏ですから大した事ないですが。
江戸時代からの荒脛神の社殿をなんとか頑張って新しいものにしようと努力していると宮司さんがおっしゃっていました。
神は人の敬により威を増す。
古代は見沼の地であり、3社はそれなりに強いエネルギーがあるからこうして太古から祀られています。埋め立てられたり、時代の変遷はありますが、古社を守りますので、またおいでてくださいといった内容のお話しをしてくださいました。
神職のお方がこのようにしみじみ話してくださり、私にとっては有り難い経験でした。私も力になりたいと思いました。
つづく
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