
秦氏というのは、超古代の渡来人にして、日本の土着の民と和合し、機織るように溶けこみ、養蚕などの技術を持ち込み大和の人となって、大和を導いていった一族のようです。
昨日も使った漫画、秦氏についてです!


三柱鳥居は、実は、吉備津彦神社の磯良を調べている時にも目にしていました。

福岡県にも、三柱鳥居があります。この三柱鳥居の下には「磯良恵比須」という鱗状の岩(御神体)が水の下にあり、阿曇磯良のご神体と伝わる不思議な石のようです。
また、社家文書には阿曇宿禰磯良について、「神功御共シテ朝鮮二渡ス」とあって、「諡号」を「戎比古命」といったことが記録されているみたい。戎は、エビスヒコ様です。エビス様は日の出の神様。

幸せを呼ぶ十日戎
また、阿曇磯良は、信濃の安曇氏の祖神とされており、神楽に誘われて海中より現れ、古代の女帝神功皇后に竜宮の珠を与えたという中世の伝説もあります。

吉備津の磯良のお名前は阿曇磯良の、磯良つながりかな。吉備津(現在の岡山県)に伝わる桃太郎伝説の鬼も、海を渡ってきて住んでいた民を退治した話だと、違った視点で見ることができそうです。
阿曇氏は、海神であるワタツミ神(海の神様)の子、宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)の子、穂高見命の子と記紀ではされています。九州福岡からのち信濃の安曇連や穂高氏となります。
阿曇の曇(クモ)は、安曇だけでなく、出雲、八雲、土蜘蛛などと、神話では、出雲の国譲りだけでなく、信濃ではタケミナカタ神が諏訪から出ないと約束させたり、九州では土蜘蛛征伐と、まつろわぬ勢力として、無茶苦茶に書かれた勢力がいましたけれど、クモで繋がるのかなぁと思っています。
漫画にあります、京都の太秦(うずまさ)という地名は、渡来人の秦氏(秦酒公)が絹を「うず高く積んだ」ことからきた地名のようです。
京都最古の寺、広隆寺は秦氏の氏寺であり国宝の木造弥勒菩薩半跏像を安置した京都最古の寺です。




楽しいですね❀.(*´▽`*)❀.
こういう話を直接会って聞いてみたい気持ちになりました。
昨日のヤタガラスもなかなかの興味津々でした🥰
マニアな私に、このように言ってくださるネイロさんは、優しすぎる。。。
神社の神様や神話を調べるとき、楽しいので、私は私をこうして楽しませてます。笑。
このブログはマニアな私の趣味の場です。
そこに、優しい風のようなコメントありがとうございました。感謝。