淡路島のフェリー乗り場の近くに沼島八幡宮がありました。
こちらの看板に、植物学者の牧野富太郎と、シーボルトの名前がありました。
キリスト教の影響をおそれ、日本が江戸時代に鎖国をして次々と欧州との国交を断絶した中、オランダは出島で交易が認められた稀有な国です。
幕末、鳴滝塾を作って医学の発展に貢献し、高野長英などに医学を教えたシーボルトの出身大学であるライデン大学は、オランダ最古の大学です。シーボルトとの縁から、非常にその後も日本と縁が深く、日本語学科があり、オランダの学生は日本語を2年くらい勉強したら流暢に喋るようです。
ライデン大学
シーボルトは医学だけでなく植物をこよなく愛し、シーボルトが持ち帰った日本の植物が今でも残っているほか、ライデン大学には日本庭園も設けられているようです。
シーボルトは日本で多くの植物を収集し、ヨーロッパに持ち帰って広めることで西洋の植物学に貢献します。
植物学の貢献でいえば、高知出身の牧野富太郎博士もしかりです。
朝ドラ、らんまんは高知出身の植物学者、牧野富太郎の生涯が描かれます。神木隆之介さんの名演技もあってか、大変人気のようですね。
この、牧野富太郎とシーボルトは、同じ時代に、植物をこよなく愛した学者です。シーボルトは日本で多くの植物を収集しヨーロッパに持ち帰って広めました。
牧野富太郎博士は日本の植物に焦点を合わせ、植物学の研究を行いました。
しかし、牧野富太郎博士はシーボルトに烈火の如く怒りを表した話しが残っているようです。
それは、紫陽花の名付けに関する話です。
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シーボルトは、日本に滞在した6年の間に、出島の遊女で日本妻「お滝さん」こと楠本滝と恋に落ちます。帰国後、日本での研究結果をまとめた『日本植物誌』を彼は発表しますが、その中で、愛するお滝さんの名を用いて、紫陽花の学名を「Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini」と名付けたようです。
紫陽花の学名「オタクサ」の由来となった楠本滝との間に産まれた娘イネは、父のあとを継ぐかのように後に医師となり、主に産科女医として活躍しています。この当時の女性では珍しいですね。
楠本イネ 美しい方ですね。
紫陽花に、離れ離れになっても愛する女性を思い名付けるシーボルト。国外追放となっても日本の妻と娘のことを愛していたのでしょうね。
これに対して、日本の植物学の父、牧野富太郎は、個人的な恋情を神聖な植物の名に冠したことが許せなかったようです。
植物は神同然。一個人の私情を挟むな!ということでしょうか。困窮を極めながらも、植物研究を貫いた牧野富太郎博士の植物への真っ直ぐな純粋さも伝わります。
当時は犬猿の仲なのかもですが、こうして沼島の看板に西洋と東洋の有名な植物学者の名前がそろって記されているのも、
植物を愛する心は共に神社の森で溶け合っているのかもですね。日本は和の国。
宮の裏手の森。こちらの森の植物が貴重なのですね。☟
宮の裏手の森
参道脇には、なんと、紫陽花が。
沼島の港を一望します。
龍
沼島から土生にフェリーでもどります。土生港の海辺にて。
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