こちらには赤城姫伝説が伝わります。
今から約1600年前の古墳時代、日本は「倭」と呼ばれていました。朝鮮半島からの渡来人により、鉄器や須恵器、機織り、土木技術など様々な技術や文化が伝えられていた時代の話、赤城姫伝説は長く人々に語り継がれます。
高野辺大将家成という公家が、ある時、無実の罪で山里に流されてしまいました。しかし、そこで妻をめとり若君一人、姫君三人に恵まれ幸せに暮らしていました。
月日は経ち、成人した息子は、母方の祖父を頼って、遠く離れた都へ上り仕官し、三人の姫たちは両親と共に暮らしていました。
3人の姫たちは、淵名姫・赤城姫・伊香保姫です。とても美しい姫でした。しかし、3人が十一歳、九歳、七歳の時に、母君が38歳の若さで亡くなってしまい、父家成は、その年の秋に後妻を迎えたことから、悲劇が始まります。
父家成は無実の罪が晴れ、上野国司に任命され、三人の娘たちを残し任地に旅立ちます。3人は、それぞれの乳母の元で成長します。
しかし、継母は、美しく成長した三人の娘を疎ましく思うようになりました。弟の兼光をそそのかして3姉妹の殺害を計画するのです。
兼光は、まず姉姫である淵名姫を、利根川の倍屋ヶ淵に沈めて殺してしまいました。
次女の赤城姫も追われ、乳母と共に赤城山に逃げ込みます。しかし、飲まず食わずの山の中で何日も過ぎました。
「山の護法神、木々の神々よ、私たちの命をお召しください。」
と赤城姫は必死に願います。とうとう乳母が力尽き一人になってしまった姫は
「どうか早く私もお連れ下さい」
と祈りました。
すると、赤城の沼の龍神(女神)が現れ
「この世は命はかなく夢、幻のようであります。竜宮城という素晴らしい所に姫を案内します。」
と龍神と共に赤城姫を連れて沼に沈んでいきました。姫はその後、龍神を継いで、赤城大明神となりました。
末子の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られなんとか生きながらえることができました。
事件を知った父の家成は、慌てて戻ります。しかし時すでに遅く、淵名姫の亡くなった淵で神となった淵名姫と再会し、悲しみのあまりこの淵に入水してしまいます。
都で出世していた息子は、この知らせを聞き軍勢を率いて戻り、兼光を殺し、継母を捕らえますが、仮にも一時は母であったという理由で、殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放しました。
信濃へ戻った継母は、甥を頼りますが、甥に捨てられ死んでしまいます。この、甥が叔母である継母を捨てた山が、姥捨山と言われています。事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に淵名明神の社を立てます。
その後、大沼の畔で、神となって一羽の鴨の羽に乗った妹が、淵名姫・赤城姫と再会します。(この鴨が大沼に留まり、島となったのが、現在赤城神社のある小鳥ケ島)その後、大沼と小沼の畔に、神社を建て(赤城神社・小沼宮)、神々をお祀りしたそうです。
炎天下の神社巡り、最後の赤城神社では、通り雨のような雨がふりました。
悲しい宿命と引替えには、龍宮の姫神様となって、永遠の命♾️を得て、この地と湖を守っているのかもですね😌。
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