弥勒菩薩は、須弥山の浄土といわれている天にて、菩薩の行につとめられ、天に説法し、お釈迦さまにかわってすべての悩み、苦しみをお願いくださり、 正しい道へとお導き下さる慈悲の仏さまといわれています。
私はこの物憂げな弥勒菩薩半跏思惟像を、ずっと以前に旅の本で見て以来、見てみたいなと思っていました。
一切衆生をいかにして救おうかと考えているお姿を表している、とありました。
また、広隆寺は、聖徳太子信仰を中心とする寺院で現在の広隆寺の本堂の御本尊は聖徳太子像です。
真ん中、聖徳太子
木造聖徳太子立像は、像高148センチメートルであり、聖徳太子が33歳時の像で、下着姿の像の上に実物の着物を着せて安置されている時いわれています。
ご開帳は1年に1回、11月22日です。
その着衣は、天皇が即位などの重要儀式の際に着用する黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)で広隆寺では天皇より贈られたその袍を本像に着せるならわしが平安時代より現代まで続いているようです。
(黄色い麻。麻黄。マオウ、、
マオウ湯、麻黄湯はコロナ(567)の高熱に効く漢方らしいです。567と書いてミロクと読む。不思議です。)
ところで、聖徳太子は、その偉業で称えられるも、どこか悲しみを感じます。
月読神社で祀られていた聖徳太子。
月読尊を崇敬したとありました。
聖徳太子ほどの御方が、実際に天皇陛下になられなかったこと、そして、徐々に聖徳太子のサポートをした秦氏も力を失っていくこと、
歴史には隠しておく方が都合の良いこともあり、また歪んだ歴史を信じてしまっている部分も私達にはあるのではないかと思います。
苔の庭の向かいにあります「太秦殿」の中に安置されています弥勒菩薩半跏思惟像の前で、私は暫く畳に正座して、物憂げな菩薩様をみていました。
自分ひとりすくうのも難しい。
自分をすくったあと、周りをすくう。
救うは、度う(スクウ)。
此岸から彼岸へ。
ミロク菩薩様の悲願は一切衆生を度う。
何億年もかかってもなお救えない、
ミロクの世への道のりはまだまだだと今も物思いに耽っているのでしょうか。
まずは自分をスクウ人が増えれば、みんながミロク菩薩になれば、憂いは解消します。
全世界を平等に巻き込んだコロナ(567=ミロク)禍には、大洗濯の意味があるのかもと思います。
話を戻します。
太秦殿の弥勒菩薩半跏思惟像の側に、太秦明神(秦河勝)、漢織女(穴織媛)、呉秦女(呉服媛)の像がありました。
養蚕をもたらした一族にふさわしい姫様のお名前。織姫、呉服姫。
京都の呉服といえば西陣織。応仁の乱で西軍、山名側が本陣を置いたことにちなみ、西陣とされました。京都の地名です。
画像はウィキペディアより
呉服=着物👘、日本の伝統を大切にしたいですね。今日でも女性を華やかに彩っています。
また綾織は、タテ糸が2本もしく3本のヨコ糸の上を通過した後、1本のヨコ糸の下を通過することを繰り返して織られたもの。
画像はお借りしました
縦糸が神、横糸が人なら、糸の交差する点ををククル、中間点があります。
その点により模様ができます。
糸を織る組織図は陰陽のオセロのようでもあり、白黒あるからこそ味わいがある。そしてそれを括る点が模様をつくります。
和(十)して、十、二十、三十、、、、、に括る綾織。
白が黒を、黒が白をお互いに括ります。
陰陽の真ん中に和する中間の点があることを忘れない。
糸は自分色。
括り結びながら繋がりツナグ。糸も昔は大地からの自然からの恵みに由来していました。
弥勒菩薩とは
お釈迦様の入滅後56億7千万年後に現れ悟りを開き多くの人々をスクウ菩薩様。
その菩薩様の到来を待つのではなく、
この世に生きる人が菩薩になる、
和して調和する世界を織りなす、
それがミロクの世なのかもなと思いました。
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