明日香村には石舞台古墳がありました。近くには、キトラ古墳、高松塚古墳もあり、高松塚古墳は行ったことがありましたが、今回はキトラ古墳に初めて行きました。
東 青龍 →青春
南 朱雀 →朱夏
西 白虎 →白秋
北 玄武 →玄冬
仁徳天皇の陵墓かもしれない?巨大な前方後円墳の大仙古墳など、初期の古墳の時代は巨大な古墳が多く、次第に形も🔑→🔶→🟠のようになりました。
キトラ古墳は、飛鳥時代の頃だろうとされていますが、外観は簡素化され、外は丸い小山があるだけでした。
しかし、古墳の中の壁画はとても精巧なもので、よくぞ残っていたなぁと思いました。盗掘の被害に遭うも、朱雀の壁画は残っていました。壁画だけは守ろうと踏ん張ってくれたのかもですね😌。
近くにある高松塚古墳との対比もあります。
古墳壁画で調べていると、日本には凄い壁画があることがわかりました。古墳マニアではないですが、古墳の変遷した道にも美術史だけではなく小宇宙があるような気すらします。
福岡の珍敷塚古墳からは、エジプト文明のピラミッド内と同じような壁画もあります☟
熊本のテプサン古墳はこちら☟
キリム(画像はお借りしました)
テプサンとは、乳房(チブサ)だとか、、
人は母なる大地のような宮(子宮)から生まれ、チブサから命を繋ぎ、その後、大地からの栄養を頂き、また老いて赤子のようになり大地に還ります。
初期の壁画に比べると、
後期に見られる高松塚古墳や、キトラ古墳の壁画は精巧に如実に描かれています。
初期のものはシンプルかつ直観で描かれているようにも感じます。
死後の世界が続き🔗、永遠の命を希求するからこその絵にも思えます。これらは、茨城などの東日本や、九州から発掘されているようです。
古代史で見ていくと、太古の信仰を守っていた地のものはシンプルなようにも感じます。
生きて、、よく死ぬこと。
いつの時代も、全ての人に課された命題なんだなぁと思いました。
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