天狗について今日は書いてみようと思います。
鞍馬山
義経が天狗と夜な夜な修養をした根っこです。
白いオオカミといますね。大口真神かしら?
ゴツゴツした岩が点在し、オートバイで颯爽と風をきりながら走る人をみかけます。
天狗といえば山伏を思います。御岳山に行った時に、天狗岩がありました。遠くからみると、こんなかんじ。この岩に顔が見えるねと妹がいいます。
じつは、これは、鼻なんじゃないかなぁ、と写真を眺めながら思いました。鼻にも顔があるけれど、顔はこの磐座の台座そのものかもなんて思いました。
先っぽまで登りました。先っぽにカラス天狗でしょうか祀られていました。なんだか、禁足をしめす剣のようなものと、足元には、カラスの脚のようなものがあります。ここも落ちたら😇ですが、この先はさらに危ないですね。
神坐す山の物語では、聖という章でこの天狗岩が出てきます。山伏が最後にこの先っぽから飛び降り自然に還るという悲しみの結末となります。
この磐座に登ると、木の根が絡みつき凄いんです。これを見たとき、あっ、鞍馬で見た!と思いました。
鞍馬山
義経が天狗と夜な夜な修養をした根っこです。
↓は三峯神社奥宮参道
↓こちらは、御岳山奥宮参道
根っこ大好き❤
神坐す山の物語の中では、天狗の嫁入りの話もあり、浅田次郎さんの叔母さん(巫女さんのような方)が天狗に嫁入りしなければと泣く話がでてきます。
嵐の日、風の強い日、それは、天狗の団扇と結びつけられて、霊力を持つ叔母さんの悲しい物語として語られるのでした。
天狗といえば、また、秋葉大権現を思い浮かべます。火伏の神様でしたが、お顔は天狗様そのものでした。
白いオオカミといますね。大口真神かしら?
秋葉権現の御真言の意味は
おお、どんどん火よ燃えよ、竃よ、火よ燃えよ、竃に、めでたし
燃えよ燃えよ燃え盛れみたい。。
火をもって火で制すのでしょうか。火を水で制するより難しいけれど価値があると聞いたことがあります。
人間の持つ火の感情は色々あります。
欲望や情欲の火、怒り、嫉妬などが挙げられます。その逆に、修養の心やあったかいハート(心臓)、慈愛の心は熱く厚く燃え続けるといいですね。
自分の誠の心や克己心で、自分に燻る悪い火を制することが、火で火を制すことのようにも感じます。
火祭りは日本各地で行われています。
その迫力はすさまじく、しかしながら、燃え尽きた後の祭りのもの悲しさは、説明できない何かを心に残します。
ところで、母の実家の津野山の近くには、天狗高原があります。高知と愛媛の県境にあり、風が強いことから風力発電の風車がクルクルと回ります。
ゴツゴツした岩が点在し、オートバイで颯爽と風をきりながら走る人をみかけます。
津野山に祠が建った後、娘をつれていくと天狗さんだというので見てみると、確かに空に天狗さんがいましたね。見に来ていたのかしら。
左の御守りは、妹と香川の金刀比羅神社の奧宮に参拝した時に買いました。金刀比羅神社奧宮の横の岩山には天狗が浮き彫りになっています。
山深い土地には、この世に生を受けた事の無い天狗の精霊がいらっしゃり、太古から山に暮らす民や山伏、山そのもの、自然を見守っている気がしています。
山は昔から異形のものが棲まうと畏れられていました。修験道の祖である役小角の本を読むと、異形のものがでてきます。鬼ともよばれます。前鬼、後鬼、五鬼道と呼ばれる「見た目」が異形の鬼たちは、温かいハートの持ち主でした。
天狗は山の神の霊威を母胎とし、怨霊、御霊など浮遊霊の信仰を合わせ、また、修験者に仮託して幻影を具体化したものといわれます。山伏姿で、顔が赤く、鼻が高く、翼があって、手足の爪が長く、金剛杖・太刀・うちわをもち、神通力があり、飛行自在。容貌は猿田彦神にも似てますね。
天の狗。狗は犬。犬神は、大神かも。
山を御神体とする日本の神社では、御眷属神として、その山を護るべく自然のエネルギー体の存在が確かに目には見えないけれどいらっしゃるように思いました。
自然をありのままの姿で護りたいですね。
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