松尾大社から南に約400メートル先に月読尊をお祀りする月読神社がありました。
月読神社は、
伊勢外宮近くの月夜見神社
内宮近くの月読神社
川崎市麻生区にあります月讀神社
長崎県壱岐島にあります月讀神社
を参拝しています。
月読神社は全国に80余しかない数少ない神社で、今回は、京都の月読神社を午前中のためか、誰も居ない空間で参拝することができました。
静かな空間でした。
そして、10分くらい目を閉じていたでしょうか、、暫くしていると人がやってきました。
三貴神の一柱、月読尊。
古代から、天文、暦数、卜占、航海の神として信仰されます。
壱岐島にありますのが、元祖月読神社で、壹岐(伊岐)イキを氏とし、壱岐国の島を造った一族のようです。
京都の月読神社は、月読の地名の残っている桂川近くが元は鎮座地だったようですが、度重なる桂川氾濫を避けて松尾山麓へとうつされました。その後この地も祠官の家名も松室氏となったようです。
月読神社は秦氏創建の松尾大社の摂社とされています。帰化族の秦氏の勢力圏がこの辺りで、松室氏は秦氏の庇護をうけていたようです。
聖徳太子も、秦氏が絶大なサポートをされたようです。
和を以て貴しとする。
この思想の根幹に影響を与えていたのかもですね。
境内には聖徳太子をお祀りする社がありました。月読尊を崇敬された太子の徳を称え祀ったとされます。
また、神功皇后が筑紫に滞在された際、腹を撫でて安産されたとされる月延石には、安産祈願が沢山されていました。
いつの世も子供の健やかな誕生を祈ったのですね。
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