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大善人へ身魂磨き

カモ氏① 大国主と事代主

奈良県にありますカモ族に由来のある奈良の神社に数社参拝しました。その御祭神に一言主や、事代主が多いため、カモ氏との関係を調べるため大元出版の出雲王国とヤマト政権を読み返しました。まずは出雲の著書から紹介します。

8代目大名持の時代に、出雲王国は最大の繁栄を迎えた。大名持は、神門臣家のヤチホコ (八千矛)が選ばれた。このお方は、のちに出雲神話で有名な「大国主 と呼ばれた王であった。 一方、副王・少名彦は、八重波津身が選ばれた。 このお方 は「コトシロヌシ (事代主)」とも呼ばれ、出雲神話では神門臣家 大国主の息子として登場するが、実際には富家の王子であった。『古事記』では、8代大名持 (大国主のもとに来た少名彦のことを「神産巣日神 (神魂の神)の御子」とクエビコが説明する場面があるが、この時代の少名彦が神魂家 (富家出身であったことを示している。

コトシロヌシは、死後の贈り名であった。事代主という漢字は、発音に対する当て字であり、正しい意味の漢字では 「知」であった。「知」とは「知らす」(支配する)という意味で、 「言知主」 とは武力ではなく「言論で統治する王」 という意味であった。「事知主」 と書いても、意味は同じである。 

金刀比羅神社 (香川県仲多度郡琴平町には末社・事知社があり、コトシロヌシを祀っている。 この本では、八重波津身のことをコトシロヌシの名で呼ぶことにする。

……

出雲の方では、コトシロヌシは富家出身であり、また、少彦名は役職で王の補佐であり、富家の王子とありました。

記紀神話では、大国主命と少彦名神は、仲良い、大小ペアで国作りをしたように描かれていますが、出雲全盛期の際、大名持(八千矛🟰出雲神話で有名な「大国主」🟰8代目出雲王 )と、少名彦(八重波津身🟰コトシロヌシ🟰副王)が、共に幽閉され亡くなる大事件が古代出雲で起こります。それは、出雲の著書によると☟

ある日、タケヒナドリがヤチホコ王に、「海岸で海童が、ワニ(サメ)を捕えて騒いでいる」と、告げてきた。出雲では、ワニは神聖な動物と考え、尊んでいた。王は、タケヒナドリに連れられて、園の長浜に出向いた。そして、海童たちにワニを放つよう説得した。すると、海童たちは王を取り囲み、船に引きずりこんだ。それ以降、ヤチホコ王は行方不明になった。この異変は、タケヒナドリによって、神門臣家と富家にすぐに知らされた。このときコトシロヌシは、大庭の宮殿には不在で、美保の時で魚釣りをしていた。コトシロヌシに異変を伝えるために、さっそく使者のタケヒナドリを乗せた舟がオウ川をくだり、王の海 (中海)を渡って知らせに出た。


「ヤチホコ様が、園の長浜で行方不明になったので、コトシロヌシ様もいっしょに来て探して下さい」と告げ、コトシロヌシと従者を舟に乗せた。

 舟は、弓ヶ浜の粟島(米子市彦名町)に着いた。すると、海童たちが現われ、舟を取り囲んだ。そして、コトシロヌシは舟から引きずり降ろされた。それ以降、コトシロヌシも行方不明になってしまった。出雲王国は、主王と副王の2人を ほぼ同時に失うという、前代未聞の事態におちいった。

神門臣家がヤチホコ王を探し出した時は、王は猪目洞窟 (出雲市猪目町に幽閉され、枯死していた。

以上

浦島太郎には、カメを虐めた小童たちから、大国主命がカメを救い龍宮へいく話しがあります。出雲で神聖だとされているワニ🐊を海童から助けようと海にいく大国主命の話は似ています。🐊はワニ氏の女性?なのかもです。龍宮の乙姫?かもです。

また、記紀神話の国譲りの際、コトシロヌシ神が釣りをしている話も似ています。大国主命(出雲の8代目王、ヤチホコ)を救いにいったスクナヒコナ(🟰コトシロヌシ、王子)まで出雲王国の話によると幽閉されてしまったということです。

エビス大黒を祀る出雲の美保神社では諸手舟神事がなされているようです。諸手舟に乗りヤチホコを助けに行こうとしたのがコトシロヌシであり、諸手というのは両手を挙げて賛成する、という意味ですが、国譲りで、コトシロヌシが直ぐに賛成した話は、この幽閉事件の暗喩、降参せざるをえなかった状況を意味しているのかも、、 

出雲8代目王国で起こった悲劇は、八大龍王や、八岐のおろちや、様々な形で暗に語りつがれているのかもしれません。 ☜これらは、全て空想ですが。続く

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