大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

鷺について 鴉鷺合戦物語

2022-12-16 05:55:00 | 神話・物語・本から

冨士淺間本宮大社で黒鷺の飛翔を最後にみて感動しました。

妹も数日前に倭姫宮で青鷺を見ていました。



九州でも亀のような森にとまる鷺の大群を阿蘇で見ました。



ずっと気になっていた気比神宮の御眷属も鷺でした。

応神天皇に上書き?されたスクナビコナ神が身体を癒した愛媛の道後温泉には白鷺伝説があります。


津野山にも鷺がお宮を建てる時いたなぁと、

白鷺に見守られて(妹のブログより)


鷺を調べていると興味深い話がありましたのでご紹介します。


一条兼良 鴉鷺合戦物語



室町時代に書かれました御伽草子の鴉鷺合戦物語です。その中に

「中鴨の杜をば二重とり廻て、鷺の一門をば、籠のうちの鳥のごとくにして

という表現があります。



カゴメカゴメ♪

の籠の中(なか=うち)の鳥は

は鷺だった!?のでしょうか。


鷺に象徴される背景はということで、この物語をじっくり読んでみました。


まずは、御伽草子の書かれた室町時代の時代背景を書いてみます。


室町時代は足利将軍が統治した時代です。天皇家が真っ二つにわれ、南朝北朝で皇統をたてた時代、中期は京都を焼け野が原にした応仁の乱、その後、下剋上の戦国時代100年の混乱です。続く安土桃山時代は織田信長の登場です。


あー、こんな時代に生まれなくて良かった〜と思うくらい戦いの時代です。😅


御伽草子の鴉鷺合戦あろかっせん)物語を書いたのは、一条兼良という公家の御方です。こういう時代背景の中、物語は祇園林の烏(カラス)と、糺(ただす)の森の鷺の合戦を擬人化して描いています。


では、物語をどうぞ。↓


祇園(ぎおん)林の(からす)である東市佐(ひがしのいちのすけ)真玄(まくろ)が、


中鴨の森の(さぎ)である山城守(やましろのかみ)津守正素(つもりまさもと)の女(むすめ)を思いそめ所望するが拒まれ、


③仲間を(きゅうごう)中鴨を攻めた。


④黒い鳥の真玄方には鵄(とび)出羽法橋(ほうきょう)(にわとり)漏刻博士が


⑤白い鳥の正素方には(つるの)紀伊守青鷺信濃守(しなののかみ)らが集い、一大合戦となった。


⑥鴉方が敗れ、鴉の真玄は高野山に登り、仏法僧の手で出家、勝者正素もともに念仏修行した


というストーリーを①〜⑥の順に勝手に検証します。太字は特に気になった所です。


鷺の一門とは、、?

過去に何回か鷺について書いたことはありますが、土佐国造り 大和との地名縁起 を書いた際知った万葉集の歌をふと思い出しました。


思はぬを 思ふと言はば 真鳥(鷺)住む 雲梯の杜の 神し知らさむ


事代主(日の出の神様、エビス様)がお隠れになった森の鷺について詠んだ歌。



鷺の一門とは、隠されたり、名前を奪われたり、名前を上書きされたり、敗北したり、悪者とされたり、差別的な名前をつけられて後世まで虐げられるよう差別された、深い悲しみをもった御魂の一門をさすのかもしれない、、とふと感じました。


長くなりますのでまた明日。




つづく


【白鷺画像はお借りしました】


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