夫婦の会話で、結婚前に知って、なるほどと思ったお話しを紹介したいと思います。場面は、遅く帰ってきた夫と、家で子育てに追われる身重の妻と設定します。
ピンポーン。
妻 遅いじゃない
夫 仕方ないだろ、仕事なんだからさぁ、
妻 仕事っ仕事って、私だって朝からずっと家の事してるわよ、怒。
夫 俺だって、やってるよ。家族のために頑張ってるんだよ。君は家にいれていいよ、、
妻 私の身体のこと本当に考えてたら、早く帰れるわよね、怒 給料でやりくりも大変なのよ!
夫 馬鹿なこと言うな!問題ないはずだ。怒、残業も頑張ってるんだ!
想像できますよね。こういうセリフ。憤怒の形相の妻と夫です。
では、妻と夫のパートを入れ替えてもう一度お聞きください。
ピンポーン
夫 遅くなったよ、、
妻 仕方ないわよ、仕事なんだから、、
夫 仕事、仕事かぁ。君だって朝からずっと家の事してるしね。
妻 私もやってるわよ。家族のために頑張ってるわ。でも、私は、家にいるからいいわよ、
夫 君の身体のこと本当に考えたら、早く帰るようにしないとな、、でも、俺の給料でやりくり大変だろ?
妻 馬鹿な事言わないで。全く問題ないわよ。笑。残業も頑張ってくれてるじゃないの。
あらら、凄くあったかい会話に変わりました。これ、夫と妻のパートを入れ替えただけです。口調は男女で変えましたが。笑
相手の身になって思いやる発言か否かで、同じ話しが真逆の話しになります。自分が見えている視点なんてほんの僅かで、裏で頑張っている相手の事を想像するか、自分をめちゃくちゃ大きくするかどうかで、仲良くなったり、喧嘩になったりします。
伴侶は一番近い他人ですが、伴侶に限らず、目の前の相手を思いやって生活するにつれて、その人は親友、血肉を越えた存在となります。
夫婦なら、子供はいたとしてもいつかは自分達のもとから旅立ちますから、やはり最期は血肉を超えた存在の伴侶といたいなぁと思います。
目の前の存在が当たり前になりすぎると、上の会話になり、逆だと下の会話に変わります。
母と話すと、父の介護で夜も数時間おきに起きないといけないし、さすがに疲れるわぁ、といいます。祖母の介護も何年もした母が、歳を感じるともいいます。確かに、歳は歳ですが、見た目もパワーも若いし、元気です。
帰省して様子を見ると、本当に大変だと思います。土佐のいごっそうをそのままの性格にもつ父は、母以外ならきっと難しいです。そして、母がいなければ、生きることも難しいと思います。
それでも母は、しんどいけど父が居なくなったら寂しいからと、父を優先で生活しています。
父も、母がいなくなると、大声で子供のように母を呼びます。お前がみえないと寂しくて、と母に言ったとか。笑。
母にとったら父が、父にとったら母が血肉を超えたかけがえのない存在なんだなぁ、とも思います。
全ての人をかけがえのない存在と思う事が出来たら凄いですが、それは難しいかな。せめて、目の前の人を他人も含め大切に思えるようになれれば良いなと思います。
【画像は夫婦検索画像より】
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