物凄く昔の話になりますが、原出雲族は紀元前2,500年頃、大祖先であるクナトの神に引き連れられて出雲の地に着いたと富家の伝承ではされています。
クナトの神は、別名、塞の神のようです。
歴史では縄文時代かなぁと思います。特に縄文時代は、未開で争いは無かったとか習った記憶があります。本当に未開なのか?ものは無かったけれど、魂は今よりも神様に向けられて開かれていたのではないかとも思います。
物がなく、自然に生きる中で本当に必要なものとそうで無いものを感覚でわかった人が多く、そんな時代に崇拝されていた神が、クナトの神(岐の神)、塞の神です。
クナト神で調べると、熊野大神の別名でもあるようです。非常に古い神様ですね。そういえば熊野3社の奥宮の玉置神社では、玉石社があり、石が祀られていました。
ところで、クナト神を信仰する一族は、出雲の地にきて、土着の民と「交わり」様々なことを伝えたそうです。出雲からはじまり、その分家は信濃に建御名方命、大和の登美族となり、各地の大国主命の誕生となったとされています。
以前、長髄彦について書いた時に、登美族を調べていました。富家の流れがあるのでしょうか。響きが同じです。隠れた歴史の点と点を調べたり、休んだりしていて、まだ全体像はみえませんが、また気になったら調べてみます。
記紀によると大国主命は沢山の妻を持ち子孫を繁栄させたとありますが、富氏の話なら、出雲族が各地で大国主命となり国を栄えさせたとあり、大国主命は複数いたことになります。
何が本当かはわかりませんが想像するだけでも、日本のルーツへの浪漫があります。末広がりに広がって今生きる人がいるんですね。
異民族に征服されたら一族皆殺しのような時代、和を尊ぶこと、つまり、交わりを大切にすることは和平への道であり、村つくり、国つくりの道でもあり、交わりの象徴としての男女の性を象ったような巨岩が実際にあり、巨岩への信仰があったのかなぁとも思いますし、
実際に、夫婦一対で神が宿る磐座があるようです。また、アイヌの古語では、クナトは男根、アラハバキは女陰の意味で、本来一対のものだったといいます。
天津神であり、天照大神の岩戸開きの立役者のひとり、性的なイメージのある裸で踊る天鈿女神が、道案内の神で鼻の高い国津神、猿田彦と夫婦となる神話にも、性の神や交通の神とされる塞の神の異種との結びを暗示しているのかもです。
つづく
【画像はクナト神 猿田彦大神検索画像より】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます